2008年12月30日火曜日

驚きももの記 2008年

あと一日となった2008年・皆様はどんな年でしたでしょうか。
ここのところの経済の深刻な問題は 言わずもがなですが 何かいい方向に持っていくことはできないのでしょうか。 

個人的には 今年はうれしかったこと 悲しかったこと おかしかったこと 腹の立ったこと と いろいろな感情の起伏のあった年でした。
 自分のホームページを開いたことも私にはひとつのニュースでした。 このブログも含め みていますよ。。ということを 意外な方たちから声をかけていただきました。
ほんのひと時でも このホームぺ―ジを楽しんでいただけたのなら とてもうれしいです。世間は問題が山積していますが 来年も元気に楽しい話題をお届けできたらと思っています。少し脱線気味は来年も相変わらずでしょうから またもやお許しをこうことになりそうです。。

では新しい年 皆様にどうか いいこと 楽しいことがたくさんありますように。

2008年12月12日金曜日

驚きももの記 ライブ報告

この日 私は12作 前半はクリスマスを ほとんど自作のガラス花器を使って 後半はお正月を松に焦点をあてていけました。松といっても 大王松 蛇の目松 若松 五葉の松 根引松など それぞれの特徴があります。この五種類は 違いを説明しながらいけました。
お正月によく使う 水引の由来。結び方の代表的なものなど。
いろいろな感想の中に (男の人が見ても 面白いと思った)
というのがありました。 いけばなは 女性のものだという観念が 男性軍にはあるのでしょうかね。

今年少しでも いけばなに興味のある人を増やせただろうか と思います。
だったらうれしいですね。

ライブの写真 その6


蛇の目松です。緑色の葉ですが中に行くにしたがって黄色っぽい色になっていきます。 はじめてみたとおっしゃるかたもありました。
グロリオーサを たして はなやかさを加えていきます。

ライブの写真 その4


出来上がって ほっとしているところです。

ライブ写真 その3

フィナーレの大作にはリサのご主人 マッテイさんも 舞台の上に上がってで手伝っていただきました。

ライブの写真 その2

この3人 15年から20年近く うちのクラスのメンバーです。。真ん中が フィンランドからこのためにとんできてくれたリサ。フライトアテンダントだった彼女は 日本に来るたび 私の教室と 本部の教室で 勉強。このとき 一作ですが 共通の若松と レッドウイローで3人同時にいけてもらいました。事実上のデモデビューというわけ。

驚きももの記 ライブ報告 今回は写真で


先日のらいぶには 思いがけずたくさんのかたがおいでくださり とてもうれしかったです。
写真は 旅人の木のはなを入れているところ。

2008年12月11日木曜日

驚きももの記  HOW TO マスク

コメントも頂戴した ライブのご報告は 写真ができてからにします! お楽しみに。

さてこの冬は 新型ウイルスの風邪がはやるとかで 私もマスクをかけて外出することが多くなりました。外国人に言わせると 白いマスクはとても奇妙な光景だとか。でもそんなこと行ってられません。
なりふりなんてかまっていられません。
その上 この100年に一度の 経済の難局を突破するには 先ず自分の健康があってこそ。。。。という意気で今日もマスクで しっかりと装備をして玄関のドアをーー開け、さあ出発!。 オゾン層の破壊だとかで 気のせいか光がまぶしく 冬なのにサングラスをすることもしばしば。
ところが 私 マスクをするとサングラスが曇る。何故か?きちんと マスクのワイヤーを調整すればいいのでしょうが どうも鼻の高さと マスクの曲線が かみ合わず。。。。朝そんなことをじっくりと考えている暇もありません。曇らないというマスクも出てきましたが もうひとつ。

だれか! いいマスクを発明してください!

ついでに なぜマスクは白くなくてはいけないのでしょうか?ベトナムやタイあたりでは バイクに乗っている人は時々柄入りのマスクをかけています。
クリスマスも近いし 色がシルバーメタルのマスク あるいは金のマスクなどはいかが? 通気性が問題ならばせめて 白でも小さなチャイムのひとつもついたものとか。ストライプ。 キャラクタープリントもの。
 今の日本の技術で できても採算が合わないのでしょうか。 ブランドのロゴのついたものとかなら お姉さんでも喜んでかけてくれるかもしれない。 豹柄とか マリリンモンローの口元を そっくりプリントするとか。 変わりマスクはちょっとしたファッションにもなるのでは --というこのアイデア如何でしょうか。
 
隙間産業を狙っているみなさま 考えてみては? この私のアイデア 実際に商品化して 大流行のせつには 謝礼としてお持ちくださる場合 実際の商品で使用者第一号に というのは お断りいたします。 


。 

2008年11月30日日曜日

驚きももの記 プライベートライブ

今年もあと一ヶ月になりました。

 盛りだくさんの行事があったこの一年のですが そのひとつが 自分からやりだしたプライベートライブ 。といっても音楽ではありません。 音関係のライブはどこからもお声がかかりそうもなく {当たり前じゃ!あの練習量では!)したがって 少しも上手にならなくて 落ち込んでおります。それでは 花のライブをやろうと思ったのが ちょうど去年の 今頃でした。

冗談はさておき 外国で私がどうやって いけばなを紹介しているのか 一番身近で 私のお稽古場に来ている人たちも あまり想像ができないだろうということ。まして私に お花のセンセイなんですって? というひとたちは 出来上がった作品を展覧会場で見てくださる方はあっても どうやって作品が成り立っていくのか、何を考えていけているのか 考えも及ばないだろうと思っていました。いけばな発祥の日本国内でさえもいけばなに対して 今では一般の人たちは漠然としたイメージしかないだろうと思ったからです。

昨年の5月 NHKの俳句の番組に 長谷川櫂さんのゲストとして出演。その前から 他のジャンルの方たちとコラボレーションができないかと思っていました。翌年となるこの3月に 先ず トークしながら 語りかけていくデモンストレーションをやってみて 反応を見ました。
(春の巻)として 桜を始めとしたデモは いけばなをなさっていない方たちを対象としたのですが 面白かったという声をいただきました。 こんどの(冬の巻)は 師走に入ったばかりで お客様が少ないのではと思っていたのに 前回よかったので 行くわよ! 楽しみ!とおっしゃってくださる方たちが続き 身を引き締めて最後の策を練っているところです。
今回は私のクラスに すくなくても十五年以上も通っていただいている3人も デモのデヴュー。そのひとりは今はフィンランドで いけばなの先生をしている リサです。今回ご主人と駆けつけてくれました。
いつも私がデモンストレーションをするときは アシストしてくださって 今回の話もはい と気軽に受けてくださった3人は 今になってリハーサルをしながら  (自分ですると こんなに大変と思わなかった たった一作なのに!)と 悲鳴を上げています。
先生の苦労がわかったか!ーーフッ フッ フ と時々自分のことは忘れ 暖かい目(?)で見ております。

この経済の不安定なご時勢に ほとんど自分もちだしのこの2回の企画は 普通なら考えられないことかも知れません、 けれど教室の皆さんほか いろいろな方が快く力をかしてくださり 忙しい中 見に来てくださる。高価なジュエリーや 服 時計や車 そういったものでなく これこそ本当の 今年の自分への最高のご褒美 と 思っています。

2008年11月16日日曜日

驚きももの記 展覧会で

展覧会のいけ込みでごった返す会場。すれ違う他の出品者のかたたちに 挨拶もそこそこ うちのグループの出品者たちを確認したり 自分の花材のことで駆け回る私。すれ違ったひとりの背中に??赤ちゃんが!きっと 子供たちのためのジュニアクラスで 出品する誰かのママなのだろう と思っていたのですが。。。。

いけこみの次の朝 つまり展覧会の初日。10時の開店前の作品の手入れにいった私は 確かに昨日すれ違った赤ちゃんを背中に 赤いグロリオーサを手入れをしている出品者を発見。周りに( やったわね。おめでとう!)の声!昨夜の審査で新人賞だったのです。
よかったわね! 私も思わず声をかけました。
(先生はどなた?)
ときいてしまったのは 実は私のところでも 一人の生徒が新人賞をいただいたという知らせをうけ 会場に飛んできたからなのです。ご本人もうれしいけれど 先生はもっとうれしい。

(W先生です。先生覚えています?わたし 本部の家元教室で 出産の前にどなたか家の近くで 子供を背負っていってもかまわないところがないか 相談したのですがーーー)

失われていた記憶が だんだん点となり それが繋がっていくのを感じていました。
いつだったかしら。私がそのクラスを担当していた あの時 彼女の住所を聞いてみると すぐ頭に浮かんだのが 歩いていけるくらいの距離にすんでおられるW先生。事務局の係りの方ともお話をして 了解を得ました。ここ数年ご病気でしたが 自宅のお教室はなさっていらした先生に 連絡を取ってみたら ということを話しました。80代後半の先生に ご迷惑かなとは思いました。ご病気は私も知っていましたから。 でも日に日に育っていく 新しい生命を近くにごらんになったら 少しはご気分も変わられるかしら。
それは私の勝手な思い込みだったかもしれません。 だったとしたら先生ごめんなさい。
それにしても 去年12月になくなられた先生が生きていらしたら どんなにかーーー
うるっと きそうだった私に 彼女はいいました。
 (ずいぶんしかられました。"花をそんなにいじめるもんじゃないよ!”って。)
ははは! 思わず笑ってしまいました。粋な江戸っ子の先生の べらんめい口調が 天から聞こえたような気さえしました。
 新人賞のその作品は グロリオーサの赤と黄色が鮮やか そして 葉の先の小さなカールがあたかも手をつないだように 右と左からからみあっていました。
それにしても彼女のママパワー。もう本部の家元教室に復帰したといっていました。

意志あるところに 道は開ける (Where there is a will, there is a way)
むかし習った 英語のことわざを 久しぶりに思い出した展覧会でした。





 

2008年11月13日木曜日

驚きももの記 展覧会がおわって

公開した写真は私の担当した高島屋のウインドウの 二面のうちの一つです。

葉を乾かすのも最終段階になり やっと塗る色を調合して さてというとき  天気の関係で 花材に色が塗ってもらえず 実際ににぬられた花材が来たのが 設置の4日前でした。最後につける 着色の豆は当日ということになりました。乾ききらなくて重かったためです。 最後の一週間は はらはらのしどうしでした。教室で 制作のため 待機していたけれど 結局だめ とかいう日もありました。やっと運び込まれたのが 金曜日の夕方、火曜日まで なんとしても仕上げなくてはなりません。そんななか時間がないけどと お稽古の後 色のはげているところを塗ってくださったかたから 毎日制作に通ってきてくれた人たち 仕事の合間をぬって 手伝ってくださったひとたち 仕事の後 かけつけて 夜遅くまで 葉をつけてくださったかたたち 朝早くから 当日集まって制作をしてくださった皆さん そしてこうなる前にも バスルームで 葉を乾かしてくださったご主人 あるからもって行きます?と乾いた花材を 寄付してくれた人。本当にありがたかったです。 ウインドウには私の名前が 恥ずかしいような大きさで かかれましたが 本当は 福島光加とそのグループメンバーの名前をひとりひとり 書きたかったくらいです。
クリスマスみたい といいながら ウインドウを通り過ぎるひとたちの笑顔が何よりのご褒美でした。・ つけた花材も二週間落ちなくて アクシデントもなく無事に終わったのが何よりでした。

