2010年5月31日月曜日



 見えますでしょうか。せんだん の 花です。 栴檀はふたばよりかんばしーーーの せんだん と思っていたのですが あれはビャクダンの漢名で したがってこの栴檀に香りはないのだそうです。。皇居のお堀のはた 千代田区役所の前に咲いていました。秋にはうすい緑の実をつけます。

2010年5月28日金曜日

驚きももの記 Kさんグループ と 言語

家元ライブ in 広島 に関して なぞの人物とそのグループをご紹介しましょう。

アイデアもかたまってきたある日 あるグループの長であるKさんに電話しました。
もう10年近くKさんとこのグループを知っています。
私はこのライブのこと説明し 協力をお願いしました。
そして協力といっても スポンサーになって、ということではなくて これから分からないことが多くなると思うので アドヴァイスが欲しい 舞台に直接上がっていただくことは無いけれどよろしくお願いします ということを 手短に話したと思います。

話しながら そうそう このKさんは 全国を飛び回っておられる方。したがって今 この場で 具体的な答えが欲しいというときには 間に合わないので どなたにおききしたらいいでしょうかというと (ほうじゃ ほうじゃ  ほな あれにいって!)と指名したのはXさん。 

そこで見かけたことはあるのですが 話すのはほとんどはじめての X さん。Kさんと同じく実にローカルなひと。
はじめは東京出身の私の話す言葉に 無理に合わせようとしていたのですが こりゃ いけん!と思えば 不思議に話しているうちに 私がそちらの言葉になる。(じゃけんーーこういうほうがーーどうでしょね)と私、
(音読していただければ ”どうでしょね”ーーの ”で” にアクセントがきます)
 ほじゃけん がんばらにゃいけんのよ。このライブ!

福島さんは英語がおできになるから 海外においでになってーーとおっしゃるる方が多いのですが きちんとおできになる方は 私の英語 たいしたことが無いことがよーくおわかりです。でもなんというか その中心にあるものを何とかして伝えたいとなると ほんの少しにせよ伝わることもあるのです。


だいぶ横道にそれました。
強い意志があれば 何とか道は開ける そして協力をしてくださる人を大事にするーーということを信じたいと思っていて それをいいたかったのですが 言葉の話になってしまいました。
東京で生まれ育ち 東京にずっと住んでいる私も 東京の方言があります。外国語も東京弁も 地球という規模で考えれば それぞれの地域のお国言葉なわけですよね。いけばなという 共通の言語でライブでは話したいと思っています。

なぞのグループの バックアップをうれしく感じながら準備中であります。

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2010年5月26日水曜日

驚きももの記 家元ライブチケット

広島のライブのチケット 完売したとのことです。
1060人ちょっとの席が 埋め尽くされるのです。
家元も オーストラリアから 無事おかえりになって 現地でのデモンストレーションは この広島ライブのことを意識なさっておいでのこともあり いっそう華やかにダイナミックな展開に 700人の観客は酔いしれたと聞いています。

さてさてこの私、いつものことながら まだ詰めが甘いと思っているのです。
時はどんどん 過ぎて行ってーーーーーーーー。

カウントダウンが始まります。フウーッ!

でもその前に 新宿草月展があります。
いつもテーマがあるのですが 今年は自分で言葉を選び それによって花を生けます。
短い言葉 詩 歌の一部 俳句 などなど。
新宿高島屋 6月10日から6日間です。私は前期ですが これが終わると一気に 家元広島ライブに突入です。
 

2010年5月22日土曜日


がまずみ です。秋になるとつややかな赤い実をつけます。スイカズラ科

驚きももの記 家元ライブ in  広島 助けは遠方より

舞台の模型といっても フロアーの広さを 100分の1にしただけですので たかが知れています。

しかし なんと言っても狭い我が家 机の上には広げることは不可能なため 床の上に。それを毎日見下ろしておりました。ご想像のように 驚くほどの部屋の雑然さ加減は 前にここでも書いたとおり。
ゲゲゲの女房をごらんの皆様 仕事部屋 あんなものではございませんよ。家はリビングすなわち仕事場です。そしてもっとすごい状態です。
そんな中に鎮座ましましている私は 水木先生の才能に反比例するわけで 日々うなっている状態でした。

そこに 40年近く お付き合いいただいている知人夫婦の奥様から 電話。
(どう 変わりはない?)との質問に 今の状態を説明すると (あら!家使えば!)というお言葉、

実は私と同じ屋根の下ではありますが かなり上方におすまいです。私はこの いわばまったく他人の家に  独立したお子さんたちもない マイご飯茶碗と マイマグカップが 引き出しにあるのです。

そのときは 長めのお留守で 丁度 誰もおいでにならない。(あなた 鍵渡したでしょ。あの部屋に机が2つあるから くっつけると 丁度 のるのではない?その模型)との言葉を頂きました。

