2008年10月29日水曜日

驚きももの記 作品になりました

昨日 家で さんざんクリーンから 乾いてくれなかったオーガスタの葉も 遠くからはるばるやってきたドライのオーガスタも メンバーのご主人が 週末はお天気がいいから外に出したほうがいいと バスルームから 天日干しにしてくださったストレチアの葉も 全員日本橋高島屋のウインドウに集合しました。
隣のウインドウは 茜家元。
家元は白のバックに白くぬった線 白いぼく アリアムシュヴェルティをドライにして黒く着色し アルミを這わせた現代的なおしゃれな作品。
私は クラスのメンバーとお花屋さんと朝早くウインド前に集合。
ああだ こうだ そこもう少し上 と ウインドウの中と外で 電話と顔と 手振りでコミュニケーション。なんだか この季節の学校の文化祭ののりです。もし たまたま通りかかりに ご覧になった方はおかしく思われたでしょう。 2時半にはどうにか仕上がりました。お天気がよくて 幸運でした。
あちら側三面は こちらの側の色を 反転して やはり黒白の中央の家元作品と 大坂からの石川先生が2面。。先生はお年を伺えばみんな信じないかたなのです。暖かく ふわっとした中にも力強さのある作品は作者をあらわしているのでしょうか。
それで 私の作品は?
何色になったでしょうか? 当たったかたには --何も出ません。
驚きももの記をご覧になっていただき ありがとうございましたーと申しあげ パソコンの まえで 深く礼をしております。見てのお楽しみで 申し訳ございません。



  
 

2008年10月26日日曜日

驚きももの記 至福のとき

この19日 三島でデモンストレーションをしました。文化講演会は 一部と二部に別れ 一部は大岡信 丸谷才一 岡野弘彦 小島ゆかり の4人の先生方が巻かれた歌仙の発表。それに続いてのデモでした。会場は350人のお客様。私の持ち時間は ピアノの岩谷さんの演奏もいれて 40分。

あまりにも広い舞台では 小品をたくさんいけても 何も心に残らないのでは。
そう思った私は 沼津の花屋さんで 親子2代に渡って東京の 家元が使われる花屋さんで修行をした Kさんに相談しました。この一家には ここでの花材の調達に 何度かお世話になっています。

当日持ってこられた花材は私の予想をはるかに上回っていました。何が手に入るかということは 毎日のように連絡を取っていたので知っていましたが 改めてびっくり!!!!一人ではとても重くてもてない たくさんの藤ヅルの直径は どのくらいでしょうか。円を描いたようなものもありました。大好きな 赤いまゆみは 背の高さは2メートルのもあり 両側に手を広げたようでした。すずなりの柿は渋柿だといわれました。楓の紅葉は(あと5日あればもっと赤くなるのだけど) と 息子さんとそのかわいいお嫁さんがゆさゆさと運ぶのを見てKさんは言いました。舞台の照明で当てられるとすぐしおれてしまうので 前日切りにいってくださったらしい。

市場から持ってこられたのは 鶏頭くらいでしょうか。Kさんが何気なく (あの家のをもらったんだけど  玄関のところにいいのがあったけれど さすが切れなくてーー)というので わかりました。そう。知り合いの畑や 家 山林から 切らせてもらったものだったのです。伊豆のほうにも 芭蕉の葉をもらいに車を走らせて何度も行ってくれたらしいのです。

幕が開き すでに歌仙の バックとして仕上げていた柿の大枝と 藤づるの大作に続き 二作目をいけていきました。 次の作品は前のどういうところと 関連させたか あるいはまったく関係なく続けるか ということはつまり 一部のプログラム  歌仙を少し意識したものだと 私は舞台から説明しました。いける間 話の間に時々きらりと入るのは 邪魔にならず 絶妙なタイミングのジャズピアノ 。やがて大きな鉄水盤と鉄花器 を 合計三個使い 舞台に3作を一作にした大作が出現しました。
秋の 日本の自然の色と 豊かさが 黒幕の前に再現されたと思います。