何日かですが 本当に久しぶりに 抜け殻状態になりました。

驚きももの記 展覧会がおわって


驚きものの

2008年11月2日日曜日

驚きももの記 --で オーガスタの行方は

では 見ていただきましょう!私のアトリエにあった 着色したオーガスタの葉です。この後 高島屋のウインドウに移動しましたが これはまだ できあがっていないときで  作品の一部ともいえないでしょう。。他の花材も ありますし オーガスタのほかの色の着色もあります。ウインドウのなかの完成した作品の写真は 前のビルの映り込みが激しく 何度とっても素人の悲しさで うまく出てきません。残念ですが 実物をご覧になれない方は想像の中で なんとなく組み立ててくださいね。

2008年10月29日水曜日

驚きももの記 作品になりました

昨日 家で さんざんクリーンから 乾いてくれなかったオーガスタの葉も 遠くからはるばるやってきたドライのオーガスタも メンバーのご主人が 週末はお天気がいいから外に出したほうがいいと バスルームから 天日干しにしてくださったストレチアの葉も 全員日本橋高島屋のウインドウに集合しました。
隣のウインドウは 茜家元。
家元は白のバックに白くぬった線 白いぼく アリアムシュヴェルティをドライにして黒く着色し アルミを這わせた現代的なおしゃれな作品。
私は クラスのメンバーとお花屋さんと朝早くウインド前に集合。
ああだ こうだ そこもう少し上 と ウインドウの中と外で 電話と顔と 手振りでコミュニケーション。なんだか この季節の学校の文化祭ののりです。もし たまたま通りかかりに ご覧になった方はおかしく思われたでしょう。 2時半にはどうにか仕上がりました。お天気がよくて 幸運でした。
あちら側三面は こちらの側の色を 反転して やはり黒白の中央の家元作品と 大坂からの石川先生が2面。。先生はお年を伺えばみんな信じないかたなのです。暖かく ふわっとした中にも力強さのある作品は作者をあらわしているのでしょうか。
それで 私の作品は?
何色になったでしょうか? 当たったかたには --何も出ません。
驚きももの記をご覧になっていただき ありがとうございましたーと申しあげ パソコンの まえで 深く礼をしております。見てのお楽しみで 申し訳ございません。



  
 

2008年10月26日日曜日

驚きももの記 至福のとき

この19日 三島でデモンストレーションをしました。文化講演会は 一部と二部に別れ 一部は大岡信 丸谷才一 岡野弘彦 小島ゆかり の4人の先生方が巻かれた歌仙の発表。それに続いてのデモでした。会場は350人のお客様。私の持ち時間は ピアノの岩谷さんの演奏もいれて 40分。

あまりにも広い舞台では 小品をたくさんいけても 何も心に残らないのでは。
そう思った私は 沼津の花屋さんで 親子2代に渡って東京の 家元が使われる花屋さんで修行をした Kさんに相談しました。この一家には ここでの花材の調達に 何度かお世話になっています。

当日持ってこられた花材は私の予想をはるかに上回っていました。何が手に入るかということは 毎日のように連絡を取っていたので知っていましたが 改めてびっくり!!!!一人ではとても重くてもてない たくさんの藤ヅルの直径は どのくらいでしょうか。円を描いたようなものもありました。大好きな 赤いまゆみは 背の高さは2メートルのもあり 両側に手を広げたようでした。すずなりの柿は渋柿だといわれました。楓の紅葉は(あと5日あればもっと赤くなるのだけど) と 息子さんとそのかわいいお嫁さんがゆさゆさと運ぶのを見てKさんは言いました。舞台の照明で当てられるとすぐしおれてしまうので 前日切りにいってくださったらしい。

市場から持ってこられたのは 鶏頭くらいでしょうか。Kさんが何気なく (あの家のをもらったんだけど  玄関のところにいいのがあったけれど さすが切れなくてーー)というので わかりました。そう。知り合いの畑や 家 山林から 切らせてもらったものだったのです。伊豆のほうにも 芭蕉の葉をもらいに車を走らせて何度も行ってくれたらしいのです。

幕が開き すでに歌仙の バックとして仕上げていた柿の大枝と 藤づるの大作に続き 二作目をいけていきました。 次の作品は前のどういうところと 関連させたか あるいはまったく関係なく続けるか ということはつまり 一部のプログラム  歌仙を少し意識したものだと 私は舞台から説明しました。いける間 話の間に時々きらりと入るのは 邪魔にならず 絶妙なタイミングのジャズピアノ 。やがて大きな鉄水盤と鉄花器 を 合計三個使い 舞台に3作を一作にした大作が出現しました。
秋の 日本の自然の色と 豊かさが 黒幕の前に再現されたと思います。

完成すると 誰にもなじみがあるだろうと選曲した (星に願いを)を ジャズヴァージョンで思う存分演奏。そして最後の2分半は 岩谷さんオリジナルの(月のしずく)を 暗くした中 照明で変化をつけて作品を見せました。



大きなピアノ ヤマハのフルコンで 弾いた岩谷さんは (演奏中 みんなの耳がいっせいにこちらに向いているのを肌で感じられて 乗ってしまったよ) といい みんな いい方たちばかりで この公演中 始めから おわりまで いやなことを一瞬でも感じさせなかった。こんな気持ちよく集中して演奏できる環境は そうあるものではないよ といってくれました。

東京から 駆けつけて手伝ってくれた 休み返上の私のクラスのメンバーたち、そのうち一人は Kさん一家の真摯な心根を感じさせる 奮闘ぶりを(一家で何とかこのデモを成功させたいという思いが伝わってきて感激した サラリーマンの世界ではなかなかこんな人たちには出会えない)とメールをくれました。

  何かお手伝いしましょうかと電話」をくださった 三島在住で今では堂々たる先生で むかし本部で私が教えていた男子専科のメンバーのSさん。 そして 主催の Zkai の 皆様には私の ああしたいこうしたい というわがままをいやな顔ひとつせず聞いていただきました。

そして観客の皆様にも恵まれていたのだと思います。

至福のとき なかなかないこのひと時 いけばなをやっていたからこそだと思います。 





 

2008年10月17日金曜日

驚きももの記 オーガスタ

上のコが バスルームのなかに つるされたもの。下のコのようになればいいのですが―― 


2008年10月16日木曜日

驚きももの木 オーガスタの葉その後

我が家につるしてある オーガスタの葉が思うように乾きません。28日のいけこみまで もうすぐです。

なんとしてでも 乾かさなければ。あの乾燥したときのみに出てくる 美しい曲線を利用したいのです。
ここにいたるまで 私も努力しました。暑かった日もあった9月に リビングの床暖房を入れ 上はエアコンで乾燥を選び 10月に入ってからりとした日は窓を開けておくなど。
そんな時 クラスのみんなに どうしたらいいかしらと聞くと 思いがけないアイデアも出てきて 私もヒントをもらうことができます。奇想天外 何でもいいからいってみて!と。
(布団乾燥機なんてどうでしょうね)と 行ってくれたメンバーもいました。なるほど。

お花屋さんに行くと 乾かしてもらうように 頼んだ200本の ストレチアの葉も つるされているけれど まだ緑色をたもっている。うーん。郊外の知り合いの乾燥室に持っていこうかなと社長。 すると乾燥室なら お風呂場はどうでしょう、と メンバーの一人の Tさん。一番ここから家が近いから やってみます と ためしに100本のストレチアの葉をお風呂場につるしてくださることになりました。お家のかたごめんなさい。知らなければ きっと帰っていらしてバスルームをのぞいたら驚いてしまいますね。

我が家も乾いていないオーガスタの葉を7枚 バスルームにつりました。乾燥機をかけ 一時間後にのぞいてみると 心なしか緑の色が乾燥っぽくなっていました。それよりも植物から発する 独特の香り。
トルコの浴場や フィンランドのサウナで確か草か何かを持って入り 体をたたくとか行ってましたっけ。
きっと湯気の中にこんな香りが漂っているのでしょうね。上から下がっている 葉が なかなかシュール!
今晩オーガスタの葉をつるしたまま お風呂に入ってみようかしら。
おっと 目的を見失いそうになりました。

あいかわらず ノー天気なわたくしでありました。

2008年10月11日土曜日

驚きももの記 大岡信文化講演会2008

10月19日の 日曜日 いよいよ大岡信文化講演会2008が 静岡県の三島で行われます。
(歌仙を楽しむと)いう題のとおり 一部では大岡信氏 岡野弘彦氏 丸谷才一氏 小島ゆかり氏といった当代きっての 詩人 作家 歌人のみなさまが 歌仙をまきます。
第二部は私の デモンストレーション。

三島ご出身の大岡先生ご一家と出会ってから 35年にもなります。今ではひとつ屋根の下にーーといってもマンションですが -上と下にすんでいます。こうなったのもとても不思議な縁なのです。いつか35年前は想像もできなかった まさに運命としかいえない顛末をお話しすることもあるでしょう。

こんどの私のデモは 歌仙を意識したものを考えています。。舞台も大きいことから 作品は小さいものでは はえませんしーー ま お楽しみ。

ひとつだけ!こんどはバックに 生のジャズピアノの演奏をお願いしました。主催のZ会のみなさまも それは面白いかもといっていただき 初めての花とジャズのコラボに挑戦です。
ピアノは ジャズピアニストで 私にとってはジャズの師匠の岩谷泰行さん。恐る恐るお伺いを立てましたら [そういうのやってみたかった) と 引き受けてくださいました。どうなりますやら。

当日 秋の抜けるような青い空だといいなと思っています。

2008年10月4日土曜日

驚きももの記 BEFORE & AFTER


いい感じになってきました。もっともっと 乾いて! と念力を送っています。さあ 高島屋目指して 後一息 乾いてくれぇーーそうしたら お化け屋敷脱出なのであります。

2008年10月2日木曜日

驚きももの記 海外旅行のこまったお土産

 いただいて 困った外国のお土産のはなし。

チェックアウトのため スーツケースを部屋から出そうとしていたときに届いた 80センチほどの高さの花瓶に入れられた 50本くらいある赤いバラ。いまから?間違いでしょう!とカードを見ると送り主は これから空港に送ってくれる方。ああ 私の到着日と出発日を オーダーを受けたホテルの花屋がとり違えて 今日配達ってわけかーーーと私は思ったのですがーー
[ノー これはあなたのため!]と迎えに来た本人にいわれ 2度びっくり。この花器をお土産に日本に持って帰るようにーといわれたってーーー 80センチの花器をいまからどうやって!?!?!?
何回かのやり取りの後 またこの地に次に花をいけにきた先生に使ってほしい。こんな大きなすばらしい花器はなかなかない 預かっていてほしい とお断りをして 逃げるように空港のターミナルに消えた私と助手。なんだかもうひとつ理解できなかった思い出です。

