2010年12月12日日曜日

驚きももの記 ご無沙汰してます



あわただしく日が過ぎていきます。もう今年も3週間をきりましたね。
さて過日 三島の大岡信ことば館で折々の花の今年最後の集まりがありました。
大岡先生は 数多くの翻訳書も出しておいでですが (サンタクロースの辞典)とうフランスの作家の本を訳しておいでです。この本がとてもかわいらしく 参加者の皆さんがぜひほしいとおっしゃったのですが 絶版で ネットで古本を探すしかないというのが現状です。
この本を紹介して  壁に植物で作った作品を製作しました; クリスマスを意識して クリスマスブッシュ さんきらい 赤バラ 杉 土台のさんごみずきなどを使い 単なるクリスマスリースではない独特な作品が出来上がりました。この写真はその後に皆さんで ターブル ド クドウ でお昼をいただいたときの デザート。パティシエでもある、マダム クドウに なにかクリスマスらしいものをと 御願いしました。モンブランのツリーとイチゴのサンタさん、皆さんとてもお喜びでした。 

2010年11月18日木曜日

驚きももの記



まゆみ もありました。原産地は日本なのに。
ニシキギ科だそうです。この学名 euonymusu sieboldianus
シーボルトと関係あるのでしょうか。と私が思うのは オランダのライデンの植物園で ヨーロッパになんでこの植物があるの?という 日本で花材に使っている植物をたくさん見たからです。シーボルトが日本から持って帰った その子孫が育っているものがたくさんあるとか。

euonymus sieboldianus in Nauod,Germany . Mayumi in Japanese  is of Japanese origin.

驚きももの記 6週間前ですが



ドイツの つたです。

ivy in Naurod Germany 6weeks ago

2010年11月14日日曜日

驚きももの記 またフランクフルトですがーー



花市場でみた とくさ です。隣の箱にあるアンスリウムの葉の大きさとくらべてみて 大きいのがわかりますか? この左の束のものが 根元が直径2センチはありました。高さはそんなに無いのですが。


horsetail in the flower market
They are so huge compared to Japanese horsetail.

2010年11月13日土曜日

驚きももの記 もうひとつ


 
もうひとつありました。
スイスに支部ができて25年。ちょっとしたお祝いということで ケーキが用意されました。これには私も特別な思い出があります。

当時 前の家元 勅使河原宏先生が パリに仕事で滞在していらして ジュネーブで教えていた 池田淑さんが 支部設立の御願いに宏先生をパリのホテルに訪問したのです。
そのとき海外部として随行していた私は ほかのスタッフとともにいて 池田さんを紹介しました。 
先生は機嫌よく (いいよ おおいにがんばってやりなさい)とえくぼを深くして激励をしておいででした。

私が仕事が終わると 日本料理に会員の方たちが連れて行ってくださいました。
(覚えてますか?宏先生ここがお好きだったこと?)髪が美しく銀色に輝く旧知のメンバーが言いました。
そう。あの後に何度も来ているジュネーブだけれどこのレストランは久しぶり。 確かあれは 先生が トゥーランドットの 舞台装置をここでなさったときだった。
先生ははるばる日本から来た私たちをこのレストランに呼んでくださり --そしてーー私は思い出しました。
そう! この席に先生は座ってらした!
鬼籍に入られたのは 先生だけではなく 御願いにきた池田さんもなくなって 何年になるでしょうか。
こうして 25年を迎えることができたのは 後に続いてきたみんなの努力でしょう。
いまこうして私が座っているのも 不思議なことです。
今 家元でお嬢さんの 茜先生もおいでになったとか。

湖のほとりのこのレストラン 外に出ると 月が出ていました。
かすかに チャップ チャップ と岸を打つ波の音に 25年の歳月は急速にちぢまり 本当に昨日のような そんな感じがしてきました。
ちょとした 私のセンチメンタルジャーニーとなりました。

The cake to celebrate the 25th year of the swiss branch







 

驚きももの記 ジュネーブ



あれ?出張は ジュネーブもあったのでは?>と思われている皆様 お待たせいたしました。
この写真は  真新しいカメラのシャッターをはじめて切った記念すべき写真です。望遠の機能があったことを思い出し モンブランらしきを取ってみました。
この後 ほとんどボーっとしていて 蜂に刺されて(前のブログを参照してください)やっと われに返ったので ジュネーブの仕事の写真はほとんどありません。会員のシルビアが 今度も記録係を買って出てくださったらしく 後で送るのでちょっとまって といわれています。
お待ちしています。

I was in Geneva before Naurod, Germany to conduct workshops.
However, I had jetlag so there are not many pictures with my new camera.  

2010年11月12日金曜日

驚きももの記 じゃ 先生は?



じゃあ いったい本人の作品は?
はい これは大好きなオーガスタの葉を着色 生の葉とともに使った つった作品です。写真がいまひとつで申し訳ありません。松とさんきらいを使いました。さんきらいは国産のものが色がいいようです。

This is my hanging work using colored Augusta leaves and natural one with sannkirai and pine at Sogetsu exhibition. Sorry that the picture is not good.

2010年11月7日日曜日

驚きももの記 


 
お待たせしました。私のカメラでは 少し湾曲した格好とか 昆布の質感は十分には伝わっていかないかもしれません。
多くの方が 昆布だって!!と顔を近づけて くんくんとしたり お子さんが (あ!プードルだ!)とか いったりして覗き込む方の多い新人賞作品でした。
昆布ーー確かに海の中の植物です。
 (何か花を入れたほうがいいでしょうか?)ときかれたのですが (そうね・。。いけばなですよーーと説明的な付け足しはやめれば)と私は アドヴァイスしました。十分に素材の発見の驚きが昆布だけで出ているとおもったのです。 

This is the work by Ms.Shiota which I mentioned in the previous blog. She got Newcomer's Prize for her seaweed arrangement this time.There are also
7 works chosen for this prize by the participants who exhibited for the first time for thisannua Sogetsu exhibition

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2010年11月6日土曜日

驚きももの記 展覧会

展覧会の前期が終わり 後期がスタートしました。
フィンランドのリサも ヘレナもちゃんと作品が製作されていて 一安心、
何よりうれしいのは 門下の塩田微栄さんの作品が新人賞に選ばれたことです。
彼女の作品は 昆布を使ったものでした。
私の新しいカメラの使い方がわかったら ここに アップします。

昆布の長いのを買ってきて 切り裂き 少しゆでて部分を作り乾かし ワイヤーをまくといった作業。
3キロも乾いた昆布をつかったそうです。
北海道にいったときにヒントを得たとか。

素材を見つけて ほれ込むと いろいろと使ってみたくなります。それをぐっと押さえ 表現を絞り込むのがこつと思います。
彼女はそれを忠実に実行し どこにも無いものを作ったと思います。

教えていてよかったーーこんなときそう思います。



I had Liisa and her student Helena from Finland who participated this Sogetsu exhibition. 
Among the participated members of my students,Ms. Biei Shiota got the Newcomers prize of this year. She used sea weed and it was so interesting to know how she found this material for her Ikebana.

2010年11月2日火曜日

驚きももの記 草月展 

今 草月展の準備から帰ってきたところです。
今年は 吊る作品のほか 男性作家だけのコーナー ジュニアクラスなどなど、もりだくさん。
初めて参加する人たちのためのルーキー席に 私のクラスのメンバーが 出品したのですが お花屋さんの手違いで 花材が一部こないで その中の2人が大変な思いをしてしまいました。

 同じ花器を使い リハーサルを何度もして 花器の性質を見極めることはしたのですが 新鮮な気持でいけることが大事なので どうかなあ 少しリハーサルのしすぎかもと思っていたのですが 結果として 自信が彼女たちの中に育っていってたのでしょうか。やっと到着した花材でちゃんといけていました。よかった。

私は天井から吊るす作品です。皆様お楽しみに。

I just came back from the preparation for Sogetsu exhibition starting tommorow at Takashimaya department store at Nihonbashi Tokyo.
There are men-artist corner, Junior class corner, hanging work corner and so on.

among my students who participate this time, Liisa Nurminen from Finland flew last night from Helsinki to Tokyo. Her student Helena will arrive on Thursday.

2010年11月1日月曜日

驚きももの記 フランクフルトの花市場で



朝 6時半フランクフルト花市場で 草月師範のWehrさんと ミラノから駆けつけてくれた東京で私の生徒だったLaura です。このほか今シュトットガルト在住の田吹さんも駆けつけてくださいました。彼女も私の東京のクラスでずっと習っていたので まるで同窓会。

6;30a.m, in the flower market in Frankfurt
With me, Mrs.Wehr a Sogetsu teacher in Frankfurt and Laura who came from Milano .Laura has been my student in Tokyo.Eric ,husband of Ursula Wehr took this photo. later Tabuki san who has been my student in Tokyo, now living in Stutgart joined.


2010年10月31日日曜日

驚きももの記 作品をみながら



人の作品を見るのも大事な勉強です。この部屋のほかに 3部屋が用意されそれぞれに皆さんの力作が

The participants making queue study more by looking at the others works at workshop
There were three other rooms where other participats made each arrangement.

2010年10月27日水曜日

Odoroki Momonoki

To the Readers of this blog in English

So many requests are made to me if I could make this blog in English, especially during my trip to Geneve and Frankfurt this time.
As you already found out, I have difficulties in writing in English for I have never lived overseas, nor I have studied outside Japan.
However it might be good idea to put some English sometimes to some articles and photos.
In this way, I can tell you the charm of Japanee Ikebana as well as why I was facinated by Ikebana for 50 years.
I hope you enjoy my blog.

