2008年7月10日木曜日

驚きももの記 ロンドン

  旅も大詰め、10年ぶりのロンドンは 青く高い空が 迎えてくれました。
支部が久しく途絶えていたロンドンに私が行くことになったのは 教科書の説明と 実際にそのテーマをいけてみせるデモンストレーションという催しをするためでした。 各師範はもちろん 前に習っていた人でも 東京の本部は記録のあるメンバーをさがし イギリスじゅうによびかけていました。
そして これを機会に各師範が生徒を連れて集まり  ロンドン支部が発足という運びになっていました。


着くとすぐ 今回の出席者のリストを渡されました。
ああ あの先生 このベテランの師範も来てくださる と リストの名前をなつかしく見ていると (今は 習っていないが 昔 東京で習ったことがあり 先生はとても若い方だったが 確かにその名前だと思うのだけれど  出席は可能かとのおたづねもありましたよ〉と いわれました。

さあ。。。。 だれかしら?
毎年 外国の各地からクリスマスカードをいただいていたけれど私の2度の引越しで 交流が途絶えてしまった方の何人かの一人ではないだろうか。リストの名前をたどっていくと 一人の名前のところで 私の視線はとまりました。ひょっとしたら。。。

セッションが始まる時間は午後でした。早くいらした中には サンドイッチを持参のかたもおいででした。その名前は 確かに記憶の隅で 信号を発しだしていました。
年から考えるとこの方かしら。何人かの中で  一人ですわっていた老婦人を私は見ていました。
いや 違う とすぐに心の中で 打ち消したのは 若い日のその人が ひかえめでしかも エレガントな奥様。、 そして確か髪をショートカットにしていた、と 小さなことががだんだんとよみがえってきたからでした。もちろん顔は覚えていません。でもそんなにお年かしら。あれから何年になるのだろうか。

セッションは説明とデモンストレーションで2時間半 その後にいくつかの質問で終わりました。
リストには名前はあったけれど 今日はおいでにはならなかったのかしら。
終わってから 思い切って壇上から参加者に呼びかけました。この中で Mrs. Mは どちらかにおいでですか?
(はい!)前から2番目の列のはしにすわっていたそのひとは 立ち上がりました。思っていたよりずっと若い奥様でした。
[しばらくです ! まあお元気で。!]そして二人から同時に出た言葉は (ちっとも変わっていないわ!)
お互いに年はとりました。でも彼女の なんともいわれぬ気品のあるエレガントさはそのままで 私はそれが何よりもうれしく思いました。
彼女は [これ!]と差し出したのは 私がまとめた英文のエッセイ集、そしてそこには インクの色も薄くなってはいましたが 私の字で1972年という年と私の本名でのサインがありました。

彼女は 日本から帰国してから テニスで有名なウィンブルドンに住んでいること。帰ってから お子さんが生まれ 育て上げて --[だからいけばなは ずっとしていないのだけれど 今回呼びかけてくださって。 絶対にあなただろう この名前は 先生にちがいないって。もう 絶対出席しようと思って。
そういうと ( ねえ 誰かに写真を撮ってもらいましょうよ。チャールスにみせたいわ!)

そういったとたん わたしのなかで 36年という時を飛び越えて あの六本木の教室でのことがよみがえってきました。いつもCharles とご主人を呼んでいた おそらく新婚だった彼女。当時日本では 人の前でご主人のことを名前で呼ぶことはなく 私は 彼女の 呼び方をいいものだなあと思って聞いていたものでした。
 ご夫君と二人で仲良く変わらず暮らしている それが彼女を 年など飛び越えて 素敵な奥様にしているのでしょう。

そして私は いけばなって面白いんだ と伝えようという 若いときのがむしゃらな日々が 決して無駄ではなく 今その答えを与えられたような気がしました。Where there is a will, there is a way. (意志あるところに道はひらける) 久しぶりにそんな言葉も思い出しました。

(子供たちも手が完全に離れたし 又機会があればはじめたいわ)

私はそのとき たった今終わったデモンストレーションで使った はさみを手にしていました。
(これは もう前の国で 何度も使ってきたから新しくないけれど 又はじめるのには まだ使えるでしょう。 上手になってきたら もっといいはさみを手に入れてね。)
私は 彼女にはさみを手渡しました。
(まあ。。)
思わず 両方から抱き合いました。

あんなふうに年をとりたい。 そんな人が 又一人増えました。










 

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