花を生けた後 みんなの前で記念品と渡された大きくて ずしり重い包み。あけてみれば 木彫りの女神。これには困りました。そこが最終の仕事のところではなく もう一ヵ国行くことになっていました。これも高さ50センチはありました。やせているけれど黒い肌のつやがいい女神は薄い衣をまとっておいでで 今なら 誰かに日本に送るように頼むのですが それもこのときは思いつかず。それで 空港で レストランの人に事情を言ってさし上げました。でもこんな言葉をひそかに女神に言いました。[ここは暖かくて 心地いいけれど 日本は今冬なのです。このようなお姿でお連れしても 果たして 気に入っていただけるか。やはり生まれ育った土地のほうがよろしいかと思います。)

 前家元にと現地のかたからことづかったのは なんと木彫りの杖、これまた見かけより重いのです。自分ならナンとでもできますが 先生へといわれると持って帰らなければなりません。当時家元は研究会で 参加者がいけた作品を講評する時 確かに指揮棒のようなものもって[ここの空間が弱い]などといって その棒で指摘をしておいででした。それをたまたまごらんになったのでしょうね。[時には変わった指揮棒で]ということらしいのでしたが スーツケースには入らず 手持ち。 税関では中に何か隠してないかと疑われ 日本入国のときは怪しまれました。挙句、家元に 報告にいったときにお渡しすると 
(あははは!)と大笑いをされ 秘書の方に(はい。これ)と渡しーーそのあとはどうなったのやら。

今に至るまで ワーストスリーのお土産です。
杖は別として さしあげる先のことを思うより 自分のことを主張しているような気がします。
私も気をつけなくては。

2008年9月28日日曜日

驚きももの記 海外旅行のお土産

何年か前 仕事でプラハに行ったときのこと、お城に近い 小さいけれども格式のあるホテルに泊まりました。
3泊目くらいだったでしょうか。朝 うとうとと、まだ眠気が取れていない。疲れているけれどもこの心地よさ。もう起きなくては、、、、 それにしても 久しぶりによく休めたと思いました。何でだろう????

朝食の後 総支配人を捕まえて言いました。
[ぜひ ぜひ ここのホテルが使っている 枕を手に入れたい。!)
[私は いろいろなところに旅をしてきたが ここの枕が一番あっている。日本ではなかなか見つからなかった)
彼は わかりました。それではハウスキーピングから 返事をさせますといってくれました。返事は 今新品が在庫にないので 取り寄せて日本に送ってくれるということ。
私の長年の問題が これでひとつ解決すると思いました。 近頃日本でも専門店で 理想の枕の高さや 硬さを出すため 計測をしてくれるといいます。ホテルで売っているところも見かけました。でもそのときはまだまだ 日本の寝具店の枕の選択肢は狭いときでした。

一ヵ月後郵便局から 届いたという知らせを受け取ったのですが 私はひっくりかえりそうに。!!な、 なに! 税金 何万円払えと!!。[ホテルの営業用の枕なのです。お店で売っていたのではないのです!)税関に電話して 私は説明しました。ちょっと興奮していたと思います。(中に宝石とか 麻薬とか隠してあるとか 羽が めったにないようなものというのなら わかります。ナンなら 切って中身を見ていただいて結構です!)電話に出た女性の係官は ではもう一回調べてみますといいました。電話を切り よくよく書類を見てみると なんと 日本語なら たとえば 10ドル と書くところ 当然$10.00 と書いてあり 手書きなので 中の点が薄く 1000ドルにも見える。もぅ。。。。。

一件落着して今は我が家に収まっている このかたい枕と柔らかな枕のセット。今までの海外旅行土産の ベストワンの座はいまだもって揺るいでいません。私の首と肩にぴったり。毎日使える。ずっと使っている。しかも安かった。問題があるとすれば 日本でこのサイズのカバーが手に入らないことだけです。

私にとって [さんまは目黒に限る)ではなく [枕はプラハに限る]ということなのです。


2008年9月19日金曜日

驚きももの記ーなんじゃ こりゃ!!

只今 我が家では つるされるところには すべてといっていいほど かけられています。その数20枚
夜 うっかり明かりをつけるのを忘れて入ると 、そしてそのとき 朦朧としてたりすると ウワ!!
まだ少しひやりとする これにあたり 意識がはっきりします。

我が家はシュールというか プチお化け屋敷か。そうすると あるじであるわたしはーーーーー。
あの ヒヤッと冷たいもので 顔をなでられた経験があるようなないような。あれはこんにゃくのようだったが。と次々思い出します。そう むかしお化け屋敷なるものには行きました。

学生のころ おばけカフェなるものに行ったことがあります。確か六本木の端にあったと思います。
大人数の男女学生で行ったのですが たぶんアルバイト(?)のお化けが出てくるたび (きゃ!)と叫んで 彼にしがみつくコ (いやん。怖い)とおめあての男の子の腕をつかむコ。
その脇で (あっははは これどーなってるの!)とお化けの 被り物を引っ張ったりしていた私は 確かにかわいくなかった。
まあ このオーガスタの葉の館にいるのも その辺から 原因があったりするかもしれませんね。

何でこんなことをしているか という その答えは 10月28日から 11月11日まで 日本橋高島屋 一階のショウウインドウを のぞいてください。

2008年9月15日月曜日

驚きももの木ーー萩の花

何の花が一番好きかーと問われれば 迷うことなく 萩 ということでしょう。
咲きかかる萩の中を 今年も歩いてみたい。 風に揺れている萩 やがて花がこぼれるように散っていく萩の姿も素敵ですね。よく見ると小さな花が 本当に可愛らしい。

ところがどっこい!いけようとすると とんでもない本来の性格をあらわします。
バケツに水をいれ はえている根元に持っていって 切ってから それこそ何分の一秒というくらいの早さで水の中にいれ 茎を切って割ったりして水あげをしても やがてしなしなとなりはじめます。
その上 いけにくい。私のいけばな人生の中で お花屋さんで見かけたのはただ一回だけでした。栽培して 流通させる、といったたぐいのものではないのでしょう。確か大きな町中の花屋さんではなかったので 市場から持ってきたのではないのかもしれません。

大学を中退して お嫁にいらした家庭教師の先生が 嫁ぎ先のお母さまに 何々子さん お花のお免状を持っているのだから お庭の萩を竹かごにいけておいてねーといわれ いけ始めたものの どうにもならなくなり 泣きだしてしまったという話を母から聞かされたものです。当時私は いけばなはまだ習い始めてはいませんでした。でもきっとこの話は 幼いわたしの脳裏のどこかに刷り込まれたのでしょう。ふーん、萩の花を ちゃんといけないとお嫁に行っても大変なのだ!
 
ところが私自身は その後 お花のお稽古ーといえばあるときは楽しく あるときは帰ってから花材を水につけて何日もほって置き 母にしかられたものでした。

お嫁にいらした先生は 数年前、ずっとお年が上だったご主人をなくされました。どうしておいでかなと思っていましたが 今年の年賀状には とうとう末の息子さんも結婚なさり 今は自分の人生を大いに楽しんでいるということが書かれていました。ご本人はこの話覚えておいででしょうか。ひょっとしたら中学生の私は 自分では気がついていなかったけれど いけばなを習い始めた理由のひとつだったかもしれません。

お彼岸の前に 鎌倉の萩を 時間をやりくりして見に行きたいなと ふと思いました。






   

2008年9月13日土曜日

驚きももの記 シュークリーム

打ち合わせ後 みんなで赤坂の、シュークリームが昔から有名な コーヒーショップへ。
シュークリームというと 思い出すことがあります。
中学生のころ 古文担当の お年を召した女性の先生に 言われたことです。源氏か 徒然草かだったとおもいます。 その読んでくださっている間に 突然

(あなたたち お見合いでシュークリームが出たら そのおうちは 要注意ですよ。いただき方が試されているんです。意地悪なおうちかもしれませんよ。)

といわれたことです。ふーん、と 聞いていましたが 妙に心に残りました。後年 シュークリームのいただきかたを 正式に習う機会があり これまた なるほどと感心しました。何年たっても上手にならず この日も はみ出たクリームをお皿に残しておりました。

鮎のいただき方も 難しいですね。何度も教えてもらいましたが どうしてもうまくいただけない。
ああ 又この季節がめぐってきたーと しみじみ思いながらいただくのですが 結果がいけない。
でも ある日 大好きなおじい様お二人の前で とても気をつけていただいたとき 我ながら いいできばえ!と思ったとき おじい様の一人が 

 (光加ちゃん!魚 食べ方がきれいだね)

とてもうれしかったです。美人だね といわれりゃ うそになりますが 努力を認められた感じ。それに 光加ちゃんーーなんていってくれるのは もうこの二人しかいない。とてもうれしい晩でした。

それにしても 強い印象に残る思い出が 食べ物の話とはーーー
恐縮でございます。


2008年9月7日日曜日

驚きももの記

少し 秋らしくなってきましたね。
10月には デモンストレーション ライブが 続きます。大岡信文化講演会2008 歌仙をたのしむ
という催しで ライブをすることになりました。第一部はそうそうたるかたがたが 歌仙を巻きます。わたしは 第二部で 花をいけるのですが これからの相談によっては 一部も。あ もちろんわたしは 歌仙とは 関係なくです。場所は静岡県の三島ですが もしお近くにおいでの時はどうぞ。

10月19日 日曜日 13時30分より 16時まで
三島市市民文化会館 大ホール 入場無料

詳しいことはこちらをご覧ください。
http://www.zkai.co.jp/home/pr/bunkakoenkai/index.html

2008年9月6日土曜日

驚きももの記 フラワーショウその後

報道されるタイの情勢を心配しているところに フラワーショーを開いたタイのホテルのオーナーから 報告とサンキューメールが届きました。
それによると 今回のチャリテイーで  合計 1.3million の収益があって それを子供の腎臓病の治療のため タイの腎臓協会に寄付したとのこと。日本円にすると 400万円くらいでしょうか。
ホテルの中のも催しだけでなく 外の架設のブースでも 食品や手工芸品 植木や売り物のバナナの木をみていた人たちもいて 大賑わいでした。
それはよかった!日ごろチャリテイーというと なんだかかまえてしまいがちですが 自分たちが楽しみながら 何かのお役に立っているというのは いいですね。

。  

2008年9月1日月曜日

驚きももの記 バンコク

バンコクの チャリテイーのフラワーショウで デモンストレーションをしてきました。
場所は市内の超高級ホテル。そこのオーナーが主催して 毎夏行われてきました。利益は腎臓病の子供たちのために使われます。