完成すると 誰にもなじみがあるだろうと選曲した (星に願いを)を ジャズヴァージョンで思う存分演奏。そして最後の2分半は 岩谷さんオリジナルの(月のしずく)を 暗くした中 照明で変化をつけて作品を見せました。



大きなピアノ ヤマハのフルコンで 弾いた岩谷さんは (演奏中 みんなの耳がいっせいにこちらに向いているのを肌で感じられて 乗ってしまったよ) といい みんな いい方たちばかりで この公演中 始めから おわりまで いやなことを一瞬でも感じさせなかった。こんな気持ちよく集中して演奏できる環境は そうあるものではないよ といってくれました。

東京から 駆けつけて手伝ってくれた 休み返上の私のクラスのメンバーたち、そのうち一人は Kさん一家の真摯な心根を感じさせる 奮闘ぶりを(一家で何とかこのデモを成功させたいという思いが伝わってきて感激した サラリーマンの世界ではなかなかこんな人たちには出会えない)とメールをくれました。

  何かお手伝いしましょうかと電話」をくださった 三島在住で今では堂々たる先生で むかし本部で私が教えていた男子専科のメンバーのSさん。 そして 主催の Zkai の 皆様には私の ああしたいこうしたい というわがままをいやな顔ひとつせず聞いていただきました。

そして観客の皆様にも恵まれていたのだと思います。

至福のとき なかなかないこのひと時 いけばなをやっていたからこそだと思います。 





 

2008年10月17日金曜日

驚きももの記 オーガスタ

上のコが バスルームのなかに つるされたもの。下のコのようになればいいのですが―― 


2008年10月16日木曜日

驚きももの木 オーガスタの葉その後

我が家につるしてある オーガスタの葉が思うように乾きません。28日のいけこみまで もうすぐです。

なんとしてでも 乾かさなければ。あの乾燥したときのみに出てくる 美しい曲線を利用したいのです。
ここにいたるまで 私も努力しました。暑かった日もあった9月に リビングの床暖房を入れ 上はエアコンで乾燥を選び 10月に入ってからりとした日は窓を開けておくなど。
そんな時 クラスのみんなに どうしたらいいかしらと聞くと 思いがけないアイデアも出てきて 私もヒントをもらうことができます。奇想天外 何でもいいからいってみて!と。
(布団乾燥機なんてどうでしょうね)と 行ってくれたメンバーもいました。なるほど。

お花屋さんに行くと 乾かしてもらうように 頼んだ200本の ストレチアの葉も つるされているけれど まだ緑色をたもっている。うーん。郊外の知り合いの乾燥室に持っていこうかなと社長。 すると乾燥室なら お風呂場はどうでしょう、と メンバーの一人の Tさん。一番ここから家が近いから やってみます と ためしに100本のストレチアの葉をお風呂場につるしてくださることになりました。お家のかたごめんなさい。知らなければ きっと帰っていらしてバスルームをのぞいたら驚いてしまいますね。

我が家も乾いていないオーガスタの葉を7枚 バスルームにつりました。乾燥機をかけ 一時間後にのぞいてみると 心なしか緑の色が乾燥っぽくなっていました。それよりも植物から発する 独特の香り。
トルコの浴場や フィンランドのサウナで確か草か何かを持って入り 体をたたくとか行ってましたっけ。
きっと湯気の中にこんな香りが漂っているのでしょうね。上から下がっている 葉が なかなかシュール!
今晩オーガスタの葉をつるしたまま お風呂に入ってみようかしら。
おっと 目的を見失いそうになりました。

あいかわらず ノー天気なわたくしでありました。

2008年10月11日土曜日

驚きももの記 大岡信文化講演会2008

10月19日の 日曜日 いよいよ大岡信文化講演会2008が 静岡県の三島で行われます。
(歌仙を楽しむと)いう題のとおり 一部では大岡信氏 岡野弘彦氏 丸谷才一氏 小島ゆかり氏といった当代きっての 詩人 作家 歌人のみなさまが 歌仙をまきます。
第二部は私の デモンストレーション。