その日から私は数日間 エレベーターで 毎朝上の階に出勤しておりました。麦茶とそのほかいっさいがっさい必要なものを 大きなバッグにつめて。
階が変わり 周りの景色もかわると 考えも変わってくるのですね。
模型を机に広げてみると 目線も変わる ということにいまさらながら気がつきました。
ただ空間の移動だけで こんなに気分もちがうのですから 広島は広島の気分があることでしょう。
テレビも電源が分からないのでつけられず 雑念もわいてこないで集中。 持ち込んだ ICレコーダーのみが疲れてきた頭に心地よい。さぞかし はかどるだろうーーと思ったのですが。

2010年5月21日金曜日


驚きももの記  家元ライブ In 広島 絵コンテ好き 続き

すこしまえに 絵コンテを描くのがすき と 書きましたが その昔 たとえばとりとめもなく スケッチブックに ずっとこんなものを描いていました!その一部です。確か線のほうは(樹) をテーマ 着色したものは(葉) をテーマにしたものだったと思います。

今回のライブの絵コンテは もっと雑なものでした。むかしは時間があったのだ と これまた(発見)です。

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2010年5月19日水曜日

驚きももの記 家元ライブ In 広島 

会議の後 もう一度案を練り直そうと思った私は (もう何案か考えてみます)といったものの 当日 舞台の上であたえられたこの40分 どう展開したらいいか 机に舞台の見取り図を広げていました。 来てくださった方たちに (きてよかった!)という気持ちになっていただくにはどうしたらいいのだろう。

規模は小さいですが  教室をしているものにとって 来た人がいい時間がすごせたと思ってくれることが 自分にとって もっともうれしいこと。 それと同じことでしょう。

振り返って 今まで家元ライブで 出演をなさった諸先輩の一番のハイライト そのシーンはどれだっただろうかと思い返しました。それは 各々の作品を通じた独特の色使いだったり 御所車にはかま姿の先生お二人によって美しく力強くいけられた花たち 紙管という材料を効果的に使ったり 天井に張られた網からのぞくオンシジウムの黄色 あるいは竹を 大胆に使い舞台のバトンからつるし 揺らした影にみんながわいたこともありました。各々の講師がさまざまな 表現をしてきました。自分の記号を持っていました。

さて私。何をすべきかは この50年 草月いけばなにかかわってきた自分の歴史の中に 答えを探そうと思いました。この50年は誰のものともちがう。何かヒントが無いだろうか。
海外で 花材に苦労したこと、器が思うようなものがなかったこと。もちろん ああ しまった!という経験もたくさん。反省の数々、国内でも同じこと。でもそれが全部自分の財産。
これ ちょっといい自分の棚卸しかも。

私でなければできないこと。花材の使い方 広島 うーーん。
コピー用紙の デッサンの山ができ 我が家は 泥棒の入った後のようになったのでした。 


  
 

2010年5月16日日曜日

東京のカラヤン広場で



近頃知り合った 中田さんの育てたバラです。彼女は知る人ぞ知るバラの権威です。

2010年5月9日日曜日

驚きももの木 家元ライブ in 広島  絵コンテ好き

家元と 関係スタッフとの会議があったのは 春のきざしを 感じ始めた頃だったでしょうか。
その日までに 絵コンテを仕上げなければなりませんでした。映画の黒澤明監督の絵コンテは有名ですが 各シーン 簡単な絵を書き 全体のイメージを明らかにしていくものです。


(先生!ひょっとしたら 家元のアイデアと一部だけですがかぶっているかも)
と 事業課のMさん, (え!ほんとう!?)といったのが会議の当日でした。
(早くいってよ!!!!)と心の中では思ったのですが 彼女にしてみてもふたを開けてみないと はっきりいえない ということがあったかもしれません。会議では確かにほんの一部ですが 方向性が少しかぶるところもありました。そして さすが家元の案は きっちりと抑え ダイナミックで明確でした。 できる できない とか フワッとしか考えていなかった私は 詰めの甘さを反省しました。

(わかりました。ここの部分は何案か代わりをだして 次回ご相談させてください。)

会議でさらりといった背景には 2つの理由がありました。ひとつはまじめな理由で。もうひとつは そうでもない理由で。

後の理由というのは 実は絵コンテ のようなものを描くのは大好きなのです。書いていると時間を忘れます。いくつもいくつも 同じものが次のシーンにとう変化していくと描くのは 苦になりません。
(でも展覧会開催の2ヶ月前までに 作品のデッサン提出 というの苦手ですよ。生の花の場合)