写真はタイの参加者たちの作品で そのショーの中の巨大な展示作品の一部です。この馬の土台は発砲スチロールでしょうか。蘭で作られた鞍と たてがみ。 こんな馬が 5頭、 女神(?)の乗った 車を引いています。なぜか 白鳥 恐竜 トラもいました。トラは 土台に苔がはられ 体の縞は アマランサス(ひもげいとう)で作られていました。迫力というより グリーンに黄色の縞で ちょっとかわいく見えました。
この一大絵巻には 動物たちも登場する女神の進む道が作られ 花が敷き詰められています。この催事には 皇太子妃自らデザインされた 竹とくちなしの作品も出品されました。この写真の作品はオープニングに皇太子妃とおいでになった 幼いプリンスのためなのでしょうか。
見ているうちに??何かと似ているーーそうだ!!これってタイの菊人形?
しかし 日本の菊人形の作り方はオアシスに花をさすばかりというのではないでしょう。

タイの花市場に行くと 蘭を始めとする花々は 確かに安いため これでもかと使います。デンファレなら10本30円ほどからあります。 作品に使用する量が多くなるのも当然でしょう。

枝  たわむ線。その強弱。 花 というときは その下に続く茎や枝への思いもふくまれるのは 日本独特なのでしょうか。
あえて空間を多くした私の作品に タイの人たちのカメラが たくさん向けられているのを見ました。
同じアジアでありながら まったくちがった人々の花への視点を また面白く思いました。


2008年8月18日月曜日

驚きももの記 久しぶりのーー

先週のある一日 何も予定の入ってない日ーなんと久しぶりでしょうか。
世のなかはお盆休み。関係あるような ないような。
それで ミッドタウンの サントリー美術館をのぞきに行くことに。そこは 小袖の展覧会。小袖という 形がきまっている 空間がきまっている中にちりばめられた かたちと色 その配置 。 季節と材質が加わり 一点一点 それぞれの世界がくりひろげられていました。  どんなひとがどんな思いでまとったのだろうかと想像は果てしなく広がっていきます。 。現代でも はっとするような大胆な柄。デリケートな色使い 細かい刺繍。願いや思いを 限られた空間の中に あらわしてとじこめていく。 江戸のオートクチュールと副題がついたこの展覧会を 時間に追われず 誰にも邪魔されず堪能しました。

わたしの仕事も 植物の限られた時間の中で 取り合わせ 配置 線の勢いなどで表現していくわけです。その結果として 人に何かを感じてもらえる作品ができたら それは制作した人の大いなる幸せというべきでしょう。そんな作品をめざして また植物を見直していこう!と なんだか喝を入れられたような。 
うだるように暑い日の午後のことでした。



 
   
 

2008年8月15日金曜日

驚きももの記 スイスのバラ


オリンピックでいつも気になるのは 表彰台の勝者に渡される 花束。イケメン探しはもちろんですが 渡されるブーケに 国のセンスを見たりするのも 楽しみの一つ。 中国も 花の種類があの時と比べると 多くなった、赤いバラが 多いけど。。。。。20年近く前 日本の青年を 3000人を招待するといった 中国政府の招きで行ったことがあり その時も仲間とデモンストレーションをしました。たしか花屋さんがなく 植木や鉢物を売っているところで 花材を調達した覚えがあります。
これは今回スイスで いただいたプレゼントについていたバラ。
 水を入れる小さなホルダーを使って 贈り物にかけられたリボンの中央にこのバラがつけられていました。
レマン湖のほとりにすむ マダムC の庭に咲いたダマスカスという種類のバラです。どこか凛とした けれど かすかな甘い香りがうれしくて ホテルの部屋でずっと飾っておきました。
マダムCは スイスの支部長も何度か経験している熱心なメンバーで 古くからの知り合い。
大きな花束をいただくのももちろんうれしいけれど 大げさでないこの心遣い。 この日のバラはわたしの心にずっと咲いていてくれることでしょう。

2008年8月12日火曜日

驚きももの記

お待たせしました。これです!高さが写真ではわかりませんが 普通の高さといっていいのでしょうか。 赤の入り方といい 真っ白の鼻緒と黒の地の関係 いいでしょう?!
受け取りに行った日は 34度近くの昼下がり  買い物の帰りに そういえば もうできてきてるのではとお店によりました。楽しみだったので ちょっとどきどきしました。
鼻緒の調整しましょうか?といわれ あ 玄関に置くだけなので とそのままにしてもらうことにしました。
ご主人が 箱に入れながら [こんな下駄が 玄関先にあったら 奥から どんな お姐さんが出てくるかと思っちゃいますよ)と ふと言いました。
私はお使いの帰り  もともと日焼け止めと 口紅のほかは たいしてぬっていないメークが 汗でどろどろ。スーパーの袋を下げ T.シャツジーンズ 思わず心の中で 

[悪うござんしたね。わたしで)
 と つぶやいてしまいました。ご主人はそんなつもりで言ったのではないのは よーくわかっているのですが。。。。。。



驚きももの記 丹頂のその後

この間 ここでおはなしした 芸者さんのはく 丹頂という名のついた 下駄ができてきました。
公開いたしますね。カメラから ブログに入れる入れ方を思い出したら。 すみません。忘れています。
どうなったか お楽しみに。

予告編のみで失礼いたします。 光加


2008年8月4日月曜日

驚きももの記

いけばなをなさるのなら 着物が多いのでしょうね。。とおっしゃるかたが たまにあります。
実は仕事のときは 着ることはほとんどといっていいほど ありません。何かで リクエストがあれば きることもありますが それもここ何年かで 一回くらいです。

 きもの自体は私は大好きです。実は私がこんなに和服が好きになるとは 思っても見ませんでした。理由のひとつは 着ると背筋がぴんとするからです。重心がぐっと下に定まる感じにもなり 肩の力もいい具合にぬけ ある意味体が自由になる気がするのは なぜなのでしょう。

夏。 透けたきものの多い季節。私の持っている夏のきものは 多くありませんが 一枚を除き みんないただいたものか 伝わってきたもの。絽 紗 夏大島  私はもう着ないから さし上げるわ、といただいた 今は遠くに行ってしまわれた人たち。 絽の帯は 母のもの 夏大島は祖母のものか 滑りがよく ちりよけにしてしまった紬は 父のものかしら。袖を通すたび 私が着る!という 気合を自分の中に起こさせるのが 夏のきもの。

それにしてもこの暑さ! さすが汗だくでは気合の何のいってられない!! この夏も このきものたちは 登場することなく 来年に送られるのかしら。
本当に 地球温暖化 どうにかならないのか。いや、なんとかしなくては と 実感しているところです。



  

2008年8月3日日曜日

驚きももの記  夏のカーテン

カーテンを クリーニングに出す間 思い立って 今年は窓にすだれをつってみました。
新宿の高層ビル街が すだれ越しに見ると又新鮮に目に映り ちょっとした発見!

ちなみに反対側の壁は しょうじで隠されています。前のマンションから引っ越すときに 捨てるのが もったいなくてもってきました。張ってあるのは和紙ではありません。一見 京都の夏によく見る (よし障子)のようですが実は (さん)のあいだにそんなようにみえるパネルを今回張ってもらったもの。
ここに移った時 壁に張り出した間接照明のボックスの下側に レールをつけ そこから下げてもらいました。
障子を移動すると 奥の壁に取り付けた鏡が現れるというわけです。
しょうじの上は 間接照明のはずが ここにも展覧会に制作した 和紙の明かりのオブジェを解体して その紙を再利用、わが部屋は 今でいう (エコ)な空間になっています。 ちなみに元の明かりがどうだったかは ホームページのギャラリーをご覧ください。http://www.kokanote.com/

すだれの横の線 そして 障子の(よし?)の横線が ほとんど同じの材質にみえ 統一感もでで 一時ですが 目にも日本の涼しげな夏を感じさせます。自画自賛ですね。

もともと空間デザインは興味があります。建築方面に進もうかな と 思ったことも昔ありました。
でも女性が 建築などというのは考えられない時代でした。考えてみれば いけばなも空間構成ですから 無縁とはいえません。
自分のデザインした空間のせいか ここではよく眠れます。文字通り 私にとっては 穴倉なのです。


。  





   

2008年7月29日火曜日

驚きももの記


               
                
                      私も真剣です。
                      ちゃんと伝わっているかしら?
                      でも スマイルは 忘れずに!!
                 

驚きももの記

こんなにも 熱心に見つめられるのですから 

2008年7月28日月曜日

驚きももの記 ドイツ Naurodにて

ドイツ フランクフルトの近く Naurod のセミナーの参加者の皆さんです。ドイツ各地のみならず ヨーロッパ中から あつまってきてセミナーハウスに3泊4日 朝 昼 晩とお食事も一緒、いけばな三昧の日々でした。いけた作品も力作がたくさん、。

2008年7月27日日曜日

驚きももの記

夏休み真っ只中のかたも 多いことでしょう。
一昨日 会館から プライベートレッスンの依頼。
フィンランドから メールで申し込まれたのは ご主人で 奥様がレッスンをなさるということでした。l

手に地図を持って現れたのは リュックを背負った若い男性と 夏らしい白いスカートが似合う金髪のエレガントな若奥様。ご主人は 
(では あとで!)とお出かけになる。 
(こんなにたくさん花器があるなんて感激!)
と 彼女は花器棚を上から下へと見ていって 花器をあれこれとりだし迷ってしまう様子。 やがて花材を決め 私のアドヴァイスとともにいけあげ その2作を写真にとり ふと時間を見ると ご主人と約束の12時近く。
 (もうこんな時間!ここは何時間でもいられるわ!)
と 青い瞳がきらきらと輝いていました。。

それもそのはず 彼女に秘密でご主人はこのレッスンを母国から予約なさり この日本への旅行で いけばなが大好きな奥様に サプライズのプレゼント。ここに到着するまで この朝は どこに行くの? 何をするの?ときかれても だまっていたそうです。いい思い出になったことでしょう。いいなあ やはり日本の男の人にはなかなかできないことですね と海外部のお嬢さん。みんなひとしきり 素敵なご夫婦の話でもちきりでした。。

私にはもうひとつうれしいことがありました。それはこの若いマダムが習っているフィンランドのハイデイさんを私は知っていて そのまた先生にあたるリサは現役の18年間 日本にフライトがあるたびに私のクラスに来ていたフライトアテンダント。彼女はリタイアーしてから ずっと幅ひろくフィンランドで活躍、 教室も開いていて この間も私がうかがった ドイツ ナウロードのセミナーでもご主人と一緒に参加して下さり 3ヶ月ぶりに会ったばかり。。つまりこの若奥様は私の(ひ孫弟子)になるわけです。

ひ孫というと とても年をとったような響がありますが ひ孫弟子は 大いに結構と思ったのでした。


  

2008年7月26日土曜日

驚きももの記


遅くなりましたが 新宿の高島屋の6月の草月展の作品です。花器は写真とサイズだけが知らされて 当日 はじめて本物を前にしていけるというもの。草月会の所蔵品の 岩田藤七作(1960)という事で 粗相がないよう 終わるまでどきどき。写真では ピンクに見えたガラス花器は実は茶色に近く 花材を当日その場で変更。花材は3月から ずっと水につけておいてもらった姫水木の枝と ベゴニアです。ベゴニアは折れやすく 毎朝いけかえ 3日で5鉢を使うことに。剣山も入らず 何も止める道具は使えないだろうーという予測は当たり 姫水木の枝を花留めと 構成の一部にしようという計画は大正解。
作品は私にしては 可愛らしい(?)といわれました。
(じゃ いつもはなんなのだろうか???)
     

