2008年11月30日日曜日

驚きももの記 プライベートライブ

今年もあと一ヶ月になりました。

 盛りだくさんの行事があったこの一年のですが そのひとつが 自分からやりだしたプライベートライブ 。といっても音楽ではありません。 音関係のライブはどこからもお声がかかりそうもなく {当たり前じゃ!あの練習量では!)したがって 少しも上手にならなくて 落ち込んでおります。それでは 花のライブをやろうと思ったのが ちょうど去年の 今頃でした。

冗談はさておき 外国で私がどうやって いけばなを紹介しているのか 一番身近で 私のお稽古場に来ている人たちも あまり想像ができないだろうということ。まして私に お花のセンセイなんですって? というひとたちは 出来上がった作品を展覧会場で見てくださる方はあっても どうやって作品が成り立っていくのか、何を考えていけているのか 考えも及ばないだろうと思っていました。いけばな発祥の日本国内でさえもいけばなに対して 今では一般の人たちは漠然としたイメージしかないだろうと思ったからです。

昨年の5月 NHKの俳句の番組に 長谷川櫂さんのゲストとして出演。その前から 他のジャンルの方たちとコラボレーションができないかと思っていました。翌年となるこの3月に 先ず トークしながら 語りかけていくデモンストレーションをやってみて 反応を見ました。
(春の巻)として 桜を始めとしたデモは いけばなをなさっていない方たちを対象としたのですが 面白かったという声をいただきました。 こんどの(冬の巻)は 師走に入ったばかりで お客様が少ないのではと思っていたのに 前回よかったので 行くわよ! 楽しみ!とおっしゃってくださる方たちが続き 身を引き締めて最後の策を練っているところです。
今回は私のクラスに すくなくても十五年以上も通っていただいている3人も デモのデヴュー。そのひとりは今はフィンランドで いけばなの先生をしている リサです。今回ご主人と駆けつけてくれました。
いつも私がデモンストレーションをするときは アシストしてくださって 今回の話もはい と気軽に受けてくださった3人は 今になってリハーサルをしながら  (自分ですると こんなに大変と思わなかった たった一作なのに!)と 悲鳴を上げています。
先生の苦労がわかったか!ーーフッ フッ フ と時々自分のことは忘れ 暖かい目(?)で見ております。

この経済の不安定なご時勢に ほとんど自分もちだしのこの2回の企画は 普通なら考えられないことかも知れません、 けれど教室の皆さんほか いろいろな方が快く力をかしてくださり 忙しい中 見に来てくださる。高価なジュエリーや 服 時計や車 そういったものでなく これこそ本当の 今年の自分への最高のご褒美 と 思っています。

2008年11月16日日曜日

驚きももの記 展覧会で

展覧会のいけ込みでごった返す会場。すれ違う他の出品者のかたたちに 挨拶もそこそこ うちのグループの出品者たちを確認したり 自分の花材のことで駆け回る私。すれ違ったひとりの背中に??赤ちゃんが!きっと 子供たちのためのジュニアクラスで 出品する誰かのママなのだろう と思っていたのですが。。。。

いけこみの次の朝 つまり展覧会の初日。10時の開店前の作品の手入れにいった私は 確かに昨日すれ違った赤ちゃんを背中に 赤いグロリオーサを手入れをしている出品者を発見。周りに( やったわね。おめでとう!)の声!昨夜の審査で新人賞だったのです。
よかったわね! 私も思わず声をかけました。
(先生はどなた?)
ときいてしまったのは 実は私のところでも 一人の生徒が新人賞をいただいたという知らせをうけ 会場に飛んできたからなのです。ご本人もうれしいけれど 先生はもっとうれしい。

(W先生です。先生覚えています?わたし 本部の家元教室で 出産の前にどなたか家の近くで 子供を背負っていってもかまわないところがないか 相談したのですがーーー)

失われていた記憶が だんだん点となり それが繋がっていくのを感じていました。
いつだったかしら。私がそのクラスを担当していた あの時 彼女の住所を聞いてみると すぐ頭に浮かんだのが 歩いていけるくらいの距離にすんでおられるW先生。事務局の係りの方ともお話をして 了解を得ました。ここ数年ご病気でしたが 自宅のお教室はなさっていらした先生に 連絡を取ってみたら ということを話しました。80代後半の先生に ご迷惑かなとは思いました。ご病気は私も知っていましたから。 でも日に日に育っていく 新しい生命を近くにごらんになったら 少しはご気分も変わられるかしら。
それは私の勝手な思い込みだったかもしれません。 だったとしたら先生ごめんなさい。
それにしても 去年12月になくなられた先生が生きていらしたら どんなにかーーー
うるっと きそうだった私に 彼女はいいました。
 (ずいぶんしかられました。"花をそんなにいじめるもんじゃないよ!”って。)
ははは! 思わず笑ってしまいました。粋な江戸っ子の先生の べらんめい口調が 天から聞こえたような気さえしました。
 新人賞のその作品は グロリオーサの赤と黄色が鮮やか そして 葉の先の小さなカールがあたかも手をつないだように 右と左からからみあっていました。
それにしても彼女のママパワー。もう本部の家元教室に復帰したといっていました。

意志あるところに 道は開ける (Where there is a will, there is a way)
むかし習った 英語のことわざを 久しぶりに思い出した展覧会でした。





 

2008年11月13日木曜日

驚きももの記 展覧会がおわって

公開した写真は私の担当した高島屋のウインドウの 二面のうちの一つです。

葉を乾かすのも最終段階になり やっと塗る色を調合して さてというとき  天気の関係で 花材に色が塗ってもらえず 実際ににぬられた花材が来たのが 設置の4日前でした。最後につける 着色の豆は当日ということになりました。乾ききらなくて重かったためです。 最後の一週間は はらはらのしどうしでした。教室で 制作のため 待機していたけれど 結局だめ とかいう日もありました。やっと運び込まれたのが 金曜日の夕方、火曜日まで なんとしても仕上げなくてはなりません。そんななか時間がないけどと お稽古の後 色のはげているところを塗ってくださったかたから 毎日制作に通ってきてくれた人たち 仕事の合間をぬって 手伝ってくださったひとたち 仕事の後 かけつけて 夜遅くまで 葉をつけてくださったかたたち 朝早くから 当日集まって制作をしてくださった皆さん そしてこうなる前にも バスルームで 葉を乾かしてくださったご主人 あるからもって行きます?と乾いた花材を 寄付してくれた人。本当にありがたかったです。 ウインドウには私の名前が 恥ずかしいような大きさで かかれましたが 本当は 福島光加とそのグループメンバーの名前をひとりひとり 書きたかったくらいです。
クリスマスみたい といいながら ウインドウを通り過ぎるひとたちの笑顔が何よりのご褒美でした。・ つけた花材も二週間落ちなくて アクシデントもなく無事に終わったのが何よりでした。

何日かですが 本当に久しぶりに 抜け殻状態になりました。

驚きももの記 展覧会がおわって


驚きものの

2008年11月2日日曜日

驚きももの記 --で オーガスタの行方は

では 見ていただきましょう!私のアトリエにあった 着色したオーガスタの葉です。この後 高島屋のウインドウに移動しましたが これはまだ できあがっていないときで  作品の一部ともいえないでしょう。。他の花材も ありますし オーガスタのほかの色の着色もあります。ウインドウのなかの完成した作品の写真は 前のビルの映り込みが激しく 何度とっても素人の悲しさで うまく出てきません。残念ですが 実物をご覧になれない方は想像の中で なんとなく組み立ててくださいね。