私が何をしているのか明確に分からない友人知人に これではいけないと いけばなのデモを見せようと 四季の花材を使った ごくごくプライベートなデモシリーズをはじめて 3回になります。大掛かりではないというものの 絵コンテを毎回描いていました。舞台で誰がどこに立ち できた花はここにおき 次は これが移動してーーーなど想像してかいていく、これが結構楽しいのです。

振り返ってみれば 子供の頃 退屈な授業は 先ずは先生の似顔絵 次に鉛筆でなんだか分からない形のいたずら書きーーをよくやりました。それが自分で気に入ると 次々発展し描いていきました、もっとさかのぼって 幼稚園の頃は へんな線の絵を描き 人をつかまえて画用紙の外にある(当然自分しかみえない)というものまで説明して (これはピカソ)といっていたそうです。

 絵コンテ好きは どうもこの頃に根があるように思います。


2010年5月4日火曜日

驚きももの記 広島への道 ちょっと寄り道 ルーシー リー展



陶芸ではどの作家が好き?といわれれば,まちがいなく私はルーシー リーをあげます。
一番最初に彼女の作品に出会ったのは 1989年 当時 草月会館のなかにあった草月美術館での展覧会でした。
(イッセイさんが 好きでね。とてもいいよ。)と 前家元の勅使河原宏先生が ぜひ見なさいとみんなに勧めていたのを覚えています。確か会場構成も三宅一生さんでした。
私は一目で魅せられてしまいました。
シンプルで 繊細で 色が美しく 暖かく こちらに押し付けない静けさがあり 回りの空間まで軽くしてしまうような そして 女性作家の華がありました。
 今回の展覧会で 時間を忘れてみた 映像に映った彼女は 品のある人でした。そして若い頃から年代順に並べられた作品に 彼女の一生を貫いた(ぶれないもの)を見た思いがしました。それは今の私に 強いメッセージとして 発信されているように思えました。重い図録と作品をのせたクリアーファイルを買って帰りました。会期中にまたいってもいいかなと思いながら。

もちろん クリアーファイルには 広島の家元ライブの書類を入れることにしています。


[ルーシー リー展は 東京の新国立美術館で開催中、この連休はあいてますが 6日木曜は休館、いつもは火曜休館です)








 

2010年5月2日日曜日

驚きももの記 家元ライブ in 広島

連休で都会も静かです。
今日は思いついて 舞台の模型を作ることにしました。
といっても実に アバウトな模型です。
何事も適当という評判のある私が きっちりしたものを作れるはずがありません。
でもいいのです。きちんとしすぎると 不思議に考えがわいてこないのです。セロテープをはるのも ぐしゃぐしゃ。線引きも許容範囲なら まがってよしーーという 実に (ゆるい)模型が出来上がっていきます。

今日であと2ヶ月に迫ったとなると 追いかけられる気がしてきました。いかん、いかん。
これでは 客席で見る人もどこか窮屈な思いがするでしょう。。。。といいつつ 制作にかかるのは 少し周りを片付けてから。。もうここで挫折です。

少しCDでもきこうかなあーーとまた ぐずぐず。不思議なことにこういうときのBGMは スペイン語がいいのです。つまり ラテンですね。それも軽いもの。ボサノヴァも悪くないですね。アイデアがわきだすと オペラのCD たとえば(道化師)などをきいたり、トスカ などがよろしいようで。やらないでどうする!この心に秘めた思い!」などと発破をかけられる気がするのです。

でも気がつくとCDが 終わったのも知らないで制作に没頭している。--これが私の理想的な制作の体制にはいる順序です。

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2010年5月1日土曜日

驚きももの記 家元ライブ In 広島



この連休 皆様はいかがお過ごしでしょうか。
わたしは広島に向けて じっくりと案を練ろうと どこにも出かけない覚悟をきめました。。。


しかし 先ず朝の空気を十分に吸うべく早朝の皇居一周をしようと思い立ちました。
朝日のあたる新緑が眼にまぶしく 桜もさくらんぼうをつけていました。[写真)一人前に少し赤みを帯びてきていました。もみじの若葉の色は本当に美しい。一句ひねろうかというものです。
万緑や ああ万緑や 万緑やーーーーん?どこかできいた!

犬の散歩や ジョギングのひとも、さすがにこの時間はまばら。この目の前に広がる美しい道は私のトレーニング専用と思うとぐっと贅沢な気分に。
ふと思い出しました。ウイーンに行ったとき 郊外に足を伸ばしました。もう少し夏に近づいていましたっけ。この道はベートーベンが 交響曲六番 [田園)の曲想を思いついたところです。と紹介された道。
ここ東京も 皇居を囲む美しい公園や道や木陰。ベートーヴェン様 なにとぞ、私にもインスピレーションを!!!
まあ 人頼りでは だめですね。家に帰って 真剣に考えよう--とおもって 今日で3日 皇居まわりを 早朝ウオーキングしている私です。