2008年7月21日月曜日

驚きももの記  無駄遣い?

暑い中 足をのばして買い物に行きました。帰りに履物やさんの前を通ったとき そう、そう、と思い出すことがあり中に入ってみました。確か それを作ることがあったら ほしいので おついでの時で結構なのでよろしく、と ずっと前にそこで草履か バックを買ったときに お願いした記憶があるのです。

浴衣をきりりと着こなしたご主人が 注文帖の大学ノートで去年の分まで 見てくれたのですが 私の名前はなく 改めてオーダーしました。
それは芸者衆が履く下駄で 黒の地に真っ白な鼻緒がすげてある、 その鼻緒の元がちょいと赤くて (丹頂)という名前がこの下駄にはあるそうです。鶴の丹頂に似ているということなのでしょう。 ちょうど私が見たときに お姐さん達の会があって おそろいであつらえたということでした。そして 銀のエナメルで名前が書いてあり それはみんなが同じ下駄なので間違えないように ということなのでした。

見たとき私はすぐにほれ込みました。
こんどは しっかりと 名前も 光加 と入れてもらうことにしました。
お名前入りなので お代を先にーーとご主人に言われ 買い物の帰り いくら持ち合わせが会ったかしらと心配が頭をよぎったのですが その額に2度びっくり、思っていたよりはるかにお安いものでした。

この下駄 履いて ドタドタと かかとをつけて歩くのでは さまになりません。つま先でちゃっちゃと歩くぐらいでなくては。そんな人はたとえばどういうのかなあーーそう 小股の切れ上がったーーという言葉もありましたっけ。

私はこれをはかないで 玄関に置いておくつもりです。
くたびれて帰ってきても 玄関でこれを見るとしゃきっとするかしら。
だったら あながち無駄遣いともいえないな、と 無理やり 理由をつけている私なのでありました。


 







 

2008年7月19日土曜日

驚きももの記  暑中お見舞い申しあげます。

たった2日ですが 暑さしのぎのお招きを受けていった山には もう萩の花が咲いていました。

少し時間ができたので 前に書いたブログを見直していましたら コメントをいただいておりました。
皆様ありがとうございます。読んでくださっているとわかり とてもうれしいです。
これからこのおブログにも写真も入れていこうと思っています。

クーラーだけではなく 京都の祇園であつらえた 名前をいれてもらった 団扇をもちだして さかんにあおいでおります。皆様にも風をお送りしたく どうぞこの夏もお元気でお過ごしください。

驚きももの記  ヨーロッパ 仕事がはじまる

カナダから帰って 一ヶ月もしないで行ったヨーロッパーージュネーブ、パリ、フランクフルト そしてロンドン。

それぞれの土地で いけばなの教科書の説明と 私のデモンストレーション、その次は参加者がいけて 私が講評をするーといった形式がとられたのでした。
 一ヶ月前は 朝 ホテルの窓から 明けゆくレマン湖の対岸に かすかにピンク色に染まるモンブランを毎朝見ていました。 時差から来る早起きのため そして眠れなかったためなのですが それにしてもあの夜明けのピンクのモンブランを見ていると 何か幸せな そして得をした気持ちになった、と 東京の暑さのなかでカレンダーの日付がどんどん進んでいくのを見ながら 思い出します。

 そのモンブランが お昼には薄くかすんで見える会場は ジュネーブの市街を少し離れた 集会場。周りは 邸宅もありますが 白ワインを生産するブドウ畑もある そして少し行くと 有名なチョコレートのお店もあるといったところ。ここにジュネーブのほかに チューリッヒ バーゼル ベルン といった スイスはもとより  アルゼンチン ヨルダン チリなど 海外からも参加者をむかえ セミナーが 行われたのです。 熱心な参加者の方たちは 遠くからおいでのかたたちは おのおのホテルに分散して宿泊 あるいは友人の家に泊まりながら このセミナーに参加しました。

スイスの支部に派遣されるのは これで何度目でしょうか。
いつも感心するのは 海外の人たちのいけばなに対する 熱意です。 そして 日本のいけばなを習っているという誇りです。
早めに会場に到着すると もう参加者が 集まりはじめていました。
はさみや花器を入れた箱やバッグを 車のなかからひき出す人たち 花材を大事そうに運び込む人。その車を見ている私に(いけばなをする人の 車はこうなのよ。いつも汚くてね。)と笑うメンバーたち。その傍らを 水切りをされた花材のバケツから 研究会に使用する オーダーした花たちを最終点検する役員たち。
参加者の名簿のチェックは こちらですよ!と デスクのところで呼んでいる係りのメンバー。
懐かしい人たちの次々の到着に まあ!と声を上げて 思わず hugg and kiss .えーと スイスの挨拶のキスは 頬に 右 左 右と 三回だったかしら と 前に来たときの 記憶をたどりはじめれば それが 私の中での 仕事への起動がはじまるとき。 責任もひしひしと感じ 何かをつかんだ、きてよかったという気持ちで またそれぞれの教室に帰ってほしいと願う気持ちは 増すばかりなのです。
 昨日 リハーサルをした花材は うまく水が上がっているかしら。
(先生 のど渇きませんか?ここにおいときますね。)とペットボトルをテーブルに置いてくださる役員の方。日本から持ってきた はさみ ワイヤー ペンチーーをだし さあ はじまりです。




 






 

2008年7月10日木曜日

驚きももの記 ロンドン

  旅も大詰め、10年ぶりのロンドンは 青く高い空が 迎えてくれました。
支部が久しく途絶えていたロンドンに私が行くことになったのは 教科書の説明と 実際にそのテーマをいけてみせるデモンストレーションという催しをするためでした。 各師範はもちろん 前に習っていた人でも 東京の本部は記録のあるメンバーをさがし イギリスじゅうによびかけていました。
そして これを機会に各師範が生徒を連れて集まり  ロンドン支部が発足という運びになっていました。


着くとすぐ 今回の出席者のリストを渡されました。
ああ あの先生 このベテランの師範も来てくださる と リストの名前をなつかしく見ていると (今は 習っていないが 昔 東京で習ったことがあり 先生はとても若い方だったが 確かにその名前だと思うのだけれど  出席は可能かとのおたづねもありましたよ〉と いわれました。

さあ。。。。 だれかしら?
毎年 外国の各地からクリスマスカードをいただいていたけれど私の2度の引越しで 交流が途絶えてしまった方の何人かの一人ではないだろうか。リストの名前をたどっていくと 一人の名前のところで 私の視線はとまりました。ひょっとしたら。。。

セッションが始まる時間は午後でした。早くいらした中には サンドイッチを持参のかたもおいででした。その名前は 確かに記憶の隅で 信号を発しだしていました。
年から考えるとこの方かしら。何人かの中で  一人ですわっていた老婦人を私は見ていました。
いや 違う とすぐに心の中で 打ち消したのは 若い日のその人が ひかえめでしかも エレガントな奥様。、 そして確か髪をショートカットにしていた、と 小さなことががだんだんとよみがえってきたからでした。もちろん顔は覚えていません。でもそんなにお年かしら。あれから何年になるのだろうか。

セッションは説明とデモンストレーションで2時間半 その後にいくつかの質問で終わりました。
リストには名前はあったけれど 今日はおいでにはならなかったのかしら。
終わってから 思い切って壇上から参加者に呼びかけました。この中で Mrs. Mは どちらかにおいでですか?
(はい!)前から2番目の列のはしにすわっていたそのひとは 立ち上がりました。思っていたよりずっと若い奥様でした。
[しばらくです ! まあお元気で。!]そして二人から同時に出た言葉は (ちっとも変わっていないわ!)
お互いに年はとりました。でも彼女の なんともいわれぬ気品のあるエレガントさはそのままで 私はそれが何よりもうれしく思いました。
彼女は [これ!]と差し出したのは 私がまとめた英文のエッセイ集、そしてそこには インクの色も薄くなってはいましたが 私の字で1972年という年と私の本名でのサインがありました。

彼女は 日本から帰国してから テニスで有名なウィンブルドンに住んでいること。帰ってから お子さんが生まれ 育て上げて --[だからいけばなは ずっとしていないのだけれど 今回呼びかけてくださって。 絶対にあなただろう この名前は 先生にちがいないって。もう 絶対出席しようと思って。
そういうと ( ねえ 誰かに写真を撮ってもらいましょうよ。チャールスにみせたいわ!)

そういったとたん わたしのなかで 36年という時を飛び越えて あの六本木の教室でのことがよみがえってきました。いつもCharles とご主人を呼んでいた おそらく新婚だった彼女。当時日本では 人の前でご主人のことを名前で呼ぶことはなく 私は 彼女の 呼び方をいいものだなあと思って聞いていたものでした。
 ご夫君と二人で仲良く変わらず暮らしている それが彼女を 年など飛び越えて 素敵な奥様にしているのでしょう。

そして私は いけばなって面白いんだ と伝えようという 若いときのがむしゃらな日々が 決して無駄ではなく 今その答えを与えられたような気がしました。Where there is a will, there is a way. (意志あるところに道はひらける) 久しぶりにそんな言葉も思い出しました。

(子供たちも手が完全に離れたし 又機会があればはじめたいわ)

私はそのとき たった今終わったデモンストレーションで使った はさみを手にしていました。
(これは もう前の国で 何度も使ってきたから新しくないけれど 又はじめるのには まだ使えるでしょう。 上手になってきたら もっといいはさみを手に入れてね。)
私は 彼女にはさみを手渡しました。
(まあ。。)
思わず 両方から抱き合いました。

あんなふうに年をとりたい。 そんな人が 又一人増えました。










 

2008年7月5日土曜日

驚きももの記  ヨーロッパにて

ヨーロッパ 4箇所の仕事をおおせつかり 今朝帰ったところです。
この旅でもいろいろなことがありました。
懐かしい人たちにも 会いました。

その一人が チリから 来てくださったB夫人。彼女は夫君とのヨーロッパ旅行を 延長して一人のこり スイスのジュネーブでおこなわれたセッションに来てくださいました。彼女のことは いけばな南米の旅 で チリのところで登場しますのでお楽しみに。

そして 36年ぶりにあった英国人のMさん。私がまだ六本木で教え始めたころの生徒です。今ではいけばなから 遠ざかっているというのですが 今回の呼びかけで ひょっとして ふくしまとは 日本で習ったあの若い先生のことではと 問い合わせをしてくれたそうです。会えるとは夢にも思いませんでした。詳しいことは 又改めて 書こうと思っています。 
ヨーロッパに比べ 日本は蒸し暑く びっくり。 皆様もお大事に。

2008年6月18日水曜日

驚きももの記 

前に書いたように 個性のある人々に会うのは 私の旅の楽しみの一つです。
今回も一人旅なので 大変かもしれませんが あちらには手伝ってくださる支部の方たちが 待っててくださって 私も再会を楽しみにしています。いつものように もちろん仕事は きちんと精一杯してくるつもりです。私を送りだしてくださる方たち 万難配して準備をかさねてくださった方たち 予定を変えて参加してくださる近隣の国の方たちーー頑張らざるを得ません。
ブログをのぞいてくださる方たちは ホームページの story も 読んでくださる方も多いと思います。
いつも 新しい回に前回の(解説)をつけています。 南米の旅から 数十年後(?)の現在の私の 感想などを入れていますが 今回 インドの写真を一枚入れました。
今とはおよそ 似ても似つかない 昔の姿があります。よろしければごらん頂き 現在をご存知のかたは お笑いくださいませ。

http://www.kokanote.com/




 

2008年6月16日月曜日

驚きももの記 カナダ マダム

おばさん、ではない。 お母さん、といった感じはしない。ましておばあさんという言葉はどこを捜してもでてきません。年齢不詳。
くしゃくしゃとした金髪の中に ここにあり、という縁取りをした大きな眼,それに比べると控えめなルージュの色。
今回 私の行う講習会の出席、 でる でない でる でない でる。
研究会は ウイ ノン ウイ ノン で 最後にウイと。
フランス系カナダ人。私は前に行ったときも もちろんあっています。こっそりつけたニックネームが マダム フュメ。fumer とは 煙草をすうというフランス語の意味です。
みんなが集合しなくてはならないときに あれ?いない。
会場の中庭のイスに 一人カナダの青い空に向かって プアッと気持ちよさそうに煙を噴き上げているマダムが一名、
マダムが近寄ってくると思ったら (ちょっと ホテルでどうぞ) と手渡されたのは 鮮やかなグリーン一枚とかわいいスミレのついた 二枚のペーパーナフキンにくしゃくしゃっとつつまれたチョコレート。
しわがれ声で私に あなたの作ったという このアクセサリー面白いわね。日本であなた売っているの?とのたもうマダムは さりげなさの中に なかなかおしゃれ。
研究会で 作品を おのおのが制作しているのをを見ていると 彼女のは透明なガラスの筒の中に 細い葉の緑の線が昇るように螺線を描いている。花をどう入れようか思案をしている様子。
さて 講評が始まり だんだん彼女の番が近づくのに 自分の作品の周りに見当らない。さてはーー
支部長の頭がくるくる動き出す。 副支部長が参加者をかき分けドアーのほうへ。すると ドアーから
身をちいさくして pardon!  pardon! とマダム.そんなんしたって目立つがな。
何事もなかったように すっと私の隣に たつマダム。
(この線と 水の関係はまるで 何か立ち上るような動きを‐ー)と講評を始めたところでマダムが 私の声を聞こうとぐっと近寄る。 ウッと鼻先に煙草のにおい。
思わず Smoke gets in my eyes! といったら マイクに通って思いがけないみんなの笑いを取ってしまいました。

まったくもうーーという呟きが 彼女の周りにはいつも聞こえてきそうなのに なぜか気がつけば面倒を見られてしまう得な性格。
でもね、マダム。 煙草少し控えてみませんか?
私のために。 そして何よりもあなたの美貌のために。




#Smoke gets in Your Eyes という歌が 昔 プラターズというグループで はやりました。本当は in YOUR eyes です。

2008年6月15日日曜日

驚きももの記 カナダ

オタワの会員のお一人からいただいた お庭のすずらんとスミレです。ホテルの自室のグラスに入れました。

2008年6月9日月曜日

驚きももの記 カナダ

カナダには特別な思いを持っています。
私の通った小学校から高校までの学校は カナダ人の宣教師によって設立され 小学校からカナダ人の先生が英語を教えていました。このことは又 後の機会に書くことにしましょう。

今日は今回行ったカナダで ぜひとも会いたかった人の話です。

この5月 思いがけず 講習会をするため行くことになったオタワには モントリオール トロント ファリファックス など カナダ各地から 100人を超える人が 集まってくれました。2年前カナダにうかがったとき 3都市に行き そのときお世話になった方たちに会うのも今回の楽しみでした。
(しばらく先生!)の声の中 私はXさん を見つけ思わず抱き合いました。Xさん お元気でしたか!

2年前 彼女の家で デモンストレーション用に 4メートルの柳を切らせていただいたのです。
家は 二階建てで 庭には すずらんや スミレなどが ひっそりと咲いていました。通された2階のリビングで 時計が時を刻むのがわかる静けさの中 写真がたくさん飾ってあるのを見ていると 日系のXさんは一匹の猫と住んいること ご主人は昨年なくなったということを 手伝いに来てくださった支部のメンバーの会話から それとなく知りました。
見上げると二階に届く大きな木  (この柳 本当にきっていいのですか? どのくらい?)
という問いにXさんは (どうぞ 一本倒してもいいですよ。秋は葉が散るし 窓はふさぐし きってくださったら いっそせいせいしますよ〉 
一部を残し アシスタントで東京から同行していたIさんが 手際よく切り倒し 紐で縛ると Xさんは (いいねえ日本の若い女の人も 元気だねえ)と にこにこと見ていました。
Xさんは 次の日〈差し入れ!〉といって おにぎりをたくさん作って 持ってきてくれました。そのおいしいことといったら!ぎゅっと握られているけれど 硬すぎず 塩加減もちょうどよく  お漬物と日本茶と一緒にありがたく みんなでいただいたのです。

一連の行事が終わり 次の街に移動するとき 空港で送りに来てくださった方たちに (ありがとうございました。 おせわになりました。!又会いましょう)と 挨拶を一人ひとりと交わす中 Xさんはこういったのです。
(先生 私はクリスマスカードも 年賀状も出しません。でもご活躍を祈ってます。)
そして彼女は(生きてりゃどこかで合えるでしょう)と付け加えました。


一期一会ー  彼女は この言葉を外国で実践しているのではないだろうか ふと私は思ったのです。

それから2年たちました。 (Xさん あの時のおにぎりおいしかったわ!) 白に赤と薄い黄色の大胆な柄のブラウスを着たXさんは (そう? ここじゃ作ってあげられないから 残念〉と 笑いました。(柳を切ってしまってごめんなさいね。)
(大丈夫 新芽ものびているから)
彼女たちのグループは 5時間の道のりを 何人かで運転を代わりつつきたというわけで 夏休みが始まって生徒のいないオタワ大学の寮に泊まっていたのです。
講習会でみた Xさんのいけた花も なんだか前より元気が加わった印象を持ちました。

すべての日程が終わり 東京に帰ることになりました。
(Xさん!元気でね、また会うのを楽しみにしているわ。)
(さあ 次はどうだか。大丈夫かな。。)

(Xさん 元気なら 又どこかで合えるじゃないですか!)こんどは私が言う番でした。

こんな人と会えるから 旅はいいなと思うのです。たとえ 空港で荷物が出てこなくても。










  

2008年6月8日日曜日

驚きももの木-国際線スーツケース編 2

スーツケースの中身は 袋だらけです。

100円ショップの洗濯用の袋 これは優れものです。中が見えますが 全部見えるわけではない。



硬いビニールのジッパーつきの袋。小さいものを レシート用にひとつ、同じく大きなものは 人から預かった手紙とかかったカードとかを入れます。茶封筒の 大きなのも場所をとらないのでぜひ。



大きな手つきの紙袋 きれいな色であればさし上げるものも入れられますし 同じものを2枚重ねれば道具入れに、。いらなければいつでも捨てられます。



たためる薄い買い物袋 到着したら バッグに入れておきます。



そういった部類では スーパーのビニール袋もいいですよ。見せたくないものもいれて気軽に捨てられます。買い物で まさかの水漏れのときにもいいです。



小さなきれいな紙の封筒、いざとなれば プレゼントも入れられます。シールも忘れずに。



これが袋シリーズ。



その他 はさみは便利 ビニール紐 使いかけの紙テープ セロテープ そうそう パスポートのコピーも忘れずに。

私が 共通財布といっているものは 2人以上で行動するとき。計算の得意なメンバーにみんなが同じ金額のお金を入れてあずけておきます。タクシーとか飲み物などまとめて払ってもらいます。もし私がその大蔵大臣役になったときのためのお財布 (ちなみに私の場合 数えるほどしかなってません。)、



そんなところでしょうか。又気がついたら後ほど 追加するようにしましょう。 



 

2008年6月2日月曜日

驚きももの記 国際線スーツケース編 その1

旅といえば スーツケースの中身です。皆さんはどのようにパッキングをしておいででしょうか。
たとえば 化粧道具のことです。
 
もっていく化粧品は 液体はスーツケースに入れなければなりません。男性とても同じでしょう。それについての私の工夫です。

小さい容器に詰め替えればいいのだけれど 時間もないし ちょうど使い終わりそうな量の化粧水が入っているーーなどというときは そのまま持っていきます。
しまっているか 入念にふたを確認して 逆さにしてみたりしたのち きっちりテープをして 周りにコットン さらにラップをきつく くるくるとかけ 最後にビニールの袋にいれます。
それを スーツケースの片側のふたの深さより少し浅い 長方形のタッパの箱ようなものに入れるのです。大きめのほうがよいですね。

リキッドのファンデーションもこの方法で処置をして入れます。ラップで巻かれた化粧品の間には クッション代わりに 化粧用のコットンを小さなビニール袋にいれ口を閉めないで 何個か作り 隙間に詰め込みます。万一中身がもれてきても この段階で くいとめようということと もちろんあとで使えるからです。 使う化粧品の詰め合わせができたら 箱のふたをきっちり閉め 先ず太い輪ゴムで数箇所とめ その上で 全体をしっかりとまたラップで巻きます。それでも心配なら --あとで使えるので 新しいごみ用の袋に入れます。旅先でも 案外大きな袋は便利です。

また背の高めの 強いプラスチックの コップもいいですよ。 その上ふたがあると なお便利
目的地に着いたら 先ほどのタッパの箱のふたを開け その中に化粧品をすべて並べてから コップにメイク用ブラシ類や ペンシルなどを立ててさっきの箱にいれると 使いやすいです。

我が家とは勝手が違うのが 宿の空間。外国のホテルでも 洗面台の狭いところに泊まることもあるので これなら箱をすぐに取り出せて メイクが終われば一式そのままそこから 下げられるということです。