Koka Fukushima

2010年10月26日火曜日

驚きももの記 英文

今度の旅もそうですが 英語のWebsiteはないの?と よく言われます。
英文での発信も 用意しなければとおもっています。
もちろん きちんとしたものを作りたいので時間もお金もかかると思いますが そんなことをいっていると いつまでたってもできない。それで 勇気をもって(?)ブログに少し英文を入れることになりました。
私は外国で育ったことも 留学の経験もありません。したがって英語は 十分ではありません。
お目ざわりのことも あるかもしれません、しかし 伝えることこそ一番肝心と思っています、 どうぞよろしく御願いいたします

驚きももの記



これも(星の奥方)ーーの作品<前の文を参照> なかなか皆様お上手なのです
ご本人は この作品に タンゴアルヘンティーノと名前をつけてきました。
なるほど。

私も含めた(いけばなの本場)にいる私たちもがんばらなくては。

2010年10月24日日曜日

驚きももの記 (星の奥方)



この写真は参加者のひとりで ドイツ人のWさんの作品です。私はひそかに(星の奥方様)と読んでいました。ご主人もセミナーについていらして 妻の周りであとかたずけをしたり 代わりの花器をもってきたりと かいがいしく働いておいででした。カメラを構え、このセミナーの記録係も。この写真も実は 記念にといただいたなかのものです。日本にいらしたとき私が 偶然展覧会の案内をしたといわれ 思い出しました。そうでしたね。 

休み時間にご主人が見せてくださったのは ナミビアの砂漠で望遠レンズをのぞき夜中待機して取ったという星の写真。
空にこんなに星があるのか と私は改めて思いました。これが金星。これが天の川!
何枚もの写真に私は見入ってしまいました。そして私も去年スイスで 夜中に窓を開け ふと空をみあげると星が降ってくるような錯覚にとらわれ ジーンと感動したことも思い出しました。

そんなわけで 夫人は(星の奥方様)と名前をつけてしまいました。
それにしても 夫はナミビアで好きな星の写真をとりにいくのだから それを快く許している妻にはこれくらいのことお安い御用とーーーー。なるほど。
世のご主人方 妻の趣味にはおおいにサポートしましょう。 自分が好きなことを堂々と実行するために!

2010年10月19日火曜日

驚きももの記 まだおなじところ



もうひとつの部屋の様子です。皆さん真剣!その日に使う花材はの各自のバケツに分けてつけてあります。
それを用意したのは準備役のメンバーに加え 快く手伝う参加者たち。それにしてもジュネーブと同じく ここの段取りのいいことは 驚くばかり。

驚きももの記 前後しますがーードイツ




ジュネーブのあとにいったドイツ フランクフルトから 車で40分ほど。Naurod でのセミナーです。
参加者60人と そのご主人たちが セミナーハウスにとまり 3日間花を生けました。この写真は15人ほどですが このような部屋を人数にあうよう4箇所つかい 4回のセミナーを してきました。

2010年10月16日土曜日

驚きももの記 A Story of Bee

ジュネーブでは 初日40名近く 次の日は60名近くの作品を 講評しました。

それで さあ! いよいよ、とみんなにも私にも ある緊張感が走ります。
はさみとタオルを持ち 作品が並べられたはじめの列に向かいます。
3作目 よくいけられていた作品なのですが ちょっと赤い鶏頭が 重く見えたので 少し分量をコントロールしたほうがーーと 鶏頭の頭の所をはさみで切ろうとしたとたん!!!!

なんと蜂が飛び出したと思ったら次の一瞬 痛い!!!!!
私の指を刺したのです。 むこうにとっては 花のひだのなかにもぐりこんで 気持よく眠っていたのに 大迷惑といったところでしょうね。
次の瞬間誰かが Koka! アレルギーは? 聞いている間に隣の人が見事に本で蜂をしとめ まっ二つに!!!
救急箱が持ってこられ なんと砂糖の塊がさしだされ 何かミントの香りがする?
(これはどうするの?ぬるわけ?)
(いや 口に含みなさい!!)
(???)
(心臓がばくばくしないため!)
もうひとつ差し出されたのは パンのかけら?
(???)
(これで指にあてると針がとれる。本当にアレルギーではないのね。そうだったら病院いかなくてはーーー)

指に薬をぬられ バンドエイドをまかれ この一連の騒ぎ 約2分。
蜂に刺されたのはいつだったかしらーーなどと思う暇もないほど。
今年の夏は世界中 猛暑。蜂だって本当ならこんなとこにいなかったでしょう。
この仕事 何十年もしていますが 外国で蜂に刺されたことはありません。
とんだ猛暑の置き土産ではないでしょうか。


いやあそれにしても皆さんのすばやい動きに 感心しました。一瞬のことでした。
足長蜂ではないと 真2つになった小さな黒と黄色の縞を確認したから落ち着いていたのですがー

とんだご心配を、しょっぱなからかけてしまいました!

2010年10月15日金曜日

驚きももの木 ヨーロッパから帰ってきました、

東京はまだ お昼は半そででも歩けますね。 フランクフルトでは 薄いコートに帽子をかぶっていました。朝晩は 空気がすでに冷たいのです。

ジュネーブと フランクフルト郊外の Naurod で計画されたそれぞれ会場で研究会をしてきました。
数日この話にお付き合いください。


2010年10月2日土曜日

驚きももの記 やっぱり

この水曜日 御用邸の舞台の作品を最終チェックのため 家元が名古屋にいけこみの途中によってくださいました。(今までとまたぜんぜんちがって いいわね)とおっしゃってくださり 一安心。
この製作にかかわってくださった方たちに対して 改めて感謝の気持ちがいっそう深くなります。

ひとつ?!だったのは この数日の雨で 割り竹の白い部分にカビが生えたこと。
白い部分を見せると カビが発生するということは言われていましたが どうしても見せたかった。
時間があれば 一本づつ うすめた漂白剤などぬればいいのでしょうが 実際大変な手間と 外での作品なので 雨が降ると今度はそれが青い部分にかかってーということにもなります。

ライトアップして 月でもかかると素晴らしいですよ。といわれ 13日の狂言の舞台が 晴れた星空と月の下で行われることを念じて 御用邸をあとにしました。

さあ これからジュネーブと フランクフルトの郊外 Naurod のセミナーに 出発の準備です。
2年ぶりの 懐かしい皆さんにお目にかかるのをとても楽しみにしています。

いつもフィンランドから 生徒を引き連れての参加のLiisa は 今度はご主人も、
7月に帰国した Tさんもドイツ人のご主人と一緒に駆けつけてくださいます。。Liisa のご主人は Tさんのご主人と 私の東京でのLiveで 顔を合わせています。
Ikebana Husband いけばなハスバンドたちもあわせた 同窓会のような セミナーになりそうです。 
 

 

2010年9月28日火曜日

驚きももの記 おまたせしました




アトリエスタッフのみなさんと。上の写真は 右側が下です。
首をひねってご覧ください!?
製作中は あごから汗の滴る晴天続き、この数日 うって変わって雨で 割り竹にかびがはえないか 心配です。
10月13日はここで 狂言がおこなわれます。松と竹のてっぺんから 月が昇ったら最高ですが その夜は私はまだフランクフルトです。残念!

2010年9月22日水曜日

驚きももの記 完成しました





一日あいて 東京からまた沼津に。それにしても気温は 軽く32度はいっています。暑い!松の緑と枝のさまざまな線の中に青竹の舞台。 この舞台のうえでたった2回しかイベントが行われないのが 残念です。
でもいい機会を与えていただきました。一人ではとてもこんな大きなものはできません。
(上の写真は (青海波)を作っているところ 一昨日の続きです。下はポスターの一部 ただし中間に少し茶色にうつっている竹の作品は 昨年のほかの先生の作品で 私のではありません。今日写真を撮ってきた完成したものは新しいカメラなので 操作がわからず少しお待ちください。



驚きももの記 沼津御用邸






沼津御用邸で舞台を製作しています。竹450本を使っていて この写真は2日前 教室のメンバーがきたときなので まだ7割がた完成というところです。静岡県支部の皆様が毎日お手伝い。はじめは宏家元のとき 14年前。そのときからので もうなれたもの。家元アトリエの精鋭が技術を発揮します。

2010年8月29日日曜日

驚きももの記 大きなアクセサリーのわけ

大きなアクセサリーをデザインすることをずっと続けてきました。
外国に行っても そんなものを集めているお店に入ると目がいってしまいます。私がデザインするものの材質は ステンレスやチタンが多いのですが 何で大きな光るものをあえてえらぶのか。もちろんその涼しげな光が好きなこともあります。

先日の広島のライブでのように ステンレスや チタンで花器をデザインする側から見れば そういったアクセサリーを 何倍か拡大すると花器にならないかなあとか思ってしまうこともあります。
もうひとつの理由は そういったものを実際につけたとき 人の視線が まずそちらに行くだろうと考えてしまう自分がいました。
ーーーーーーつまり人の視線を 私の顔よりそちらにそらしたいという意図があるのです。。

小さいころ 久し振りにあった親戚に(この子 少しましになったわね)といわれたことを覚えています。
小学校で一番仲良く遊んでいた子は 評判の美少女でした。彼女の周りには かわいいわねえ という人たちの輪ができ 私はいつも引き立て役でした。

つい最近のこと 家元ライブ IN 広島でメークをお願いした 牛山ユーコさんから (新発売の美容液のモニターを)というお話をいただきました。何でも ある程度から上の年令の方にお使いいただきたい化粧品ということでした。感想とか申し上げるのなら お引き受けします。。。と軽く返事をしたのは 私には手が出そうもないお値段だったことと どんな感じなのかしら という好奇心があったからです。さすがお値段だけあり なるほどね、と頂戴した美容液をたっぷり使い 送られてきたアンケートにできるだけ細かく 使い心地を書いたのも まあ、何かの参考になれば、という程度でした。   


 それがーー

 なんと写真入りで この会社の顧客向けの小冊子にのることになり 私は真夏に 冬の洋服をスタジオに持参し その新発売の化粧品をこうもって! じゃ顔はあちらに向けてください。はい にっこり笑って!などといわれて プロのカメラマンによる撮影ということに 相成ったのであります。(本当に私でよろしいんですか????!!)何度も聞いてしまいました。自信のない顔をさらしてしまうことになるとは想像もしていませんでした。

(失礼にならない程度の器量ならいい)と母は娘を慰めるために いつもこういっていました。
(何で美人に生んでくれなかったの!)という私に (同じことを私も親に言いたい!)といわれれば 二の句がつげません。
母が健在だったらなんといったでしょうか。


特別に暑いこの夏 やはり少し変わったことも起こったのでした。


  

 

2010年8月21日土曜日

驚きももの記ーー広島ライブ 衣装の秘密





ライブが 終わってあと少しで2ヶ月になります。あの場にいらした方たちにあうと いろいろと感想をおっしゃって下さったり 質問を受けます。そのひとつに衣装のことがあります。これはその衣装でステージの家元の作品の前を最後の挨拶のために通り抜ける瞬間の写真です。 