三島ご出身の大岡先生ご一家と出会ってから 35年にもなります。今ではひとつ屋根の下にーーといってもマンションですが -上と下にすんでいます。こうなったのもとても不思議な縁なのです。いつか35年前は想像もできなかった まさに運命としかいえない顛末をお話しすることもあるでしょう。

こんどの私のデモは 歌仙を意識したものを考えています。。舞台も大きいことから 作品は小さいものでは はえませんしーー ま お楽しみ。

ひとつだけ!こんどはバックに 生のジャズピアノの演奏をお願いしました。主催のZ会のみなさまも それは面白いかもといっていただき 初めての花とジャズのコラボに挑戦です。
ピアノは ジャズピアニストで 私にとってはジャズの師匠の岩谷泰行さん。恐る恐るお伺いを立てましたら [そういうのやってみたかった) と 引き受けてくださいました。どうなりますやら。

当日 秋の抜けるような青い空だといいなと思っています。

2008年10月4日土曜日

驚きももの記 BEFORE & AFTER


いい感じになってきました。もっともっと 乾いて! と念力を送っています。さあ 高島屋目指して 後一息 乾いてくれぇーーそうしたら お化け屋敷脱出なのであります。

2008年10月2日木曜日

驚きももの記 海外旅行のこまったお土産

 いただいて 困った外国のお土産のはなし。

チェックアウトのため スーツケースを部屋から出そうとしていたときに届いた 80センチほどの高さの花瓶に入れられた 50本くらいある赤いバラ。いまから?間違いでしょう!とカードを見ると送り主は これから空港に送ってくれる方。ああ 私の到着日と出発日を オーダーを受けたホテルの花屋がとり違えて 今日配達ってわけかーーーと私は思ったのですがーー
[ノー これはあなたのため!]と迎えに来た本人にいわれ 2度びっくり。この花器をお土産に日本に持って帰るようにーといわれたってーーー 80センチの花器をいまからどうやって!?!?!?
何回かのやり取りの後 またこの地に次に花をいけにきた先生に使ってほしい。こんな大きなすばらしい花器はなかなかない 預かっていてほしい とお断りをして 逃げるように空港のターミナルに消えた私と助手。なんだかもうひとつ理解できなかった思い出です。

花を生けた後 みんなの前で記念品と渡された大きくて ずしり重い包み。あけてみれば 木彫りの女神。これには困りました。そこが最終の仕事のところではなく もう一ヵ国行くことになっていました。これも高さ50センチはありました。やせているけれど黒い肌のつやがいい女神は薄い衣をまとっておいでで 今なら 誰かに日本に送るように頼むのですが それもこのときは思いつかず。それで 空港で レストランの人に事情を言ってさし上げました。でもこんな言葉をひそかに女神に言いました。[ここは暖かくて 心地いいけれど 日本は今冬なのです。このようなお姿でお連れしても 果たして 気に入っていただけるか。やはり生まれ育った土地のほうがよろしいかと思います。)

 前家元にと現地のかたからことづかったのは なんと木彫りの杖、これまた見かけより重いのです。自分ならナンとでもできますが 先生へといわれると持って帰らなければなりません。当時家元は研究会で 参加者がいけた作品を講評する時 確かに指揮棒のようなものもって[ここの空間が弱い]などといって その棒で指摘をしておいででした。それをたまたまごらんになったのでしょうね。[時には変わった指揮棒で]ということらしいのでしたが スーツケースには入らず 手持ち。 税関では中に何か隠してないかと疑われ 日本入国のときは怪しまれました。挙句、家元に 報告にいったときにお渡しすると 
(あははは!)と大笑いをされ 秘書の方に(はい。これ)と渡しーーそのあとはどうなったのやら。

今に至るまで ワーストスリーのお土産です。
杖は別として さしあげる先のことを思うより 自分のことを主張しているような気がします。
私も気をつけなくては。