そういうわけで ラップは 優れものなので 私は長めの旅には必ずもって行くことにしています。




 



 

2008年5月31日土曜日

驚きももの記  国際線のフライト携行品編

とんだ ハプニングではじまったカナダ行きも 無事に帰ってきました。
同じマンションに住んでいる 尊敬してやまない知人ご夫妻が 帰りを祝って奥様がお赤飯を炊いておいてくださいました。 幸せってこういうときに感じるのですね。

さて 話は変わりますが 飛行機の中で となりに誰が座るかとても気になりませんか?風邪を引いている人はいやだな・ 席は絶対に通路側、なぜなら巨漢が隣だと 暑苦しい。 体臭 口臭のきついおじさん 香水ぷんぷんのおねえさんはは勘弁してほしいなど。

それと 何で地上では女性専用車があるのに 雲の上ではないのでしょうか。
長距離の国際線で 女性専用席があれば ほんのすこしならお金をたしてもいいかなと思います。
男性だと 何か遠慮してしまいます。 (私とて100%おばさんではありません)
女性用席があれば 乾燥した飛行機内で 先ずは顔のパックをしながらいきたいです。そんな女性ばかりずらりと並んだ席を想像すると ちょっと怖いかもしれませんね。

以下は私の 飛行機の中に持っていくものです。乗っていく飛行機会社のホームページには 席に何が用意してあるか 載っているので前もってチェックします。

スリッパ 
100円ショップのにかぎる・ 帰りのフライトで捨てるから。ソックスは機内にあってもスリッパがないところあり。

ソックス
反対にスリッパが備え付けてあれば 捨てる寸前のソックスを。結構足先が冷えます。

マスク
必要とあらば 人の目など気にしないで着用します。

コイン
以前にいった国で万一残っていたら もっていく。着いた空港でカートを借りるのに小銭がいることがあります。または空港で1000円くらいでも両替してくれます。

携帯電話
その国で使えなくても 日本にかけるときの電話帳代わりに

着替え
こんど思ったのですが 一人旅の場合 荷物が出てこないときの 必要最小限の軽量の着替え

化粧品
免税店で液体の化粧品を購入した場合 乗り継ぎがあれば スーツケースに入れなければならないので買うときに注意
私は飛行機の中用に 自分の使用している化粧品のサンプルを持っていきます。基準を満たす大きさと 中が透けているのを選び コットンと一緒に。顔が乾いたなと思ったら取り出して パタパタと。
もちろんそのためには 限りなくすっぴん、となります。
しかし 有名人でもない私でも 空港に誰かが迎えにきてるとなると さすがに話はちがいます。
ポーチの中にクリーム用の小さな容器に入れたファンデーション。ペンケースに入れた数本のブラシの先にはシャドウ パウダーの残りを つけておきます。 あとペンシルくらいでしょうか。これで十分、目的地に近くなれば化粧室へ歯ブラシを持っていざ!口紅はしっかり塗ります。
到着地が 夕方から 夜にかけてなら これで何とかごまかせる。
後は昼間なら 挨拶の後さっとサングラスをかける。

お気に入りのMDを聞きながら 時間がなくて読めなかった週刊誌や軽い本。筆記用具、
知人の中には 書類を読むための時間 勉強にと決めていたり 帰りのフライトの中で その旅でお世話になった人たちに もうお礼状を書き始めるという つわものもいます。

でもボーっとしている時間が 何より貴重なのかもしれませんね。

2008年5月28日水曜日

驚きももの記  カナダから帰ってきました。

カナダの出張から帰ってきました。。。。。 トロント経由 オタワ着だったのですが なんとしっかり確認したはずの PRIORITY とタグのついた荷物が 最後まで一個出てきません。

 トロントの空港 そこで 入国のため 荷物はいったん引き取るということでした。 一人旅の私。誰か相棒でもいれば 何とかできたのですが その間 乗り継ぎの飛行機の時間は迫る 荷物は出てこない。 係りらしい人に聞いても知らない・ 航空会社のオフィスは荷物のピックアップの場所から 100メートルほど。仕方なく その間に荷物が出てきても いい!とあきらめ スーツケースを引っ張っていきました。 持ち主のわからない荷物が出てくるところを教えてもらい そこに行ってもなし。最後に遺失物の荷物の手続きをしようとおもったところ ターンテーブルに見覚えのある荷物が。とって 乗り継ぎのカウンターへダッシュ。その前に 100人ほど並んでいる!!!!
何もかもかなぐり捨て 突進。係員が止めるので 私の飛行機が出る!といっても並べという。他の制服の人にも言ってみましたがだめ。

あきらめました。やっと私の番になり カウンターの前にきたら やはりとっくに出た後。 もういい。次の飛行機は?と聞くと キャンセル待ち。最悪 後2便ありますからといわれました。

連絡をしなければ! みんなもう 私を迎えに空港に向かっている!幸い 日本人のかたの電話番号が 書類の所に走り書きをしていました。 自分の携帯は バンクーバーは通じましたがココはだめ。
初めてのカナダの公衆電話。カードでかけ 何度か間違えて 書かれている説明を読み〈英語がわかってよかった!〉 やっと通じたのは留守番電話。
とりあえずメッセージを入れました。 

気がつけば あわてていたので 携帯にかけていました。。彼女にやっと通じ 次のフライトに のれなかったら 電話をする、たぶん最後に呼ばれるから 電話をしている時間がないから 私から連絡がないというのはのったということ。迎えに出ているみんなに連絡をお願いしました。次のフライトにのれ オタワへの離陸と同時にどっと疲れが出て爆睡。

ところがーーーーーーーー
荷物は着きませんでした。積み込みは間に合わなかったのです。
出迎えのSご夫妻は ホテルに持ってきてもらう手続きをしたらいいという。どうしようもないし いわれるようにしました。 でも心配。ホテルにいても仕方がないでしょう。 ウチに食事を用意したとS.夫人はいうのです。
ホテルに来ていたらどうする?というと大丈夫 フロントにいっておけば問題はない、こういうことは慣れているといわれると もう どうにでもなれと思います。でも いや 仕事のもの 着替え 全部2つの荷物に入っているのだと考え 又混乱。
食事を終え ホテルに帰っても まだ到着せず。日本にも電話をして 何かできることは日本でしてくれないかとリクエスト。フロントいわく では来たらお預かりしておきましょう。

なに!すぐ電話してください。何時でもかまいません。起こしてください。!
その間 航空会社からもらった袋にTシャツと なんと髭剃り。やはり 女性の旅は想定外なのでしょうか。
というわけで 荷物到着は夜中の2時、 スーツケースをあけ 中のものを確認したまでは覚えているのですが あーあ!と ベッドに横たわったとたん 朝までそのまま何も知りませんでした。

皆様 乗り換え時間は無駄と思っても たっぷりとりましょう。何があるかわかりません!!!



 

2008年5月22日木曜日

驚きももの記 時差

海外に行くので 食べ物 時差は関係ないのでしょうね。

とんでもございません。 日本では 夜もふけると 3分あればころりと眠りに入る私 海外ではどうも寝付けません。若いころはそれでもなんとかなりました。今では 眠れないと仕事に差し支えます。

どうしたらいいのか。以下 私の解決法です。根拠は あるようなないような。



一週間前からイメージトレーニングをします。現地の時間を 折々に確認する。たとえば朝の10時の日本は 現地では前夜の8時。夕食のころか。。。。ちょっと何か 負担にならないものを おなかにいれます。

ランチの時間。 あちらでは朝のまだ4時。時間と場所ががあれば昼食の後 お昼寝をお勧めします。もしあなたが 地下鉄のなかなら  じっと目を閉じています。たとえ1分でも。



いよいよ当日 空港に向かう乗り物の中では 現地で何時になるか それによって到着まで 眠くてもおきているかどうか判断します。飛行機の中での 寝るか寝ないかも  逆算して態度を決めます。くれぐれも食べ過ぎぬよう。そして水分は取る。その後起こるだろう事のため いつも私は通路側をリクエスト。通路や席で 迷惑にならぬ程度に体は動かすーーというのは基本ですね。



要するに あちらが夜となる時間は 日本でもなるべく目を閉じて リラックスして備えるということです。



フランスに送った金魚が 何度送っても調子が悪かった 死んだものもいたーという話を聞いたことがあります。原因は時差から起こる ストレス。金魚は今 何時というのはわかりませんが 光はわかるわけですね。以来日本にいるときから 光の当たり方を調節したという話を聞いたことがあります。私も金魚よろしく光を調整し 到着したところが昼間なら 頑張って夜までなんとか起きています。



しかし金魚は 仕事に行ったわけではなし 眠たいときに光をあてられたりしてーーーこれがほんとうの  

きんぎょめいわく?(山田君!座布団全部もって行きなさい!)おあとがよろしいようで。。。。。。







  

2008年5月17日土曜日

驚きももの記ーー驚き

5月は 長いことかかわっている専門学校の 選択科目のひとつ いけばなの授業が始まります。
一年生で 15回のみ。 当然のことながら 毎回新しい人たちが 教科書の1の1からはじめます。

授業初日ははさみなど申し込んだ道具の受け渡し 教科書の配布など することがいっぱい。でも18歳くらいの興味深々の生徒たちに会うのも楽しみです。 ほかに コーラス 写真 英語 ブライダルについて ジャズダンス 書道 気功などなど 20近い選択科目のうちから 1つ選んだわけですから。

漢字がずらりと並ぶ名簿をみて 私は うれしく しかし複雑な気分になりました。漢字をよく見ると 日本人の学生は 半分以下でした。どうして日本が世界に誇るものに 興味がある人が若い人にはすくないのでしょうか。しかし外国人の生徒たちが せっかく日本に来たのだから といけばなを選択してくれたわけで それはそれでとてもうれしく思ったのでした。

授業をはじめ 実際にいける段になると教室にはいろいろな言葉が飛び交いました。
言葉の理解が十分でない同級生に 今わかったことを手を添えながらすぐ教える生徒も。
(これから授業の復習として 使った花材を持って帰り 家でいけてくださいね。必ず水切りはしてください。お花が生き返るためにね・〉
家に花器がない人は 水盤や 投げ入れ花器をを申し込んでください。ということも道具の申込書に書きました。毎年 花器はどこで買えますか?という質問が来るからです。申し込んだ花器も本人に手渡しました。
(学校に備え付けの花器はありますが 今日はこれからお家でいける自分の水盤を使ってもいいですよ。)と 授業のはじめに言いました。生徒たちはうれしそうに自分が選んだ色の真新しい水盤でいけていました

授業が終わると一人の生徒がブルーの花器を持って教壇にきました。
(先生 この花器を頼んだのですが 返していいですか?)
話が見えなかったので聞き直すと (教室で使うと思ったから 申しこみました。)
!?!?????
(お家で生ける器があるの?)
(ありません)
(いけばなは 家に帰ってもう一度いけると 復習にもなるでしょう。花の性質もわかるわ。)
(でも場所がありません)
(小さい花器だし どこかあるでしょう。お玄関とか 棚の上とか)
(でもわたし 学校を終えたら国に帰ります。そのときいりません〉
(でもその前に一年間 授業は15回 あるのですよ。)

なんだかクラクラしてきました。お稽古をしたお花はどうするつもりなのだろうか。結局彼女はその花器を 東京の自分の住んでいるところに持って帰ることにはなりました。

前にも 近くの駅のトイレのゴミ箱にお稽古したばっかりの包まれている花材が 投げ込まれているのを見た先生がいて問題になったことがあります。
生きているものの命の大切さ 弱いものへの心遣い そこから教えていかなければならないでしょうね。授業中だけで 完結するものが学ぶということではないことも。

外国人を教える ということは慣れているつもりでしたが。。。。
気を取り直した私は 彼女がこの一年間 どう変化していくか 見守っていこうと思いました。

 

2008年5月15日木曜日

驚きももの記 いいなーという 時がながれる

神楽坂に長いことお住まいの シニアの生徒さんから ご招待。
”星”のついたお店の支店で ご馳走になりました。
若い料理長のお料理は やっぱり日本ていいですよね、の一言に尽きる。
お料理をひきたたせるーーというよりむしろ一歩ひいた けれどもちょっと しゃれた器。
白い壷にさりげなく入れてあった 笹ゆり りょうぶ 出たばかりのさんきらい・、
五感を全部働かせて 堪能してきました。

帰り もう一軒いきましょうと I さんおなじみのバーへ。長いカウンターで 女二人 とめどもないおしゃべり。こんな時間気がつけば久しぶり。 この近くに越してきてよかったなという一晩でした。

2008年5月14日水曜日

驚きももの記 夏に向かって

このころ そろそろ夏物を出さなくては と 思っているとき こんな句を 思い出します。

無思想の肉が水着をはみ出せる
                     長谷川櫂

どうです?ドキッとしたかた多いのでは。
長谷川櫂さんは ご存知の通りこのブログでも話が出た すばらしい俳人です。
この句 私としては正面から堂々と えいやっ!と きりつけられた感じがして ( 一本とられました。まいりました!)という反応です。

でもね 世のなかには(あなたには言われたくない)という人がいます。他の知らない人ならともかくーー長谷川さんは 私よりはお若いですが ダンデイ という言葉が似合う年齢になられています。この言葉はあまり若い男性には使えませんが。
本来の意味とはまた少し違うかもしれませんが (あの長谷川先生にはいわれたくなかった)と思う女性陣も 多いはず。ひょっとしたら 一瞬 ちょっとだけ敵に回したかもしれませんよ。

しかし 現実の水着と考えなくても自分という存在 体の全体から 無思想がはみ出してるかなといつも反省をする 一句なのであります。

2008年5月13日火曜日

驚きももの記 制作ノート

ホームページのなかで GALLERY を ご覧いただいたと思います。
一番最後に 桜の写真がありますね。 1994年 作品集 花だまり と書いてあります。私のただひとつの作品集です。
本では見開きのページのこの写真 1993年の桜の作品です。 撮影したこの場所は いまからずいぶん前に取り壊されました。缶を作る会社に いとこが関係していて その工場にある倉庫の壁の前でこの作品を撮影しました。面白い場所で作品をとりたいので どこかないかと相談を持ちかけたのですが 映画のロケにも使われたこの工場を 一度見てみないかといわれ 行ってみて一目で気に入りました。

当日は空模様があやしく 何作かを撮影したのですが この桜をとるときには雨に突風まで吹きだし  手伝ってくれた生徒さんたちは 余りの雨の勢いに 黒いビニール袋を頭と手を出すために切り取り 着ていました。
工場に転がっていた 鉄のパイプが うまい具合に劣化していい味をだしていたので 花器にして桜をいけ さあ カメラマンがシャッターをきる!という瞬間 作品全体が 舞い上がったと思ったら倒れてしまいました。みんなの悲鳴に近い!あー!という声と同時でした。
この作品ーーーでも いけたのだ、私は確かにーーーーと思うまもなく私はそれを起こし 桜をもう一度立て直しました。(じゃ これで お願いします。)

あとで 作品集を見てくださった 当時の家元 勅使河原宏氏が (これ いいじゃないか!)といってくださったと聞きました。
(仕方がない もう これはいいーー次の作品をいけよう といってあきらめないでよかった)と思いました。
こうして 桜の写真は日の目をみました。それどころか あの桜の写真 いいですねといってくださるかたもいます。
ほめてくださった 勅使河原宏家元も 場所の提案をしてくれたいとこも もう鬼籍に入っています。
あの日いけられた桜は 15年たった今も 本の中で 命の輝きを放っていると思うのは 作者である私の 思い出の深さゆえでしょうか。


http://www.kokanote.com/ 






 

2008年5月11日日曜日

カナダ

 今朝も なんだか はっきりせずに寒いですね。昨晩も ジーンズのコートを着て出かけました。
お洗濯せずよかった。窓越しに見える板やかえでの鉢植えは 葉の緑が日に日に濃くなってきています。
今日は日曜、 二年ぶりの カナダ出張の準備をすることにしました。
今回は 一箇所 オタワだけなのですぐ帰ってきます。カナダの支部の会員のために 教科書の説明に行ってくるようにということなのです。
オタワも 今年は雪がおおかったようですね。今も寒いのでしょうか。世界のお天気を検索することにしましょう。
そういえばなんといってもカナダは 楓 でしたね。

2008年5月10日土曜日

驚きももの記 やはりーー

かよっていた学校には さまざまなうちの子がいました。パパは 誰でも知っている超有名企業にお勤め。何ちゃんのおじいちゃまは なになに会社の会長だって。お医者 弁護士 教授 歌舞伎のうちのお嬢さん。牧師さんの一人娘。代が代ならば 机を並べられないといったお嬢様もいました。戦後一時閉めた海外の各地の支店をあけにいくために 単身赴任をしておいでのお父様を持つ姉妹。、
 私の父は 起業をしたばかりでした。保護者の職業の欄に書いてあった会社名を見て 誰も知らないだろうなとおもった記憶があります。ちょっとほかのコが うらやましく思えたときもありました。
けれども私にはひそかな誇りがありました。

私は 海賊の末裔だということです。

父の姉の一人で私たちがちっちゃなおばあちゃんとよんでいた 弘おばあちゃんによると 何代か前に九州の大分に先祖は塩飽諸島から渡ってきたそうです。塩飽諸島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島の集まりを言うのですが 近年瀬戸大橋ができて 耳にすることが多くなりました。
村上水軍ほど有名ではありませんが 塩飽水軍というのもあると聞きました。
彼らは大坂はじめ本土との交易が仕事だったということです。もちろんその中には 海賊のような 一団もあったことは 当然想像されます。わが一族は 何代か前は 自分たちのことを 塩飽やーーと呼んでいた時期があったとか。
塩飽やーー。こんど新しくアートネームを つけるときには 塩飽屋光加なんていいかもしれない。
でも 私だと(塩飽屋 おぬしも悪よのう。うふっ!うふっ! うふっ!)のほうが あっていたりして。

大海原を自由に行き来する人々。満天の星のもと 帆に 風をうけ船を進める。 酒盛りをしたこともあったでしょう。歌や踊りが甲板で繰り広げられたこともあったかもしれない。けれども荒天のなかを渡っていく知力と体力も どんなに要求されたことでしょう。 大きな困難も自分の目的のためには受け入れる その力強さ 順応力と 予想もしない事態に対する柔軟な頭脳。
物静かな父が 戦後の混乱と 価値観もまったく覆された荒海の中を 起業という船出をあえてしたことはやはりどこかでそのDNA を 受け継いでたのかもしれません。

一族の緻密で 確実さを身上とする人が多いなか 女性陣は まことに豪快 陽気で 情にもろいといった面々が目立ちます。武勇伝も事欠きません。少々いい加減 というところが似ているといれば似ています。

しかし 海外に仕事に行くとき 飛行機が滑走路からだんだんとスピードを増しふわりと飛び立ったと思うとぐんぐんと高度を上げていくとき 無性に血が騒ぎ さあやるぞ!と 思うのは はるか昔の海賊の船出のときの血が私の中のどこかで目覚め 動き始めるからなのでしょうか。
  

2008年5月7日水曜日

驚きももの記

ゴールデンウィークも 終わりました。
さあ 仕事というかたが多いでしょう。今は一番いい季節ですね。
昨年の今頃 NHK俳句にゲスト出演しました。俳人の長谷川櫂さんの番組です。
俳句には無縁の私、あせりました。好きな俳句を一句あげなくてはならないのです。
まよったあげく 加舎白雄の

     さうぶ湯やさうぶより来る乳のあたり

という句をあげました。
この菖蒲は 私たちがいける花菖蒲とは異なり 根元が赤く 香りがします。
時代も隔たった 加舎白雄の 水(湯)に対しての感覚が私たちにも伝わってきます。
香りたつ菖蒲の葉のゆらぎ お湯のたっぷり感 、
たった17文字の俳句。
改めですごい文化だと思いました。

2008年5月1日木曜日

(驚きももの記) 再開のごあいさつ

長いことそのままのこのブログでしたが ホームページたちあげとともに 再開いたします。。
今回も 驚いたこと 心に響いたこと 笑ってしまうこと 一言 言いたいことーーーもろもろを いざーーー 。



最後のブログ書き込み以来  大きなことといえば 学士会館で 〈花のライブ)をしたことです。3月6日でした。130人という 予想もしないお客様がお見えくださいました。 教室の生徒さんも快く手伝ってくれました

実際にいけばなをいけるところを 一般の人が 見る機会がないこと。 いけばなの作家 あるいは先生といわれるとき イメージがなんとなくあること。  または余り 何をしているのかわからないーーといったかたがたが 多いのではないでしょうか。
よく 外国にいけばなの仕事で行ってるというけれど 私が何をどうしているか 具体的に知っている人は あまりいません。 
それで なるべく お花の関係ではないお客様を主にご招待して 一時間半 話をしながら 13作をステージでいけたわけです。
わたくしたちが 外国で このかたちでいけばなを紹介するのは多いのですが 肝心の日本では 限られた人たちしか見ていないでしょう。

初めて見てくださった方たちが ブログのタイトルのように  (驚きももの記 )だったのが うれしかったです。
このイヴェントには (歌われた樹々 詠まれた花たち)ーーという副題もつけました。
俳句をはじめ 詩歌などに取り上げられる植物たちを意識して 今の季節でしか目にしないものを いけていこうという試みでもあったのです。

ここ数日 急速に緑が深くなっていくのが みられます。  日本に四季があり 季節が移っていく その楽しさが ひときわ感じられる時でもあります。
さあ これから おりおり 心に浮かびゆくことなどを つづっていくことにいたしましょう。

どうかよろしくお付き合いのほどを。