衣装のことをおききになる方は オーダーでしょう?とおっしゃいます。半分当たっています。

インナーは 手持ちのもので間に合わせました。ところが わたくし 背丈は160cmに満たないのに 幅があります。140cmの高さもある花器に生けるとなれば 手も上げなければならないし 舞台のバトンから下がってくる ステンレス花器にいけもする。インナーが 腕ごとあがればきているものも上がり おなか周りも気になる。 むむ これは何とかせねば。それで透け感のある生地をすそに足してもらいました。

  
ボトムは 白のパンツの膝下から透ける 上と同じ素材にしました。これもその切り替える位置と長さを何度も確認。
 前にプライベートライブをしたときに ご年配の方から (あなた パンツの丈 短かかったわよ)といわれてしまいました。すこしだけ短くて活動的と くるぶしが見えるか 見えないか程度だったのですが 客席から撮られた写真を見て納得。言ってくださったかたに 感謝しました。

柔らかな長いジャケットは 同じものを黒で持っていました。
家元が 舞台では今回 黒と白はお召しにならないと 秘書室を通しておっしゃってくださり 私はどちらにでもなるように 白も作ったわけです。  


でも映像をみて思いました。 衣装以前の問題があると。
やはり体重は3キロ落とすべきだったと。一生に一度の舞台。今からでは遅いですけれど。


2010年8月14日土曜日

驚きももの記 残暑お見舞い

皆様 それぞれお盆休みをお過ごしのことと思います。
ブログの更新がしばらくなくて 申し訳ございません。パソコンがダウンしてしまいました。暑さのせいもあるのかもしれません。ハードを取り替えてもらい 復旧いたしました。 
キーボードは ノートのほうを使用しているので まだなれず 四苦八苦しております。

あっという間に 広島ライブから一ヶ月がたち しみじみ振り返るというところまでいかないまま 家元とナレーションをダイジェスト版になった画面に入れました。たぶん講習会のときに上映されるのではないでしょうか。これもまた 新しい経験でした。

そろそろ 秋の準備もしなくてはならないのですが 8月28日土曜日 三島の駅前 増進会のビルの中 大岡信ことば館で 秋のまぜざしの会をします。大岡先生の (折々の歌)は28年間も毎朝 朝日新聞に180字という制約の中 詩や歌などを季節に沿って解説がなされました。その中の植物を詠んだ歌や俳句や詩に注目して いけるのですが 今回は 秋の七草です。山上憶良の歌は有名ですが 飯田蛇笏の ススキを詠んだ句とともに 大岡先生の解説を取り上げて 参加のみなさんには実際にその植物をいけていただきます。流派は関係なく 植物とその背後にある日本人の感性を改めて楽しんでいただけたらという試みです。
詠まれている七草は 今では全部は手に入りませんが ススキは 入手が可能ですし 吾亦紅やおみなえしも たぶん大丈夫でしょう。

それが終わると いよいよ沼津の御用邸公園に 竹のインスタレーションです。またたくさんの皆様のお力をかしていただくことになりますが とても楽しみです。   

まだまだ東京は暑さが続きますが 皆様お大事になさっていただき 実りの秋を迎えましょう。

2010年8月3日火曜日

驚きももの記 一ヶ月たちました

今日は8月3日。一ヶ月たった広島家元ライブ。
なんだかずいぶん昔のような気がします。
そのあいだに 大阪教室にうかがい 三島の大岡信ことば館に私のチタンの花器が コレクション展に2点かざられているのでそのオープニングにうかがい 沼津の御用邸公園にインスタレーションのおはなしをいただいたので下見に。その間に何年かぶりに風邪を引きお稽古をキャンセル。 忙しいことでありました。皆様が それぞれ感想をおっしゃってくださったのですが ゆっくりと ライブをふりかえるひまもなく。

数日前 ライブの映像に家元とナレーションを入れるということで CDを秘書室からお預かりしました。秋の家元講習会に上映するのでしよう
それをみて 思いました。よくも悪くも これが私の実力なのかと。
なんだか それまでそんなこともなく走ってきたのですが こうやって見てみると
胸の奥でキュンとくるものがありました。
思えば このために準備した1年8ヶ月。考えられることは すべてやったと思いました。でも改めて映像を見て振り返ってみれば それでも反省することもあります。いろいろ指摘してくださった方もありました。 
でも これをまたひとつの手がかりとして 発展していきたい・。と思います。
このことにかかわってくださったすべての皆さま 深く感謝をいたします。
この経験は 私の宝だと思います。

それにしても暑いので ちょっとだらっとしてます。
皆様も 熱中症などお気をつけください。
秋に備えエネルギーを蓄えることにいたしましょう。

2010年7月16日金曜日

驚きももの記 花器の秘密


photo by 関谷幸三

担当している大阪家元教室に行ってきました。
雨で皆さんの出足はどうかと心配しましたが 思ったほどお休みがなく 安心しました。
そのせいということもないのですが 家元広島LIVEの お話しをしました。話し始めたら止まりません。

(先生 花器素敵やったけど だいぶんしましたやろ?)とそっとおたづねの方も何人か。

そこで 今だから話せる話!!!
あの花器は 水が入りません。つまり底がないのです。たった舞台の上の40分。その時間でしおれない花材を選べば 底は必要ないわけです。チタンやステンレスで一番お金がかかるのは 溶接です。それで 会社のご理解を得て あえて溶接の部分を極力少なくしたのです。したがって ステンレス板はビットでとめてあります。

この写真ではなく前のブログに出ていたボールのついた花器は後ろ側の一部 ステンレスの板が足りなくなり そのままにしました。前から見てもわからない。中は鉄の花留めがあるだけです。
結果として その板の無い部分から助手が手をいれて 私のいれた大きな枝を花留めにワイヤーでとめるというのがかえってよかった。

確か 戦国の武将でお城を3日で作ったひとがいましたね。
あれも 簡単な骨組みと 絵をはったとかで 遠くから敵を欺くために作ったのでしたね。
なんだかあの話を思い出しました。
観客の皆様を欺くなんて そんな考えは毛頭ありません。ただただ 私の懐事情によるのです。




。 

2010年7月13日火曜日

驚きももの記 家元ライブで使った花器 その1


            (photo by 関谷幸三)
今までに最大の ステンレス花器をつくってしまいました!!!!私のライブの最後に登場したので 皆さんの眼に触れたのはたったの10分。でもいいのです。やってみたかったのです。後悔はしていません。
今までだったら作れなかった で これからも作れないでしょう。タイミングって必要なのだと思います。
輪の部分が直径3メートル 斜めの部分が5メーターすこし。重さ80キロのつり花器です。パイプの先の部分に花をいけるところがあります。分解して運んだので 取り付けているところです。

制作にはこの 船の部分などを作る工場の 多大なご協力 ご理解を頂きました。前のブログにも登場した [じゃけん。 ほうじゃほうじゃ]という言葉を使う社長以下 たった10人の会社です。当日全員がきてくださいました。この方たちの情熱 何とかしてこのライブがうまくいくようにという誠意に心底感動しました。

改めて写真で見ても この花器は異常に大きいと思います。もし何か つまり 落ちてきたりすれば大変なことになります。念には念をいれて この後バトンにつってもらいました。

そんなわけもあり またその他 もろもろの事情が 私を(おかゆをすする生活)にさせています。体重を減らすようにというお医者のすすめに応える いい機会でもあります。

あとの2個の花器は それにくらべればーーーというのは 大きな秘密があるからです。それは次回更新のとき。


・ 

2010年7月11日日曜日

驚きももの記 ちょっとづつ写真を



Just in Time の曲に合わせて 親子10組がひまわりを持って登場。
この全体の流れを考えたとき 一番初めに思いついた光景でした。

2010年7月10日土曜日

驚きももの記 広島のあと

”俺は自分の今いる業界は長いけど 今回まったくちがう世界をみせてもらったけど あんなひとたちは見たことない。僕の周りではいない 信じられない、”

 おやじギャグを時と場合を考えず 家元の前でもとばし 私をひやひやはらはらさせた このお方が実にまじめな表情で話しはじめたのは 次に東京であったときでした。

’(いやあ いい経験をさせてもらった。)

(家元や 光加さんが仕事をする サポートを本当に 一生懸命にやっている。葉をとったり 花のみずあげーーっていうの?黙々と 邪魔にならないように気をくばりながら 実にによくやっていたなあ)、
ボランテイアの中国ブロックの会員の皆さんのことです。
バックを手伝ってくださった方たちは 100人くらいか。 でも舞台の上だけではありません。当日でも物品の販売のお手伝い チケットのもぎり またそれまでの いろいろな計画 連絡 ここに至るまでに何人になるのでしょうか。
チケットを買ってきくださった皆さんも含めると 途方もない数になりますね。 

本当に感謝しています。
そしてすごい力というのを感じました。幸せでした!一生の思い出です。

そうそう (今だから話そう)シリーズの BMW さんは ジャズピアニストの岩谷泰行さんです。
そのピアノの音色は いつも本当にうっとりとします。舞台を降りると 普通ののおじさんになります。この落差が激しすぎる。
そう。BMWは Bは ビール M は当然 ミュージック そして Wは 女性。フェミニストです。

2010年7月9日金曜日

ぜひぜひ

このブログをごらんの皆様!!!

今すぐ 元の私のホームページのタイトルに帰り リンクの中で 草月会 をクリックして 家元のブログ
(勅使河原 茜 おもいの花束)というところをご覧ください。
家元が 今回の広島ライブについて 報告を書いておいでです。

写真もたくさん、
お家元はお美しくていいのですが 私としては ちと恥ずかしい舞台メイクばっちりの写真も。
せめて作品のほうにご注目を!!!!!!!



