2008年5月10日土曜日

驚きももの記 やはりーー

かよっていた学校には さまざまなうちの子がいました。パパは 誰でも知っている超有名企業にお勤め。何ちゃんのおじいちゃまは なになに会社の会長だって。お医者 弁護士 教授 歌舞伎のうちのお嬢さん。牧師さんの一人娘。代が代ならば 机を並べられないといったお嬢様もいました。戦後一時閉めた海外の各地の支店をあけにいくために 単身赴任をしておいでのお父様を持つ姉妹。、
 私の父は 起業をしたばかりでした。保護者の職業の欄に書いてあった会社名を見て 誰も知らないだろうなとおもった記憶があります。ちょっとほかのコが うらやましく思えたときもありました。
けれども私にはひそかな誇りがありました。

私は 海賊の末裔だということです。

父の姉の一人で私たちがちっちゃなおばあちゃんとよんでいた 弘おばあちゃんによると 何代か前に九州の大分に先祖は塩飽諸島から渡ってきたそうです。塩飽諸島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島の集まりを言うのですが 近年瀬戸大橋ができて 耳にすることが多くなりました。
村上水軍ほど有名ではありませんが 塩飽水軍というのもあると聞きました。
彼らは大坂はじめ本土との交易が仕事だったということです。もちろんその中には 海賊のような 一団もあったことは 当然想像されます。わが一族は 何代か前は 自分たちのことを 塩飽やーーと呼んでいた時期があったとか。
塩飽やーー。こんど新しくアートネームを つけるときには 塩飽屋光加なんていいかもしれない。
でも 私だと(塩飽屋 おぬしも悪よのう。うふっ!うふっ! うふっ!)のほうが あっていたりして。

大海原を自由に行き来する人々。満天の星のもと 帆に 風をうけ船を進める。 酒盛りをしたこともあったでしょう。歌や踊りが甲板で繰り広げられたこともあったかもしれない。けれども荒天のなかを渡っていく知力と体力も どんなに要求されたことでしょう。 大きな困難も自分の目的のためには受け入れる その力強さ 順応力と 予想もしない事態に対する柔軟な頭脳。
物静かな父が 戦後の混乱と 価値観もまったく覆された荒海の中を 起業という船出をあえてしたことはやはりどこかでそのDNA を 受け継いでたのかもしれません。

一族の緻密で 確実さを身上とする人が多いなか 女性陣は まことに豪快 陽気で 情にもろいといった面々が目立ちます。武勇伝も事欠きません。少々いい加減 というところが似ているといれば似ています。

しかし 海外に仕事に行くとき 飛行機が滑走路からだんだんとスピードを増しふわりと飛び立ったと思うとぐんぐんと高度を上げていくとき 無性に血が騒ぎ さあやるぞ!と 思うのは はるか昔の海賊の船出のときの血が私の中のどこかで目覚め 動き始めるからなのでしょうか。
  

0 件のコメント: