2008年5月31日土曜日

驚きももの記  国際線のフライト携行品編

とんだ ハプニングではじまったカナダ行きも 無事に帰ってきました。
同じマンションに住んでいる 尊敬してやまない知人ご夫妻が 帰りを祝って奥様がお赤飯を炊いておいてくださいました。 幸せってこういうときに感じるのですね。

さて 話は変わりますが 飛行機の中で となりに誰が座るかとても気になりませんか?風邪を引いている人はいやだな・ 席は絶対に通路側、なぜなら巨漢が隣だと 暑苦しい。 体臭 口臭のきついおじさん 香水ぷんぷんのおねえさんはは勘弁してほしいなど。

それと 何で地上では女性専用車があるのに 雲の上ではないのでしょうか。
長距離の国際線で 女性専用席があれば ほんのすこしならお金をたしてもいいかなと思います。
男性だと 何か遠慮してしまいます。 (私とて100%おばさんではありません)
女性用席があれば 乾燥した飛行機内で 先ずは顔のパックをしながらいきたいです。そんな女性ばかりずらりと並んだ席を想像すると ちょっと怖いかもしれませんね。

以下は私の 飛行機の中に持っていくものです。乗っていく飛行機会社のホームページには 席に何が用意してあるか 載っているので前もってチェックします。

スリッパ 
100円ショップのにかぎる・ 帰りのフライトで捨てるから。ソックスは機内にあってもスリッパがないところあり。

ソックス
反対にスリッパが備え付けてあれば 捨てる寸前のソックスを。結構足先が冷えます。

マスク
必要とあらば 人の目など気にしないで着用します。

コイン
以前にいった国で万一残っていたら もっていく。着いた空港でカートを借りるのに小銭がいることがあります。または空港で1000円くらいでも両替してくれます。

携帯電話
その国で使えなくても 日本にかけるときの電話帳代わりに

着替え
こんど思ったのですが 一人旅の場合 荷物が出てこないときの 必要最小限の軽量の着替え

化粧品
免税店で液体の化粧品を購入した場合 乗り継ぎがあれば スーツケースに入れなければならないので買うときに注意
私は飛行機の中用に 自分の使用している化粧品のサンプルを持っていきます。基準を満たす大きさと 中が透けているのを選び コットンと一緒に。顔が乾いたなと思ったら取り出して パタパタと。
もちろんそのためには 限りなくすっぴん、となります。
しかし 有名人でもない私でも 空港に誰かが迎えにきてるとなると さすがに話はちがいます。
ポーチの中にクリーム用の小さな容器に入れたファンデーション。ペンケースに入れた数本のブラシの先にはシャドウ パウダーの残りを つけておきます。 あとペンシルくらいでしょうか。これで十分、目的地に近くなれば化粧室へ歯ブラシを持っていざ!口紅はしっかり塗ります。
到着地が 夕方から 夜にかけてなら これで何とかごまかせる。
後は昼間なら 挨拶の後さっとサングラスをかける。

お気に入りのMDを聞きながら 時間がなくて読めなかった週刊誌や軽い本。筆記用具、
知人の中には 書類を読むための時間 勉強にと決めていたり 帰りのフライトの中で その旅でお世話になった人たちに もうお礼状を書き始めるという つわものもいます。

でもボーっとしている時間が 何より貴重なのかもしれませんね。

2008年5月28日水曜日

驚きももの記  カナダから帰ってきました。

カナダの出張から帰ってきました。。。。。 トロント経由 オタワ着だったのですが なんとしっかり確認したはずの PRIORITY とタグのついた荷物が 最後まで一個出てきません。

 トロントの空港 そこで 入国のため 荷物はいったん引き取るということでした。 一人旅の私。誰か相棒でもいれば 何とかできたのですが その間 乗り継ぎの飛行機の時間は迫る 荷物は出てこない。 係りらしい人に聞いても知らない・ 航空会社のオフィスは荷物のピックアップの場所から 100メートルほど。仕方なく その間に荷物が出てきても いい!とあきらめ スーツケースを引っ張っていきました。 持ち主のわからない荷物が出てくるところを教えてもらい そこに行ってもなし。最後に遺失物の荷物の手続きをしようとおもったところ ターンテーブルに見覚えのある荷物が。とって 乗り継ぎのカウンターへダッシュ。その前に 100人ほど並んでいる!!!!
何もかもかなぐり捨て 突進。係員が止めるので 私の飛行機が出る!といっても並べという。他の制服の人にも言ってみましたがだめ。

あきらめました。やっと私の番になり カウンターの前にきたら やはりとっくに出た後。 もういい。次の飛行機は?と聞くと キャンセル待ち。最悪 後2便ありますからといわれました。

連絡をしなければ! みんなもう 私を迎えに空港に向かっている!幸い 日本人のかたの電話番号が 書類の所に走り書きをしていました。 自分の携帯は バンクーバーは通じましたがココはだめ。
初めてのカナダの公衆電話。カードでかけ 何度か間違えて 書かれている説明を読み〈英語がわかってよかった!〉 やっと通じたのは留守番電話。
とりあえずメッセージを入れました。 

気がつけば あわてていたので 携帯にかけていました。。彼女にやっと通じ 次のフライトに のれなかったら 電話をする、たぶん最後に呼ばれるから 電話をしている時間がないから 私から連絡がないというのはのったということ。迎えに出ているみんなに連絡をお願いしました。次のフライトにのれ オタワへの離陸と同時にどっと疲れが出て爆睡。

ところがーーーーーーーー
荷物は着きませんでした。積み込みは間に合わなかったのです。
出迎えのSご夫妻は ホテルに持ってきてもらう手続きをしたらいいという。どうしようもないし いわれるようにしました。 でも心配。ホテルにいても仕方がないでしょう。 ウチに食事を用意したとS.夫人はいうのです。
ホテルに来ていたらどうする?というと大丈夫 フロントにいっておけば問題はない、こういうことは慣れているといわれると もう どうにでもなれと思います。でも いや 仕事のもの 着替え 全部2つの荷物に入っているのだと考え 又混乱。
食事を終え ホテルに帰っても まだ到着せず。日本にも電話をして 何かできることは日本でしてくれないかとリクエスト。フロントいわく では来たらお預かりしておきましょう。

なに!すぐ電話してください。何時でもかまいません。起こしてください。!
その間 航空会社からもらった袋にTシャツと なんと髭剃り。やはり 女性の旅は想定外なのでしょうか。
というわけで 荷物到着は夜中の2時、 スーツケースをあけ 中のものを確認したまでは覚えているのですが あーあ!と ベッドに横たわったとたん 朝までそのまま何も知りませんでした。

皆様 乗り換え時間は無駄と思っても たっぷりとりましょう。何があるかわかりません!!!



 

2008年5月22日木曜日

驚きももの記 時差

海外に行くので 食べ物 時差は関係ないのでしょうね。

とんでもございません。 日本では 夜もふけると 3分あればころりと眠りに入る私 海外ではどうも寝付けません。若いころはそれでもなんとかなりました。今では 眠れないと仕事に差し支えます。

どうしたらいいのか。以下 私の解決法です。根拠は あるようなないような。



一週間前からイメージトレーニングをします。現地の時間を 折々に確認する。たとえば朝の10時の日本は 現地では前夜の8時。夕食のころか。。。。ちょっと何か 負担にならないものを おなかにいれます。

ランチの時間。 あちらでは朝のまだ4時。時間と場所ががあれば昼食の後 お昼寝をお勧めします。もしあなたが 地下鉄のなかなら  じっと目を閉じています。たとえ1分でも。



いよいよ当日 空港に向かう乗り物の中では 現地で何時になるか それによって到着まで 眠くてもおきているかどうか判断します。飛行機の中での 寝るか寝ないかも  逆算して態度を決めます。くれぐれも食べ過ぎぬよう。そして水分は取る。その後起こるだろう事のため いつも私は通路側をリクエスト。通路や席で 迷惑にならぬ程度に体は動かすーーというのは基本ですね。



要するに あちらが夜となる時間は 日本でもなるべく目を閉じて リラックスして備えるということです。



フランスに送った金魚が 何度送っても調子が悪かった 死んだものもいたーという話を聞いたことがあります。原因は時差から起こる ストレス。金魚は今 何時というのはわかりませんが 光はわかるわけですね。以来日本にいるときから 光の当たり方を調節したという話を聞いたことがあります。私も金魚よろしく光を調整し 到着したところが昼間なら 頑張って夜までなんとか起きています。



しかし金魚は 仕事に行ったわけではなし 眠たいときに光をあてられたりしてーーーこれがほんとうの  

きんぎょめいわく?(山田君!座布団全部もって行きなさい!)おあとがよろしいようで。。。。。。







  

2008年5月17日土曜日

驚きももの記ーー驚き

5月は 長いことかかわっている専門学校の 選択科目のひとつ いけばなの授業が始まります。
一年生で 15回のみ。 当然のことながら 毎回新しい人たちが 教科書の1の1からはじめます。

授業初日ははさみなど申し込んだ道具の受け渡し 教科書の配布など することがいっぱい。でも18歳くらいの興味深々の生徒たちに会うのも楽しみです。 ほかに コーラス 写真 英語 ブライダルについて ジャズダンス 書道 気功などなど 20近い選択科目のうちから 1つ選んだわけですから。

漢字がずらりと並ぶ名簿をみて 私は うれしく しかし複雑な気分になりました。漢字をよく見ると 日本人の学生は 半分以下でした。どうして日本が世界に誇るものに 興味がある人が若い人にはすくないのでしょうか。しかし外国人の生徒たちが せっかく日本に来たのだから といけばなを選択してくれたわけで それはそれでとてもうれしく思ったのでした。

授業をはじめ 実際にいける段になると教室にはいろいろな言葉が飛び交いました。
言葉の理解が十分でない同級生に 今わかったことを手を添えながらすぐ教える生徒も。
(これから授業の復習として 使った花材を持って帰り 家でいけてくださいね。必ず水切りはしてください。お花が生き返るためにね・〉
家に花器がない人は 水盤や 投げ入れ花器をを申し込んでください。ということも道具の申込書に書きました。毎年 花器はどこで買えますか?という質問が来るからです。申し込んだ花器も本人に手渡しました。
(学校に備え付けの花器はありますが 今日はこれからお家でいける自分の水盤を使ってもいいですよ。)と 授業のはじめに言いました。生徒たちはうれしそうに自分が選んだ色の真新しい水盤でいけていました

授業が終わると一人の生徒がブルーの花器を持って教壇にきました。
(先生 この花器を頼んだのですが 返していいですか?)
話が見えなかったので聞き直すと (教室で使うと思ったから 申しこみました。)
!?!?????
(お家で生ける器があるの?)
(ありません)
(いけばなは 家に帰ってもう一度いけると 復習にもなるでしょう。花の性質もわかるわ。)
(でも場所がありません)
(小さい花器だし どこかあるでしょう。お玄関とか 棚の上とか)
(でもわたし 学校を終えたら国に帰ります。そのときいりません〉
(でもその前に一年間 授業は15回 あるのですよ。)

なんだかクラクラしてきました。お稽古をしたお花はどうするつもりなのだろうか。結局彼女はその花器を 東京の自分の住んでいるところに持って帰ることにはなりました。

前にも 近くの駅のトイレのゴミ箱にお稽古したばっかりの包まれている花材が 投げ込まれているのを見た先生がいて問題になったことがあります。
生きているものの命の大切さ 弱いものへの心遣い そこから教えていかなければならないでしょうね。授業中だけで 完結するものが学ぶということではないことも。

外国人を教える ということは慣れているつもりでしたが。。。。
気を取り直した私は 彼女がこの一年間 どう変化していくか 見守っていこうと思いました。

 

2008年5月15日木曜日

驚きももの記 いいなーという 時がながれる

神楽坂に長いことお住まいの シニアの生徒さんから ご招待。
”星”のついたお店の支店で ご馳走になりました。
若い料理長のお料理は やっぱり日本ていいですよね、の一言に尽きる。
お料理をひきたたせるーーというよりむしろ一歩ひいた けれどもちょっと しゃれた器。
白い壷にさりげなく入れてあった 笹ゆり りょうぶ 出たばかりのさんきらい・、
五感を全部働かせて 堪能してきました。

帰り もう一軒いきましょうと I さんおなじみのバーへ。長いカウンターで 女二人 とめどもないおしゃべり。こんな時間気がつけば久しぶり。 この近くに越してきてよかったなという一晩でした。

2008年5月14日水曜日

驚きももの記 夏に向かって

このころ そろそろ夏物を出さなくては と 思っているとき こんな句を 思い出します。

無思想の肉が水着をはみ出せる
                     長谷川櫂

どうです?ドキッとしたかた多いのでは。
長谷川櫂さんは ご存知の通りこのブログでも話が出た すばらしい俳人です。
この句 私としては正面から堂々と えいやっ!と きりつけられた感じがして ( 一本とられました。まいりました!)という反応です。

でもね 世のなかには(あなたには言われたくない)という人がいます。他の知らない人ならともかくーー長谷川さんは 私よりはお若いですが ダンデイ という言葉が似合う年齢になられています。この言葉はあまり若い男性には使えませんが。
本来の意味とはまた少し違うかもしれませんが (あの長谷川先生にはいわれたくなかった)と思う女性陣も 多いはず。ひょっとしたら 一瞬 ちょっとだけ敵に回したかもしれませんよ。

しかし 現実の水着と考えなくても自分という存在 体の全体から 無思想がはみ出してるかなといつも反省をする 一句なのであります。

2008年5月13日火曜日

驚きももの記 制作ノート

ホームページのなかで GALLERY を ご覧いただいたと思います。
一番最後に 桜の写真がありますね。 1994年 作品集 花だまり と書いてあります。私のただひとつの作品集です。
本では見開きのページのこの写真 1993年の桜の作品です。 撮影したこの場所は いまからずいぶん前に取り壊されました。缶を作る会社に いとこが関係していて その工場にある倉庫の壁の前でこの作品を撮影しました。面白い場所で作品をとりたいので どこかないかと相談を持ちかけたのですが 映画のロケにも使われたこの工場を 一度見てみないかといわれ 行ってみて一目で気に入りました。

当日は空模様があやしく 何作かを撮影したのですが この桜をとるときには雨に突風まで吹きだし  手伝ってくれた生徒さんたちは 余りの雨の勢いに 黒いビニール袋を頭と手を出すために切り取り 着ていました。
工場に転がっていた 鉄のパイプが うまい具合に劣化していい味をだしていたので 花器にして桜をいけ さあ カメラマンがシャッターをきる!という瞬間 作品全体が 舞い上がったと思ったら倒れてしまいました。みんなの悲鳴に近い!あー!という声と同時でした。
この作品ーーーでも いけたのだ、私は確かにーーーーと思うまもなく私はそれを起こし 桜をもう一度立て直しました。(じゃ これで お願いします。)

あとで 作品集を見てくださった 当時の家元 勅使河原宏氏が (これ いいじゃないか!)といってくださったと聞きました。
(仕方がない もう これはいいーー次の作品をいけよう といってあきらめないでよかった)と思いました。
こうして 桜の写真は日の目をみました。それどころか あの桜の写真 いいですねといってくださるかたもいます。
ほめてくださった 勅使河原宏家元も 場所の提案をしてくれたいとこも もう鬼籍に入っています。
あの日いけられた桜は 15年たった今も 本の中で 命の輝きを放っていると思うのは 作者である私の 思い出の深さゆえでしょうか。


http://www.kokanote.com/ 






 

2008年5月11日日曜日

カナダ

 今朝も なんだか はっきりせずに寒いですね。昨晩も ジーンズのコートを着て出かけました。
お洗濯せずよかった。窓越しに見える板やかえでの鉢植えは 葉の緑が日に日に濃くなってきています。
今日は日曜、 二年ぶりの カナダ出張の準備をすることにしました。
今回は 一箇所 オタワだけなのですぐ帰ってきます。カナダの支部の会員のために 教科書の説明に行ってくるようにということなのです。
オタワも 今年は雪がおおかったようですね。今も寒いのでしょうか。世界のお天気を検索することにしましょう。
そういえばなんといってもカナダは 楓 でしたね。

2008年5月10日土曜日

驚きももの記 やはりーー

かよっていた学校には さまざまなうちの子がいました。パパは 誰でも知っている超有名企業にお勤め。何ちゃんのおじいちゃまは なになに会社の会長だって。お医者 弁護士 教授 歌舞伎のうちのお嬢さん。牧師さんの一人娘。代が代ならば 机を並べられないといったお嬢様もいました。戦後一時閉めた海外の各地の支店をあけにいくために 単身赴任をしておいでのお父様を持つ姉妹。、
 私の父は 起業をしたばかりでした。保護者の職業の欄に書いてあった会社名を見て 誰も知らないだろうなとおもった記憶があります。ちょっとほかのコが うらやましく思えたときもありました。
けれども私にはひそかな誇りがありました。

私は 海賊の末裔だということです。

父の姉の一人で私たちがちっちゃなおばあちゃんとよんでいた 弘おばあちゃんによると 何代か前に九州の大分に先祖は塩飽諸島から渡ってきたそうです。塩飽諸島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島の集まりを言うのですが 近年瀬戸大橋ができて 耳にすることが多くなりました。
村上水軍ほど有名ではありませんが 塩飽水軍というのもあると聞きました。
彼らは大坂はじめ本土との交易が仕事だったということです。もちろんその中には 海賊のような 一団もあったことは 当然想像されます。わが一族は 何代か前は 自分たちのことを 塩飽やーーと呼んでいた時期があったとか。
塩飽やーー。こんど新しくアートネームを つけるときには 塩飽屋光加なんていいかもしれない。
でも 私だと(塩飽屋 おぬしも悪よのう。うふっ!うふっ! うふっ!)のほうが あっていたりして。

大海原を自由に行き来する人々。満天の星のもと 帆に 風をうけ船を進める。 酒盛りをしたこともあったでしょう。歌や踊りが甲板で繰り広げられたこともあったかもしれない。けれども荒天のなかを渡っていく知力と体力も どんなに要求されたことでしょう。 大きな困難も自分の目的のためには受け入れる その力強さ 順応力と 予想もしない事態に対する柔軟な頭脳。
物静かな父が 戦後の混乱と 価値観もまったく覆された荒海の中を 起業という船出をあえてしたことはやはりどこかでそのDNA を 受け継いでたのかもしれません。

一族の緻密で 確実さを身上とする人が多いなか 女性陣は まことに豪快 陽気で 情にもろいといった面々が目立ちます。武勇伝も事欠きません。少々いい加減 というところが似ているといれば似ています。

しかし 海外に仕事に行くとき 飛行機が滑走路からだんだんとスピードを増しふわりと飛び立ったと思うとぐんぐんと高度を上げていくとき 無性に血が騒ぎ さあやるぞ!と 思うのは はるか昔の海賊の船出のときの血が私の中のどこかで目覚め 動き始めるからなのでしょうか。
  

2008年5月7日水曜日

驚きももの記

ゴールデンウィークも 終わりました。
さあ 仕事というかたが多いでしょう。今は一番いい季節ですね。
昨年の今頃 NHK俳句にゲスト出演しました。俳人の長谷川櫂さんの番組です。
俳句には無縁の私、あせりました。好きな俳句を一句あげなくてはならないのです。
まよったあげく 加舎白雄の

     さうぶ湯やさうぶより来る乳のあたり

という句をあげました。
この菖蒲は 私たちがいける花菖蒲とは異なり 根元が赤く 香りがします。
時代も隔たった 加舎白雄の 水(湯)に対しての感覚が私たちにも伝わってきます。
香りたつ菖蒲の葉のゆらぎ お湯のたっぷり感 、
たった17文字の俳句。
改めですごい文化だと思いました。

2008年5月1日木曜日

(驚きももの記) 再開のごあいさつ

長いことそのままのこのブログでしたが ホームページたちあげとともに 再開いたします。。
今回も 驚いたこと 心に響いたこと 笑ってしまうこと 一言 言いたいことーーーもろもろを いざーーー 。



最後のブログ書き込み以来  大きなことといえば 学士会館で 〈花のライブ)をしたことです。3月6日でした。130人という 予想もしないお客様がお見えくださいました。 教室の生徒さんも快く手伝ってくれました

実際にいけばなをいけるところを 一般の人が 見る機会がないこと。 いけばなの作家 あるいは先生といわれるとき イメージがなんとなくあること。  または余り 何をしているのかわからないーーといったかたがたが 多いのではないでしょうか。
よく 外国にいけばなの仕事で行ってるというけれど 私が何をどうしているか 具体的に知っている人は あまりいません。 
それで なるべく お花の関係ではないお客様を主にご招待して 一時間半 話をしながら 13作をステージでいけたわけです。
わたくしたちが 外国で このかたちでいけばなを紹介するのは多いのですが 肝心の日本では 限られた人たちしか見ていないでしょう。

初めて見てくださった方たちが ブログのタイトルのように  (驚きももの記 )だったのが うれしかったです。
このイヴェントには (歌われた樹々 詠まれた花たち)ーーという副題もつけました。
俳句をはじめ 詩歌などに取り上げられる植物たちを意識して 今の季節でしか目にしないものを いけていこうという試みでもあったのです。

ここ数日 急速に緑が深くなっていくのが みられます。  日本に四季があり 季節が移っていく その楽しさが ひときわ感じられる時でもあります。
さあ これから おりおり 心に浮かびゆくことなどを つづっていくことにいたしましょう。

どうかよろしくお付き合いのほどを。