2010年7月8日木曜日

驚きももの木 家元ライブ IN 広島 

私の頂いた 40分という時間は瞬く間に過ぎていきました。


終わった瞬間 舞台の上で何を思ったといえば (まだスタミナが残っている)ということでした。
これから いよいよ家元のライブがはじまるーーということと なによりも自分の作品がどう見えるか ここ1年8ヶ月 練りにねったつもりのその結果が あと15分で消えてしまう前に 真正面から自分の眼でしっかりと確かめたいという気持ちが先走り スタッフや 協力してくださった支部の方の挨拶もそこそこ走り出していました。

手元の時計を見ると かかった時間は 予定の時間を少しだけ残した 38分。
すれちがいに 声をかけてくださる舞台関係のかた 見てくださったかたが感想をおっしゃるのを えしゃくしながら バックから客席へと急ぎました。
あんなに広いと思っていた舞台ですが 奥行きを浅くするため かなり舞台前方の幕を下ろしてくださったので 作品そのものは心配していたより小さくは見えませんでした。 しかしさらに冷静に見ると もう少し作品と作品の間に空間があってもよかった と思いました。

 実際の舞台の間口は16m。ちょっとした模型を東京では作っていました。すべてを実寸の10分の一にしようと 黒い紙を2枚つなげ たぶんこのくらいだろうという奥行きをその後ろに同じ色の紙を足し  花器の原寸の10分の一の大きさに模型を作って配置してみたのですが いざいけてみると目の前の現実の空間は ちがって見えました。
これは当然 花が入ったことによります。

やってみなければわからないことは たくさんある といまさらながら思いました。




 

2010年7月7日水曜日

家元広島ライブ 速報





まずは家元作品から
私ははじめに40分 わたしだけの世界(?)をさせていただきました。順次更新していきますのでお楽しみに。

2010年6月30日水曜日

驚きももの記 明日出発します

昨日 家元にご挨拶に上がったとき アトリエでで 積み込みをしているので 見に行きました。
246の道路ぞいにつけられている4トントラック2台 ルーフのないトラックが アトリエの入口に頭をいれ 家元の器や花材を積み込み中、広島まで 18時間くらいとか。どうぞ無事に着きますように。


お花屋さんは 冷房車で生の花材はおっかけるように運ぶということです。今日市場から花材が入ってきてそのまま積み替えるとのこと。 花材の実際の色や 大きさはわからないまま 私は現地に入ることになります。私にとってはこれも怖いこと。、
要するに出たとこ勝負となります。海外で 現地に着いてみないと何の花材が手に入るか分からないーーといったときもありますが それとは又ちがった不安があります。今までの自分の体験の積み重ねから 答えをだして行かなければなりません。

この期に及んでじたばたしても始まりません。リラックス そして 楽しむことーーと言い聞かせるも 明日は出発!
忘れ物のないように。 

おいでになる皆様 それぞれのところで 応援してくださる皆様 どうぞよろしくお願いいたします。
 

2010年6月29日火曜日

驚きももの木 衣装

問題です。
ライブの衣装に必要なものーーは何でしょうか?

お分かりになった方は 相当デモンストレーションの経験がおありか なさる方の着ているものをチェックする方ですね。
答えは ベルト またはポケットです。

マイケル ジャクソン のように (ヒュー)とか踊りながら歌うのならともかく 頭にかけて 顔の前ににゅっと突き出ている マイクを使用 というわけに行きません。そんなこともほとんどありませんが 万一外国できものでも着て このマイクでは 様にならない。 今はたいがいデモでも洋服 そしてピンマイク使用となります。そのときは 口元に近く マイクをうまく引っ掛ける襟とかが 必要です。その場所に アクセサリーが来るとややこしくなります。金属のものだと部分が擦れ合って音が入ってしまいます。

また 電源をいれたりする小さな機械を どこかに収めなくてはなりません。
ベルトにかけるようになっているのを利用するか ポケットに入れなければなりません。
どちらともないと パンツかスカートのヘリに引っ掛けることになるのです。自分でできないとなると 人様の手をかりることになり なんか 気が引けます。
こんどあわててポケットをつけました。

考えれば この取り付け方は 男性の講演や パーフォーマンスを基準としているような気がします。
誰か気の利いたマイクの取り付け場所と方法を 女性のために考えてくれないでしょうか。  

2010年6月28日月曜日

驚きももの記 カウントダウン

今日はアトリエにいってみよう 花器とか 花材の一部は確か明日もうトラックに積み込むといっていた!その前に確認しなくては。
 お花屋さんは ちゃんと花がはいったかしら。今日は市場に行っているはず。仕入れは大丈夫といってたけど。私が思うようなもの 仕入れにも伝わっていて それがあるかしら。 電話していってみよう。
それと どうしても家元に出発前にごあいさつしなくては。BGMとか 衣装とか重ならないように配慮してくださったようです。お礼を申しあげたいのです。

今回協力いただく会社に 昨日 ご挨拶で電話すると社長が出られる。確か隔週土曜はお休みとうかがったので 
(あ 今日はお会社ある日でしたか。というと
 (福島さん 今日は日曜じゃよ。)
 (あ!そう そうでした!!!)
(え!でも なぜおいでになるのですか?) 
(やすみの日は 自宅に電話が通じるようにしてあるんじゃ。)

大変失礼いたしました。ーーーーーーーーーー

来週の今日月曜は すべて終わっているのですね。

2010年6月27日日曜日

驚きももの記 いよいよ今週となりました!

もうライブは今週なのですがーーー
集中しすぎると ろくなことのない私。息抜きのためにいろいろなことをしています。
終わってからの (英語でいけばな)の)クラスの原稿などを作っています。
頭をリフレッシュするのに 役立って かえってはかどります。
帰ってから疲れた胃にやさしい お取り寄せの手配。終わったらどこか近場にいこうかな。

今日は夕方から BMWさんとスタジオをかりて 最後の打ち合わせ。
それでもまだ 進行にたくさん不安があり 一昨日もアトリエでその話をすると (リハーサルありますから 変えても大丈夫ですよ。)と ダブルMさんが 口をそろえていう。過去になさった先生たちも そういうこともあったということ。家元も立ち会ってくださるし いざとなればアドヴァイスもいただけそう。少し安心するも 何気なくアトリエにある 使用しようと持ち込んだ私の花材をみて 口には出さないけれど ドキ。ここ数日で色が急速に変化していました。やっぱり植物ですね。新しいのがくるので それとあわせて何とかしなくては。

大好きなあんみつでも いただきにでて エネルギーにいたしましょう。
でも 過ぎたるは 及ばざるが如し という言葉もありましたっけ。

2010年6月25日金曜日

驚きももの記 ワールドカップ

いや 勝ちましたね!4時少しに眼が覚め にわかサポーターに変身、日本の選手の皆さん いい表情でしたね。イケメン ノンイケ に限らず ひとりひとり素敵でした。
(能活どこだ!?)
私としては ゴールキーパーの川口も 出番がなかったとはいえ テレビでちょっとうつしてて欲しかったですね。メンバーなのだから。 彼はこの世界では年で よくみれば顔の半分(額)なのに なぜか (男前)という言葉が似合いますね。

 こちらは一生に一回の家元ライブ出演、 気を引き締めていきましょう。
今日は最後の打ち合わせを アトリエと企画課の メンバーとします。抜かりないよう もう一度 頭の中でシュミレーションをこまかくしなくては。

2010年6月23日水曜日

驚きももの木 家元ライブ In 広島 いよいよ

(先生 来週ですね)といわれ にわかに現実味を帯びてきました。
電話であちらにいる (じゃけん)を連発するグループとつめをして かたやアトリエのNOPさんたちと段取りを話し 企画課の M さんと 何度も打ち合わせ 同じ課のTさんと 当日配るプログラムのことについて 立ち話。 同じく Oさんと ワークショップの花材について。
昨日は こちらの花屋さんにでかけていき 色について打ち合わせ。何の色かって? 言いません。

心配が 次から次にうかんでくる私は BMWさんと 打ち合わせを何度も入れていただくよう おねがいしました。BMW さんは (光加さん こちらはなれてるから大丈夫 何とかなるから)というのですが こういうことを言う人に限って 本当だろうか と 心配をするのです。ライブは いつも その回が (初めて)なのです。ましてこんどの場合 ぜったいに失敗は許されません。

ヘア メイクも 段取り完了。(衣装は?)という質問も よくいたいただくのですが 家元と同じ色とかは避けたいと思うので 秘書のNさんに なるべく早く教えてくださいとお願いしました。
家元からも そのことについてのメッセージをいただきました。
作品が映えることが第一ですので 私のはどうということはありません 。男性だとスーツでいいのでしょうが 女性同士だとそういうことがありますね。

ここで 改めて 肝心の 舞台の進行を頭の中でシュミレーションしてみると とても詰めが甘いことを発見!!!!!
ああどうしようと じたばたしているこの数日です!!!!!! 本当です。

2010年6月20日日曜日

ちょっとひとやすみ


携帯の写真ではっきりしませんが かわいいバラでしょう? これも中田さんのバラです。

2010年6月19日土曜日

驚きももの記  くいしんぼうの記 In 広島

広島にお嫁にいった もとクラスのメンバーに今度のことで 連絡をとりました。
けれど 連絡がつかず どうしたのかと思ったら 急にオランダに転勤となり ご主人と下見に行っていたことが判明。こんどのライブのときは 出発してしまうということでした。
残念ですが しっかりと教えてもらったのが 広島でおいしいもの。

いまだかつておいしい広島焼きに出会ってない私。
それはともかく 何がおすすめ?ときけば 旬の こいわしと あなごとか。
そこで彼女お勧めの おすし屋さんに行ってまいりました。
若い私なら 知らない土地でおすし屋さんにひとりで入るなんて度胸は ありませんでした。
年を重ねることのひきかえに 天から与えられた (チャンスはのがすな!)の精神がぐっとましてきておりまして 敷居が高そうなおすし屋さんの戸をからからとひいたのであります。

大正解でしたね。 クラスメンバーのことを言うともちろんご存知でした。
至福のときをすごしたことは言うまでもありません。

家元Liveに広島においでくださる皆様 こいわし と こなき貝 おすすめです。 

2010年6月16日水曜日

驚きももの記 家元ライブ In 広島

いよいよです。
皆さんとの 打ち合わせも 頻繁さをまし あと 3週間をきりました。
今日は 個人的に秘密の打ち合わせでちょっと広島に行ってきます。(秘密でもなんでもないか!!)

昨日と 一昨日、東京で 全国支部長会議があり 中国地方の皆様にもお目にかかってきました。そのとき 他の地域からも (行くからね 頑張ってね!)(バスをしたてていきますよ!)の声あり。日帰りだけど行きますよという方もあり。

家元もスタッフも私も 新宿の展覧会も終わり ライブに向けて 最後の調整です。

ところで なぞの人物も この前くらいのブログで 何気に出ております。
さて 誰でしょう。どうなるのでしょう。
ちょっとぐらい ヒント??

そう このブログをごらんの方だけの特権です。
この人物 XXX界のBMWと私がひそかに勝手に呼んでいる人物。
BMWというのは 乗っている車ではありません。本人が特に好きなものを 頭文字でするとこうなるのです。ではひとつだけ答えを。Bは ビールです。底なしです。

あとは MW は皆さんにご想像いただくことにいたしましょう。 


2010年6月10日木曜日

驚きももの木 家元Live  In 広島

広島ライブに来て下さる私の生徒 ご家族 知人の方たちは 東京組が17人、飛行機と新幹線を使い お泊りの方たちもあります。
今回もおせわになり 広島で 会社をあげて当日きてくださる方たち、仕事とはいえ 鹿児島からとんできてくださる 旧知のUさん。これも仕事となりますが なぞの人物Yさん。
うれしいです。ありがたいです。

私もご期待にこたえなくては。 

昨日は新宿展のいけこみ。
私の選んだ言葉は 長谷川櫂さんの句集から 一句。
言葉とつながっているようにいけられたでしょうか。 その長谷川さんのお嬢さんで 長いこと私のクラスの一員であるAさんが いけこみを手伝ってくださいました。



 

2010年6月9日水曜日

驚きももの木 家元ライブ IN 広島 近況報告

昨日は 早朝 ホテルのお稽古のあと 今日いけこみの新宿高島屋の草月展の花材を 花屋さんに見に行きました。オーダーしたのはいいけれど 実物をみていない!!! 直前になってこの騒ぎ。 いつものことで この性質を嘆いていた母親の (あなたは もうーーー だからあれほど前から準備しなさいっていったのに) という言葉がきこえてきそうな泥縄状態です、
そういえば 泥棒を捕まえて縄をなうーーという言葉もきかれなくなりましたね。
少し花材を足すお願いをして草月会館へ。

先だって家元も含め 出演者 スタッフの顔合わせをしましたが 今回はアトリエで照明の打ち合わせをしました。
これに先立ち アイデアが一部変わり 絵コンテのきれいなものをせっかく描いてくださったNPM さんをもう一度 煩わすのは気が引けたため 色鉛筆などの筆記用具を持ち込んで 草月会館の2階で絵コンテの書き直し。

それから アトリエのM.さん NPM さん 事業課のM さん など現場のメンバーたちと会議、照明のSさん 演出家のKさんに変更したところを説明。
ちょっと家元のプランをアトリエが説明するのを聞いていたら やはりすごいことになりそう。
大丈夫か私!!

それから目黒のクラスへ。広島においでくださる目黒のクラスのメンバーは (泊るところはちがっても ライブのあとでみんなでお食事をしましょうよ お好み焼きかしら) などとお気楽に相談をしていました。
(あ 先生はいらっしゃれないですよね。) ーーーーハイ。

人の苦労も知らずーーーーー 
  





 

2010年6月3日木曜日

驚きももの記 家元ライブ In 広島

今日は6月3日!!ということは 丁度一ヶ月後に ライブです。
カウントダウンが 始まりました。

公にブログにかけることは 限られていて  当日までの秘密が多いのですが できる限り書きたいと思っています。きっと後からのほうが (今だから話せる ライブの裏側シリーズ!!!)という事でもっと面白い話を お伝えできるのではと思います。終わって どっと落ち込んでいなければの話しですが

いえいえそんなことではいけません。 前にすすむことあるのみ!
考えられることは すべて考え でも当日はリラックスしてーーというのがプロ中のプロ 
しかし現実はそれでもいろいろ思いがけないことも起こるのです。

いけない いけない さあ いつもの私に戻ることにいたしましょう。

2010年6月1日火曜日

驚きももの記 バラの日々

この日曜日 私は中田邦子さんの作ったバラに囲まれていました。
斜面を利用して作られたバラ園は 彼女がまずその場所を選び 作り上げていった庭なのです。

(これもバラなの!?) 

到着したときから 一歩進むごとに 私と友人はそのバラの色や形の多様さにびっくりしたり 感嘆の声を上げたりーーそれはおそらく 花屋さんでは決して見かけるものではないことは 一目でわかりました。緑の自然の中に咲き誇るバラ そんな中で中田さんのお話をうかがったのです。もともと画家で 彼女の絵もかかっていましたが 描かれた色の鮮やかさ、華やかさ 明るさ 何よりも命があふれているのはご本人そのものでした。

バラが好きで好きで、次々と植えていったバラは どの隣にどのバラと 色や形などを考えて植えられているのは さすが画家です。 今ではバラ園を作りたい人は 中田さんのアドバイスを求めてくる人が多いとか。その日もバラ愛好家のグループがおいでで バラをさして これは何ねーーという声が聞こえていました。
化学肥料はできるだけ避けて 堆肥からつくる という彼女は あちこちに出かけていって バラ園を設計したり 作るお手伝いをしておいでということでした。バラにお金をつぎ込んでしまったわ!大きな帽子の下から 少し日焼けした太陽のような笑顔が素敵でした。


たくさん聞かせてくださったお話の中にこんな話がありました。
そこから 少し行った自治体経営の病院のバラ園は そのときもう手入れがいきとどいていない なぜなら昨今の例にもれず 予算がそこまで回らないから、ときいた彼女は バラの苗を200本寄付したのです。


ご存知のようにバラは とても手のかかる植物です。病院にバラの専門家がいるわけでもなく そのままほおっておくわけにも行かず しばしば手入れ方法を助言したり 手伝いに行くことになりました。
丹精の結果 美しいバラがつぎつぎと咲くようになりました。

 ある日 気持ちのいい空気と光の中で手入れをしていると 光の反射している 大きなガラス窓ごしに誰かがじっと見ているのに気がつきました。それは 車椅子にのった青年でした。彼の 顔つき そして 衣服の上からでも見て取れる体の情況に  中田さんは 見た瞬間 この人に残された時間を知ったといいます。
そこにはホスピス棟もあったのでした。
その車椅子の青年は  何かから解き放たれたように いつまでも静かにバラに見いっていたといいます。 
バラに注がれたまなざしは うっとりとした、 何か地上で平安を得たように。いや それどころか まるで時を超越した至福の表情のようで 中田さんの眼にやきつき今でも忘れられないそうです。

私 もう いい! これでいいと思ったの!
人間の幸せって お金でも名誉でもない。有名になることでもない。
こういう ほんの一時が私に与えられたことが バラを作り続けた私の最高の幸せの一瞬だって!
今までバラを育ててきたのは このときのためだったのだって。

風が起こり バラたちが一瞬甘い香りをいっせいに送ってくれる、そんな中で 彼女の話を聞いた私たちは 心の深いところで 限りない共感と 暖かいものが流れているのを感じていました。   

花をいけ続けることで そんな貴重な機会に恵まれたら。。。
私も中田さんにあやかりたいと思いました。 








  

2010年5月31日月曜日



 見えますでしょうか。せんだん の 花です。 栴檀はふたばよりかんばしーーーの せんだん と思っていたのですが あれはビャクダンの漢名で したがってこの栴檀に香りはないのだそうです。。皇居のお堀のはた 千代田区役所の前に咲いていました。秋にはうすい緑の実をつけます。

2010年5月28日金曜日

驚きももの記 Kさんグループ と 言語

家元ライブ in 広島 に関して なぞの人物とそのグループをご紹介しましょう。

アイデアもかたまってきたある日 あるグループの長であるKさんに電話しました。
もう10年近くKさんとこのグループを知っています。
私はこのライブのこと説明し 協力をお願いしました。
そして協力といっても スポンサーになって、ということではなくて これから分からないことが多くなると思うので アドヴァイスが欲しい 舞台に直接上がっていただくことは無いけれどよろしくお願いします ということを 手短に話したと思います。

話しながら そうそう このKさんは 全国を飛び回っておられる方。したがって今 この場で 具体的な答えが欲しいというときには 間に合わないので どなたにおききしたらいいでしょうかというと (ほうじゃ ほうじゃ  ほな あれにいって!)と指名したのはXさん。 

そこで見かけたことはあるのですが 話すのはほとんどはじめての X さん。Kさんと同じく実にローカルなひと。
はじめは東京出身の私の話す言葉に 無理に合わせようとしていたのですが こりゃ いけん!と思えば 不思議に話しているうちに 私がそちらの言葉になる。(じゃけんーーこういうほうがーーどうでしょね)と私、
(音読していただければ ”どうでしょね”ーーの ”で” にアクセントがきます)
 ほじゃけん がんばらにゃいけんのよ。このライブ!

福島さんは英語がおできになるから 海外においでになってーーとおっしゃるる方が多いのですが きちんとおできになる方は 私の英語 たいしたことが無いことがよーくおわかりです。でもなんというか その中心にあるものを何とかして伝えたいとなると ほんの少しにせよ伝わることもあるのです。


だいぶ横道にそれました。
強い意志があれば 何とか道は開ける そして協力をしてくださる人を大事にするーーということを信じたいと思っていて それをいいたかったのですが 言葉の話になってしまいました。
東京で生まれ育ち 東京にずっと住んでいる私も 東京の方言があります。外国語も東京弁も 地球という規模で考えれば それぞれの地域のお国言葉なわけですよね。いけばなという 共通の言語でライブでは話したいと思っています。

なぞのグループの バックアップをうれしく感じながら準備中であります。

。  

2010年5月26日水曜日

驚きももの記 家元ライブチケット

広島のライブのチケット 完売したとのことです。
1060人ちょっとの席が 埋め尽くされるのです。
家元も オーストラリアから 無事おかえりになって 現地でのデモンストレーションは この広島ライブのことを意識なさっておいでのこともあり いっそう華やかにダイナミックな展開に 700人の観客は酔いしれたと聞いています。

さてさてこの私、いつものことながら まだ詰めが甘いと思っているのです。
時はどんどん 過ぎて行ってーーーーーーーー。

カウントダウンが始まります。フウーッ!

でもその前に 新宿草月展があります。
いつもテーマがあるのですが 今年は自分で言葉を選び それによって花を生けます。
短い言葉 詩 歌の一部 俳句 などなど。
新宿高島屋 6月10日から6日間です。私は前期ですが これが終わると一気に 家元広島ライブに突入です。
 

2010年5月22日土曜日


がまずみ です。秋になるとつややかな赤い実をつけます。スイカズラ科

驚きももの記 家元ライブ in  広島 助けは遠方より

舞台の模型といっても フロアーの広さを 100分の1にしただけですので たかが知れています。

しかし なんと言っても狭い我が家 机の上には広げることは不可能なため 床の上に。それを毎日見下ろしておりました。ご想像のように 驚くほどの部屋の雑然さ加減は 前にここでも書いたとおり。
ゲゲゲの女房をごらんの皆様 仕事部屋 あんなものではございませんよ。家はリビングすなわち仕事場です。そしてもっとすごい状態です。
そんな中に鎮座ましましている私は 水木先生の才能に反比例するわけで 日々うなっている状態でした。

そこに 40年近く お付き合いいただいている知人夫婦の奥様から 電話。
(どう 変わりはない?)との質問に 今の状態を説明すると (あら!家使えば!)というお言葉、

実は私と同じ屋根の下ではありますが かなり上方におすまいです。私はこの いわばまったく他人の家に  独立したお子さんたちもない マイご飯茶碗と マイマグカップが 引き出しにあるのです。

そのときは 長めのお留守で 丁度 誰もおいでにならない。(あなた 鍵渡したでしょ。あの部屋に机が2つあるから くっつけると 丁度 のるのではない?その模型)との言葉を頂きました。

その日から私は数日間 エレベーターで 毎朝上の階に出勤しておりました。麦茶とそのほかいっさいがっさい必要なものを 大きなバッグにつめて。
階が変わり 周りの景色もかわると 考えも変わってくるのですね。
模型を机に広げてみると 目線も変わる ということにいまさらながら気がつきました。
ただ空間の移動だけで こんなに気分もちがうのですから 広島は広島の気分があることでしょう。
テレビも電源が分からないのでつけられず 雑念もわいてこないで集中。 持ち込んだ ICレコーダーのみが疲れてきた頭に心地よい。さぞかし はかどるだろうーーと思ったのですが。

2010年5月21日金曜日


驚きももの記  家元ライブ In 広島 絵コンテ好き 続き

すこしまえに 絵コンテを描くのがすき と 書きましたが その昔 たとえばとりとめもなく スケッチブックに ずっとこんなものを描いていました!その一部です。確か線のほうは(樹) をテーマ 着色したものは(葉) をテーマにしたものだったと思います。

今回のライブの絵コンテは もっと雑なものでした。むかしは時間があったのだ と これまた(発見)です。

。 

2010年5月19日水曜日

驚きももの記 家元ライブ In 広島 

会議の後 もう一度案を練り直そうと思った私は (もう何案か考えてみます)といったものの 当日 舞台の上であたえられたこの40分 どう展開したらいいか 机に舞台の見取り図を広げていました。 来てくださった方たちに (きてよかった!)という気持ちになっていただくにはどうしたらいいのだろう。

規模は小さいですが  教室をしているものにとって 来た人がいい時間がすごせたと思ってくれることが 自分にとって もっともうれしいこと。 それと同じことでしょう。

振り返って 今まで家元ライブで 出演をなさった諸先輩の一番のハイライト そのシーンはどれだっただろうかと思い返しました。それは 各々の作品を通じた独特の色使いだったり 御所車にはかま姿の先生お二人によって美しく力強くいけられた花たち 紙管という材料を効果的に使ったり 天井に張られた網からのぞくオンシジウムの黄色 あるいは竹を 大胆に使い舞台のバトンからつるし 揺らした影にみんながわいたこともありました。各々の講師がさまざまな 表現をしてきました。自分の記号を持っていました。

さて私。何をすべきかは この50年 草月いけばなにかかわってきた自分の歴史の中に 答えを探そうと思いました。この50年は誰のものともちがう。何かヒントが無いだろうか。
海外で 花材に苦労したこと、器が思うようなものがなかったこと。もちろん ああ しまった!という経験もたくさん。反省の数々、国内でも同じこと。でもそれが全部自分の財産。
これ ちょっといい自分の棚卸しかも。

私でなければできないこと。花材の使い方 広島 うーーん。
コピー用紙の デッサンの山ができ 我が家は 泥棒の入った後のようになったのでした。 


  
 

2010年5月16日日曜日

東京のカラヤン広場で



近頃知り合った 中田さんの育てたバラです。彼女は知る人ぞ知るバラの権威です。

2010年5月9日日曜日

驚きももの木 家元ライブ in 広島  絵コンテ好き

家元と 関係スタッフとの会議があったのは 春のきざしを 感じ始めた頃だったでしょうか。
その日までに 絵コンテを仕上げなければなりませんでした。映画の黒澤明監督の絵コンテは有名ですが 各シーン 簡単な絵を書き 全体のイメージを明らかにしていくものです。


(先生!ひょっとしたら 家元のアイデアと一部だけですがかぶっているかも)
と 事業課のMさん, (え!ほんとう!?)といったのが会議の当日でした。
(早くいってよ!!!!)と心の中では思ったのですが 彼女にしてみてもふたを開けてみないと はっきりいえない ということがあったかもしれません。会議では確かにほんの一部ですが 方向性が少しかぶるところもありました。そして さすが家元の案は きっちりと抑え ダイナミックで明確でした。 できる できない とか フワッとしか考えていなかった私は 詰めの甘さを反省しました。

(わかりました。ここの部分は何案か代わりをだして 次回ご相談させてください。)

会議でさらりといった背景には 2つの理由がありました。ひとつはまじめな理由で。もうひとつは そうでもない理由で。

後の理由というのは 実は絵コンテ のようなものを描くのは大好きなのです。書いていると時間を忘れます。いくつもいくつも 同じものが次のシーンにとう変化していくと描くのは 苦になりません。
(でも展覧会開催の2ヶ月前までに 作品のデッサン提出 というの苦手ですよ。生の花の場合)

私が何をしているのか明確に分からない友人知人に これではいけないと いけばなのデモを見せようと 四季の花材を使った ごくごくプライベートなデモシリーズをはじめて 3回になります。大掛かりではないというものの 絵コンテを毎回描いていました。舞台で誰がどこに立ち できた花はここにおき 次は これが移動してーーーなど想像してかいていく、これが結構楽しいのです。

振り返ってみれば 子供の頃 退屈な授業は 先ずは先生の似顔絵 次に鉛筆でなんだか分からない形のいたずら書きーーをよくやりました。それが自分で気に入ると 次々発展し描いていきました、もっとさかのぼって 幼稚園の頃は へんな線の絵を描き 人をつかまえて画用紙の外にある(当然自分しかみえない)というものまで説明して (これはピカソ)といっていたそうです。

 絵コンテ好きは どうもこの頃に根があるように思います。


2010年5月4日火曜日

驚きももの記 広島への道 ちょっと寄り道 ルーシー リー展



陶芸ではどの作家が好き?といわれれば,まちがいなく私はルーシー リーをあげます。
一番最初に彼女の作品に出会ったのは 1989年 当時 草月会館のなかにあった草月美術館での展覧会でした。
(イッセイさんが 好きでね。とてもいいよ。)と 前家元の勅使河原宏先生が ぜひ見なさいとみんなに勧めていたのを覚えています。確か会場構成も三宅一生さんでした。
私は一目で魅せられてしまいました。
シンプルで 繊細で 色が美しく 暖かく こちらに押し付けない静けさがあり 回りの空間まで軽くしてしまうような そして 女性作家の華がありました。
 今回の展覧会で 時間を忘れてみた 映像に映った彼女は 品のある人でした。そして若い頃から年代順に並べられた作品に 彼女の一生を貫いた(ぶれないもの)を見た思いがしました。それは今の私に 強いメッセージとして 発信されているように思えました。重い図録と作品をのせたクリアーファイルを買って帰りました。会期中にまたいってもいいかなと思いながら。

もちろん クリアーファイルには 広島の家元ライブの書類を入れることにしています。


[ルーシー リー展は 東京の新国立美術館で開催中、この連休はあいてますが 6日木曜は休館、いつもは火曜休館です)








 

2010年5月2日日曜日

驚きももの記 家元ライブ in 広島

連休で都会も静かです。
今日は思いついて 舞台の模型を作ることにしました。
といっても実に アバウトな模型です。
何事も適当という評判のある私が きっちりしたものを作れるはずがありません。
でもいいのです。きちんとしすぎると 不思議に考えがわいてこないのです。セロテープをはるのも ぐしゃぐしゃ。線引きも許容範囲なら まがってよしーーという 実に (ゆるい)模型が出来上がっていきます。

今日であと2ヶ月に迫ったとなると 追いかけられる気がしてきました。いかん、いかん。
これでは 客席で見る人もどこか窮屈な思いがするでしょう。。。。といいつつ 制作にかかるのは 少し周りを片付けてから。。もうここで挫折です。

少しCDでもきこうかなあーーとまた ぐずぐず。不思議なことにこういうときのBGMは スペイン語がいいのです。つまり ラテンですね。それも軽いもの。ボサノヴァも悪くないですね。アイデアがわきだすと オペラのCD たとえば(道化師)などをきいたり、トスカ などがよろしいようで。やらないでどうする!この心に秘めた思い!」などと発破をかけられる気がするのです。

でも気がつくとCDが 終わったのも知らないで制作に没頭している。--これが私の理想的な制作の体制にはいる順序です。

・ 

2010年5月1日土曜日

驚きももの記 家元ライブ In 広島



この連休 皆様はいかがお過ごしでしょうか。
わたしは広島に向けて じっくりと案を練ろうと どこにも出かけない覚悟をきめました。。。


しかし 先ず朝の空気を十分に吸うべく早朝の皇居一周をしようと思い立ちました。
朝日のあたる新緑が眼にまぶしく 桜もさくらんぼうをつけていました。[写真)一人前に少し赤みを帯びてきていました。もみじの若葉の色は本当に美しい。一句ひねろうかというものです。
万緑や ああ万緑や 万緑やーーーーん?どこかできいた!

犬の散歩や ジョギングのひとも、さすがにこの時間はまばら。この目の前に広がる美しい道は私のトレーニング専用と思うとぐっと贅沢な気分に。
ふと思い出しました。ウイーンに行ったとき 郊外に足を伸ばしました。もう少し夏に近づいていましたっけ。この道はベートーベンが 交響曲六番 [田園)の曲想を思いついたところです。と紹介された道。
ここ東京も 皇居を囲む美しい公園や道や木陰。ベートーヴェン様 なにとぞ、私にもインスピレーションを!!!
まあ 人頼りでは だめですね。家に帰って 真剣に考えよう--とおもって 今日で3日 皇居まわりを 早朝ウオーキングしている私です。


2010年4月28日水曜日

驚きももの木 広島家元LIVE  思い出すのは

海外40カ国以上でデモンストレーションをすれば なかでも印象深い国や都市はいろいろあります。仕事が大変だったところ うまくいったところ いかなかったところ 考えさせられたところ。終わってジーンときたところ。

そのひとつが ワシントンD.C.の ケネディセンターでの デモンストレーションです。
先代の家元 勅使河原宏先生がそこでデモをなさることになり 私も随行することになりました。
500席は売り出しそうそう完売になってしまったそうで、宏先生は大きな作品をなさるので 福島は小さい作品を 次の日に同じ会場でデモンストレーションをするようにといわれました。

晴天のへきれきというのはこのことでしょか。
家元のデモをみられないかたたちが 次の日変わりに福島のデモを???????!!!!!!!!!!
責任重大ということがこれ以上あるでしょうか。
それと私は 直前の3月後半の二週間、 スーダン オマーン サウジアラビアに派遣され そこでデモをすることとなっていて ワシントンに飛ぶのは この中近東アフリカの旅から東京に帰り わずか5日しかない。

丁度の年、私の節目の誕生日は このスケジュールがすべて終わってワシントンから東京に帰る日になる。この自分にとって記念すべき日 泣いて帰るか これからも頑張ろうと思うか。これから私の未来は、このデモンストレーションできまる と思ったものです。

ワシントンに飛んでその準備の日 アトリエスタッフと 草月のメンバーが朝早く待ち受ける中 楽器を運ぶ 長いトラックで 南のほうから桜の鉢植えが大量に到着しました。[ハーイ!)と運転席から顔を出したのは中年の女性で 息子と変わりばんこで夜走ってきたわよ! と 親子でおいしそうにマグカップのコーヒーを 口にしました。なんだか 私はそれを見て元気になりました。

家元の桜を使った舞台の大作に、ワシントンの観客はわきにわき スタンデイング オベーションで その幕を閉じました。

いよいよ次の日 私のデモンストレーションの幕があきました。 すると、前列に宏家元 眼力ですぐ気がつきました。隣にはお嬢さんで 北米局長の勅使河原季里さん。
それからのことは 実はあまりり覚えていません。
有能で これ以上考えられない 家元アトリエスタッフたちが ついてくださったおかげもあり 無事終えることができました。一週間前のサウジアラビア スーダン オマーンで 大使夫人はじめ多くの方の大変な協力はありましたが このワシントンでの花のエキスパートの協力は何物にも変えがたく ありがたさをひしひしと感じました。 
その前の晩 終わったらおすし屋さんで待っているからという 宏家元の言葉に 片付けもあるので と申しあげたところ いいからまっているとおっしゃっていました。

すべておわり アトリエスタッフの何人かとおすし屋さんにうかがいました。先生はカウンターに徳利を前に たったひとりでお待ちでした。 おつまみがちょこんとあり お箸が行儀よく箸おきに おかれていた光景を忘れることができません。
お疲れさま よかったよ、静かに言った一言で私の中の何かが解けていく感じがしました。

あれから 10数年。そしてこんどは 宏家元の次女でいらっしゃる茜家元のLIVEに 花を生けさせていただくのは 感慨深いものがあります。どこからか (福島君、よろしくね!)という声も聞こえてきそうで---頑張らなくちゃ!!

2010年4月25日日曜日

驚きももの木 家元Live In 広島

次の日大阪で仕事をなさる家元も この日 急遽下見においでになることに。並んで最後列から舞台を見下ろすと 小さな花などいけてもここからはなんだかわからないだろうなあと思えきます。
[大きいですね)と思わずいった私に おおきくうなづき下の段に降りていかれるのを 追っかける私。企画課のMさん アトリエのMさんはその間 舞台の入口 などを図面を見ながらメジャーで徹底的に図っています。
楽屋も秘書のNさんとチェック 、導線も 大きな花材を運ぶのに 確認です。搬入口が舞台と近いので助かりますね、と アトリエの責任者M さん。トラックがつけられる駐車場も確認。」エレベーターの大きさ 途中のドアの高さ 幅など。

家元 客席に座ってごらんになる。私も一番横の列から舞台を見てみます。
前もって図面は渡されていたけれど 実際に見るとやはりその大きさをひしひし感じます。
舞台もそうとう奥行きがあり 幕もたくさんあり 想像力をかきたてます。
あれもできるだろう。これも面白いかも。

しかし私はかきたてられすぎて あとでまとまらず 大変なことになるのです。
 

こう書いてきて M が イニシャルのスタッフが こんど御世話になるひとたちに多いことに気がつきました。。どうしたらいいかなあ。私の担当の アトリエスタッフの ひょろりと伸びたMさんもそうだし。まだこのブログには登場していませんが このMさんに私は(ねえねえ あれはどうでしたっけ。長すぎたら問題よねえ。あれはどんな大きさ? )などと 話をするたび (あーーそれはですねエーーーーこうですからーーだーいじょうぶーですよおー)と落ち着かせクールダウンさせてくれるので 助かっています。

企画課のレデイMさんは今までどおり M
アトリエの責任者 M さんを AM 
アトリエの私の担当のっぽのMさんを NPーM にしましょう。どうぞよろしく。

2010年4月22日木曜日



この写真 なんだか分からなくて申し訳ありません。これが会場です。この日 夜のために公演の準備中のところにお願いして ちょっとだけ お邪魔しました。さて いったいここで どういう風にライブが繰り広げられるのか 考え込んでしまいました。この写真で見る限り座席も舞台もほんの一部で 分からないと思いますが 1000人以上収容。それにしても 広い!!!!


驚きももの木 家元LIVE  In  広島

さて 日にちはきまったものの 何をしたいかと 言われれば それは もういろいろなアイデアがわいて。。。。といいたかったのですが 何しろ場所を見ないことには イメージも浮かびません。
これは 年内には下見を予定しているということで 安心したのでした。
7月になり 家元にご挨拶も済みました。そのときは 先生は にこにこなさって (よろしく) とおっしゃったのですが お忙しいい方なので きっとそのときは私とおなじくまだ時間があると思われていたことでしょう。

数年前 創流80周年の記念のライブは 国技館で行われました。6000の席が全部埋まり 家元によって中央のステージにさまざまな場面がさまざまな花材とともに展開されされました。 その間をゴスペルシンガーが歌い ダンサーが踊り 前の3代のどの家元もなさってないことだ と私は感じながら 興奮の中におりました。 

それから 大阪 仙台  鹿児島 札幌 名古屋とライブは続きました。
いけばなをよく知らない方たちに いけばなはこんなことも可能なのです と興味を持っていただくきっかけになってもらえばというコンセプトで 各地を回ることになったのです。
家元のほかに 各回講師の皆さんが それぞれ個性的な舞台を繰りひろげ 私もこんどはどうなるのかしら と 追っかけをしておりました。元赤レンガの倉庫の会場で。 あるときは 1000人入る 急な客席で少し居心地の悪さを感じながら。 会場に着くまで 桜島は噴火しないでしょうかねなどと冗談を言いながら 。。。。。。。 場所もさまざまですし  季節もちがえば 繰り広げられる花もちがい 毎回楽しんでおりました。
まさか私が次の舞台を担当するとは知らず。

そして 季節はめぐり 去年の12月 広島の会場 下見となったのです。 

2010年4月18日日曜日

驚きももの記  ついに

年が改まって2009年となり やがて 桜のたよりも待たれる頃 会館で企画課のMさんとすれ違いました。

日にち決まりそうです。

?何が?

家元LIVEの日にちですよ。

!あの話 生きていたの?中止ではなかったの?

いやだ先生。延期といってましたでしょう?!来年ですから まだ時間はありますけれど。

こんな会話が交わされました。

それから何週間かたち そしてついに決まったのです。

家元いけばなLIVE In 広島

2010年 7月3日(土)13:00-15:45

場所は広島市 アステールプラザ 大ホール


そう! あと一年と少し どうしようか。。。。広島への道が敷かれた一瞬でした。

驚きももの木 いけばなと アレンジメント



このブログをごらんになっている方で アレンジメントをしているけれど いけばなにも興味あるーーという方もおいででしょう。ではアレンジメントといけばなのちがいは?
おととしの春 NHK俳句に出演していらした俳人の長谷川櫂さんに招かれてNHK教育テレビ出演したときのこと。そんな質問を長谷川さんから受けました。

いけばなは 線や花で空間をつくり 生かそうとします。アレンジメントは空間を埋めようとします。

確かこんなような返事をしたと思います。それを長谷川さんが興味を持ってくださり、昨年(和の思想)という本の中に書いてくださいました。デモンストレーションの様子も書いてくださっています。

長谷川さんも大岡信先生ご夫妻を通じて知り合った方のひとりで結社をお持ちで 俳句の分野で たくさんの句集 著書があり 受賞も数知れず。きっと後世のひとたちが長谷川さんの俳句といったとき 必ずこの本も見てくださるだろう、私は小さな存在だけれどこの本で 活字として残った とうれしくなりました。

ところがサプライズはこれにとどまりませんでした。
今年の3つの大学の受験問題に登場したのです。
これは 長谷川さんの いわばそぎ落とした明解なことばでつづられた文章だからこそです。
しかし私のこの アレンジメントといけばなの違いの部分が 三校とも出たと知り、ますます驚きでした。
言葉が翼を持ち 飛んでいったのですね。

この3大学の受験生のかたたち。この問題はうまくクリアしたことを願っています。そして玉川大学 岡山理科大学 高岡法科大学の一年生の皆様 いけばなをどうお思いになったか 聞いてみたいです。

2010年4月17日土曜日

驚きももの木 さて デモンストレーションといえば

海外出張が多かったというと いままでに何カ国くらいいっているのですか?ときかれます。
ほとんどが いけばなの仕事でいかせて頂いているのですが いつか数えたら40カ国は 越していました、。それからずっと数えていないので 50カ国に近いかもしれません。
中には 何回もうかがったところ また 同じ国の中でいくつかの都市を回ったこともあります。

そんな旅での仕事は 参加者がいけばなをいけて それを手伝ったり 講評をする いわゆる研究会と いけばなをならっているひと または その場所の重要な そして影響力の大きい人たち その町の一般の人々に デモンストレーションをしてほしいという要望があります。

花はともかくとして 日本のように 枝物がお花屋さんに行けばあるわけではなし のこぎりや 釘や はさみ などを持って先ずは花材集めから始めるのです。
ここら辺は (南米いけばなの旅)に書いてありますが 海外の仕事で一番大変なところかもしれません。
あらかじめ許可を頂いた 植物園や公園 個人のお宅 また大使館が関係する仕事であれば 大使公邸のお庭で  大使夫人や 庭師の方に協力していただき 一番影響のない 目立たないところを切らせていただくなど。

あれは南米のどこの国だったか。かすみそうの栽培農家につれていっていただき 見事なかすみそうを どうぞバケツになんばいでもといわれたことがあります。日本では考えられず うれしくて 舞台いっぱい使いました。
その次 アメリカだったと思うのですが かすみそうが安く手に入る時期にいき これまたたくさん使いました。その結果 見事にアレルギーになり 喉はいたい くしゃみは止まらず ついに後から来る日本の人に かかりつけの耳鼻科医から 薬を持ってきてもらいました。
過ぎたるは 及ばざるがごとし というのを実感しました。


。  

2010年4月16日金曜日

大阪造幣局 4月14日

驚きももの木 家元LIVE広島への道

==もしもし! あなた!桜で浮かれているどころではないでしょう!ライブ って いったいなんですか?

==失礼しました。このブログを見ているかたで ライブをご存知のない方にご説明します。

ちょっと前に終わりましたが このホームページのSTORY というところを見ていただくと、[南米いけばなの旅)ふたたび というタイトルで 連載をしていたものがあります。
私が 若い頃南米の6カ国をいけばなの使節として回った記録を書いたものです。その中で デモンストレーションという言葉がたびたび出てきます。
デモンストレーションとは 何作かの作品を 何も無いところから 観客の前でいけていくことです。
観客は 作者と同時にいけばなの出来上がっていく過程を楽しみます。(ああ こうやって作品がつくられていくのか)と見ているかたは 気がつきます。 時には 大きな枝が花器にうまくとまるのを感心したり 次の鮮やかな花が加えられると作品の印象が がらりと変わったりーーという 作品がいけあがっていく過程を作者と同時に経験して楽しむのです。
もちろん 花を習っている人たちを対象とする講習会のように たとえば 技術とか 色のあわせかたとか 観客にとって勉強が目的 という場合もあります。
また 観客の人数も 大事な海外のお客様に 日本文化の紹介の一環として部屋で披露するささやかなものから LIVEのように 舞台で大勢の方たちの前で 大規模にいけばなを楽しんでいただくショ-というか パーフォーマンスのようなものもあります。

いずれの場合にも 普段お稽古で体験するいけばなとは またちがった意味でのいけばなを楽しんでいただくことができるわけです。 
 

驚きももの木 枝垂桜 


一昨日の京都 枝垂桜。タクシーの運転手さんに だまされたと思っていってみませんかーーといわれ だまされてきました。すごかった!!

2010年4月13日火曜日

驚きももの木 家元Live in 広島 だけどーー

広島か。。。。。いったい会場はどんなところなのだろうか。
どんな大きさなのだろうか。 何をしたらいいのだろうかーー

と、考えるうちに気がつきました。一年半近くあるではないか。
今から考えるのはやめた!
さっぱりした性格というか 執着が無いというか。これが私の短所でもあり長所でもあります。
私の前に 次の年には いくつか家元ライブがあり 私も次のライブを楽しみにしていました。いままでも大阪 仙台 鹿児島 などで行われ 二箇所にはうかがいました。 家元のほかに 先輩の講師の先生方が それぞれ工夫を凝らして 舞台の上でパーフォーマンスをなさるのを 毎回楽しんでいました。
札幌でのライブ その次は名古屋!それから広島。

私の広島の前の二箇所を拝見してから考えても遅くはない。
そうだ。そうしよう! それまで考えるのはやめよう。 私の心は少し軽くなりました。

そして年が明けたころでしょうか。
再び企画のMさんの電話、

[先生 申し訳ないです。広島のライブですが 延期になりました。)
[ではキャンセルですか?)
[あくまでも延期です)

複雑な感情が私の心の中にありました。
ほっとしたのと 少し残念だったのと。

まあ 天がどうしても私にやりなさい というのなら やることになるし そうでなければご縁が無かったということでしょう。それにしても声をかけてくださった家元に感謝しよう。、

これまたさっぱりとライブのことは忘れていたのです。


2010年4月12日月曜日

驚きももの木 家元LIVE 広島への道

忘れもしない 一昨年の11月の末だったでしょうか。
草月会の旧知のMさんから 電話がありました。彼女は企画課といって 展覧会や講習会 ライブなどを企画し運営していくーというセクションを率いています。 

ー先生 再来年の3月 予定何かはいっていますか?
ーはぁ。再来年って えーと。今2008年だから 2010年でしよう? そーんなの なーんにも入っていません。来年のことだってわからないもの。それで 何?

大きないつもの秋の展覧会がおわり ほっとしていたこともあり 私の日ごろのゆるい性格がそんな返事をさせてしまったのでした。
しかし 数秒後 私の声は確実に変わっていました。
それは家元LIVE In 広島に出演の依頼でした。その場で [喜んでおひきうけいたします)といって電話を切ったものの 私の頭の中は 突然右から左に光がとんだような。赤とグリーンと白の絵の具がまわりだしたような。あ くらくらしてきた。

何ですっって!?!?!家元が舞台にご出演の前に 私が同じ舞台でいける。これだけでも衝撃を受けたのに それもひとりでーーということです。先ず思ったのは 3月 うん!花木がある!ということでした。その次に考えたのが 2010年の3月まで 病気 怪我はできないーーと思ったのです。

こうして 私の (家元LIVE 広島への道)が 始まったのです。



(みなさまへーーー 驚きももの木 のなかで これから LIVE 広島への道 として 今年の7月3日(土)の当日まで時々ここに登場します。
 しかしこのことだけでなく いけばなのことをはじめ 身の回りのこと その他 (つれづれなるままに) 書いていこうと思います。これからもどうぞよろしくおつきあいのほど、お願いします。)




  

2010年4月11日日曜日

驚きももの木 私の木





私の木 紅枝垂(べにしだれ)です。満開のこの桜の下に立つて空をみあげると すべてを忘れ 実に幸せな気分になります。
花のドームの下の空間は 直径10mあるかもしれません。

一昨日は 展覧会の打ち上げの昼の部がありました。奥様たちで夜は出にくいという方たちが 主にあつまりました。 久しぶりに 緑の濃淡の格子のつむぎを着ました。灰色に桜を織り出した帯に 母が使っていた鎌倉彫の桜の帯止め。浅黄の帯〆。この組み合わせは 来週はもう季節が移ってしまってできませんね、

さあ いつまでも余韻に浸っていられません。 いよいよ広島の家元LIVEが近づいてきます。

2010年4月10日土曜日

驚きももの木 私の花木たち




展覧会の準備の最中にも 早朝 このあたりを ウオーキングしていました。 今日は何をする しなければならない その優先順位をつけるのに この時間 歩く間に頭を整理してはっきりさせるのは もってこいだからです。去年から楽しみにしていた( 私の木)とひそかに名をつけた木が 公園で待っています。その花が咲くのが実はこの季節の楽しみです。それは夏に自身の葉や 周りの木が茂っていると場所さえ見失ってしまいます。植物に興味の無い人は その存在すら知らないでしょう。その名は三椏(みつまた) 前にこのブログに登場したこともあります。和紙の原料になります。枝は3つの方向に出ています。いけばなをご存知の方は さらし三椏を使うことがあるでしょう。
3月 この花がだんだんかたちになって 色がつき オレンジ色を見せ始めると 春もいよいよたけなわに。この木の前に立ち 来年も 元気でここにたって花を見たいと思うから あなたも頑張ってね、と ひそかに木につぶやくのです。 

2010年4月9日金曜日

驚きももの木 みなさんが

今回の社中展、。本当にたくさんの方が来てくださいました。
2日の会期中でおいでくださった 680人プラスの中には 家元(驚き かつ とてもうれしかったです、でも少し緊張してしまいました。) 重鎮の中でも大重鎮のO先生、I先生。特にO先生は 確かお年は90の中ほど、ぴんとした背中 花をご覧になるときは 鋭い でも暖かい切り口 それに美しい。ああいう風に年を重ねられたら という憧れのまなざしでそこにいた全員見ておりました,おでましくださるなんて 感激しました。先生!長生きしてくださいね。 (あなたなんか (先生 もう私は年ですから) といっているけれど O先生に比べたら 子供じゃないの。)というせりふ 何度も言って門下を激励しています。
本部講師 助手のみなさま、また 先生方。遠いところから わざわざいらっしゃったかたがた。 このために帰りを伸ばしたといってくださった 関西の先生方。
私の花には直接関係ないけど みにきてくれた友達、また49人の出品者の ご家族 同僚 ご友人、
外国の大使夫人、元大使ご夫妻 議員ご夫妻 出品者ではないけれど サポートしてくださった クラスの メンバーたち 元メンバーたち 本部の教室の方たち スタッフの方たち ジャズ歌手 ドラマー 敏腕トレーダー 花関係の部長様 占い師。?あの人誰のしりあい???のみなさん。またこのブログをみて おいでの方も 。

みなさま 土 日 の 年度末にもかかわらず おこしいただき 本当に有難うございました。ひとりひとりには 十分に伝わってないと思いますが とてもうれしかったです。有難うございました。
この経験をを元に 又頑張っていきます。
今後ともよろしくお願いいたします。

驚きももの木 つづき



この展覧会に出品してくれた人たちの中に 過去に草月展新人賞を頂いたひとたちが4人います。
ひとりは フィンランドのリサ そして少し前のページで 桜をいけた作品の作者 そして この二人 お花屋さんに勤めるベテランです。 ひとりは軽やかに 一人は 迫力を、。2作品 まったくちがういけばなの
表現です。