2011年7月17日日曜日

驚きももの記 できることとは?

今度の震災で 私にできる事はなんだろうか?と考えました。
住んでいる東京には 確実に直下型がくるといわれ 明日はわが身。、今回の震災に関係した人が 私の場合 親戚や友人にはいませんでしたが とても他人事とは思えません。

私が一番自信をもって できる事 それはいけばなしかありません。
家元をはじめ 何かいけばなでできないだろうかーーという事は 地震発生後から みんなで考えていました。ものにはすべて時期があるという言葉があります。じっと まっていました。

いかにみんなが何か役に立つ事はないか なにができるだろうか と真剣に考えていました。
新聞にものらないけれど 大量の歯ブラシを寄付した会社。 そろそろこういうものも必要だろうと化粧水や 口紅を被災地に運んだ化粧品会社。毛布とか日用品を集め送った会社。子供たちが必要だろうと 学校で集め車で避難所に届けたお母さんたち。 お店の入り口に被災地はこんなものがいると情報を得て 箱を出して見知らぬ人からも 物資を受け付ける。私も石鹸をいれました。みんな 損得関係なくそっと行動にうつした沢山の人たち。

宣伝だと思われるのは いや と 言う人もいるでしょう。
でも この話 報告させてください。 近くのホテルに避難しておいでの方に  いけばなを体験してもらおうという計画を 家元と私の関係している流が立てました。
私も講師のひとりとして レッスンをさせていただきました。少し暑いけれど 気持のいい新緑の中 スタッフが 避難先から 坂を上って会館まで皆さんをお連れする。受講者はお子さんをつれたかた お年を召したかたなど 30数名が集まり 二つのグループで花をいけました。
ややっこしい事は ぬき 植物にさわってもらうだけでいい。  

教室のドアーをはいったら 植物の いけばなの世界。好きな花材と 花器も棚から自由にどうぞ。戸惑っていた参加者の皆さんは やがて講師の皆さんのアドバイスで いけはじめ。一時間ほど 教室は 植物のすがすがしい香りに包まれました。一人ひとりが 真剣に制作。私たちは質問があれば 飛んでいってお手伝い。
すべての事は とりあえずドアーの外に 置いておきましょう。刻々と自分の花の世界が出現していきました。、

使った花材は勿論流からのプレゼント。 花を大事に包み (花に触ったのは 何ヶ月ぶりかしら)(とてもいい経験でした)という方たちに 私たちは(どうぞお元気で)というのが 精一杯。
家元は個展の真っ最中でしたが ポケットマネーで 花の本とポストカードをさしあげ、花器を扱っている部署は プラスチックの組み立て花器を それぞれのお部屋でいけていただくために寄付。 近くのお菓子の老舗は 皆さんにようかんを プレゼント。
みんな自分ができる事をしたと思います。
いつか あの大変なときに 少しの間 花とむきあった、そんな思い出をプレゼントしたかったのです。
微笑みも浮かべ 楽しそうにいける皆さんに 私たちも勇気と元気をいただきました。
来てくださって 本当にありがとうございました。
どうぞ みなさま お大事に! できる事は少ないけれど みんなで応援しています。

驚きももの記 蘭奢待

蘭奢待 (らんじゃたい)ーーという言葉 きいたことがあるでしょうか?
知ってますよ!!!日本酒でしょう!?おや!なかなかの通ですね。 はい 確かにお酒の名前にあります。 
ですが 本来は正倉院に収められている 香木です。何でも 足利義正 織田信長そして明治天皇などが 一部を削り取っていて その場所は1,5m余りの高さの本体に 和紙に墨で名前が書かれているとか。秋には正倉院の御物の展示がありますが こんど蘭奢待の展示が 何年か先にでもめぐってきたら絶対に見に行きます。この香木はむろん今ではどんなにお金を積んでも手に入らないものです。 
ところで おのおの切り取られた破片はその後どうなったのでしょうか。今でも存在するのでしょうか。
信長は本能寺の変で 炎に包まれ蘭奢待の一片を抱きながらなくなったということが言われているそうですが  彼の美学からすれば それも考えられないではないでしょう。

香水といわれるものが自分には きつすぎるなと思ってから 私は ず香 といわれるお香を 黒檀で作られた丸い小さな容器にいれ 持ち歩いています。 僧侶が おつとめをするときに また書を書くとき手の汗の滑り止めに使うものらしいです。私は3種類の ず香を ブレンドして私の香にしています。 お線香くさいという人もありますが 自分では気に入ってます。何より 信長の蘭奢待を思い出すと ロマンを感じます。 平安の昔のように かすかな香りで あ 今 福島がここを通ったーなどと感じてくださるおかたがいらしたらーーハイ それはありませんよね。