ね、いいところでしょう?
たまたま 隣の部屋にいたアメリカ人のご夫婦が (どうしてここを知ったの?)と話しかけてきました。
今から何年前になるでしょうか。イタリア語を一生懸命習っていた時代がありました。
そのときのイタリア人の先生が 学生のころ アルバイトをしていたというのが このペンショーネでした。
ある年その先生が帰省するときに 私とタイミングがあい ここにつれてきてもらったのです。
もっともそのときは春の浅いときで お客さんもいなくて 今は引退した先代のご主人が もう一部屋作ろうと 自らスコップをもって 土を外に出しているところに 久しぶりです! やあやあーーという次第。
今はお嬢さんのBeatriceが ご主人と昔からのスタッフとここを切り盛りしています。
私の隠れ家といったらまずここでしょうね。
イタリア人の先生が連れて行ってくれたときまず驚いたのは そのシンプルさでした。
もともと修道院だったのを 何代か前が買取りこの形にしたのですから無理はないですが ペンショーネ発足同時の事情をきかされていた彼は そのころ各部屋には鍵もなかったそうだといってました。
今でこそ鍵はかかりますが ないものをあげれば テレビ エアコン 冷蔵庫 新聞 アメニテイグッズ
などなど。廊下にところどころパソコンが置いてあり自由に使えるのが 前にいった時と変わった事。
働いている人たちも親から子へ という人も多いとか。
私のことも覚えていてくれてみんな驚きの表情をうかべ (まあしばらく) (元気だった!) と レセプションでBeatrice の横に座っている アナリサも ステファノも 庭師のおじさん いつも食事の合図の鐘をならすおじいさんも歓迎してくれる。前に会ったこの家のラブラドール(すっかりおばあさん)までも ゆるく尻尾を振ってくれる。
こんなところめったにありません。
それにしてもBeatrice も ご主人もよく働く事。
ご主人は トラクターのような音がすると思って窓からのぞいたら、オリーブ畑の道の草を刈っている。昼間かんかん照りのとき 壁修理のペンキを調合している。かとおもえば夜は ダイニングで
(ワインにします?それとも何か他のものにします?)
ときいてまわっている。
友人たちはすっかりここが気に入った様子。通じようと通じまいとともかく イタリア語が出てくる私。
何十年ぶりにすらりと出てくる 単語にわれながら驚く。
美術館の観光だったらここは向かないでしょう。買い物も周囲にコンビにのようなお店も もちろんひとつもありません。
でもいってみたい! だめ!内緒。だから隠れ家。
ここは市の中心から少し歩き停留所にたどりつき 暴走バス(ここに住んでいる友人の表現)で九十九折の狭い道を15分。
そこから徒歩15分のところ。夜は真っ暗で帰ってくるときは 懐中電灯が必要。
覚悟がいります。
新聞もテレビ パソコンさえも毎日は触らなかったからでしょうか。
それとも イタリアの底力を垣間見たせいでしょうか。
さあ 東京に帰ったら たとえ暑くても一生懸命仕事をするぞ!!!秋に向かってがんばるぞ、という気が心の底にもくもくと 沸いてきました。
帰ってみればーーーう。でも暑い!!!!
。
2011年8月12日金曜日
驚きももの記
何の変哲もない 木が二本。
私には 大いに意味のある木なのです。
3月11日の震災に 私のところには外国からいち早く 何通ものお見舞いのメールが来ました。中には、ともかくすぐ逃げてきなさい! 泊るところはあるからーーと。そのメールが一番早かったうちの一箇所がここです。
どうしてもお礼を言って 今の日本の現状を説明したかった というのがひとつ。
それと 何年か前に植えた桜が数年前の大熱波で 3本がかれてしまったという事を聞いていたので どうしてもでかけてみたくなりました。
年を重ねるにつれ 私だっていつどうなるかもわかりません。今がチャンスだ!
全滅だと思った桜が 4本のうち一本がこの大きさに成長していたのでした。植えたのは私は7年前と思っていたのですが 実は10年前だった。ここの一家と庭師の方が 広い庭のなか 忘れずにこの木にも水をあげててくれていたのです。いわれるまでわからなかった思っていたよりはるかに大きな木を見上げました。
(今年も何輪か小さい白い花が咲いたわ。小さいけれど実もつけていた)
確か私は ここに小さな桜並木がつくれたらいい 数メートルでも! といっていたのをおもいだしました。Beatrice に(本当は桜がいいのだけど では何だったら確実かしら?)と聞いてみました。
(糸杉か オリーブなら大丈夫でしょう。)
それで 御願いしたのが このオリーブです。オイルにするのと実を食べるのとどちらがいい?と聞かれ では 実をたのしむのに というのをきいて Beatriceのご主人が買ってきてくださいました。
ーーいかほどでした?と財布を開けようとする私にBeatrice は 10年前のお金がまだのこっているから とどうしてもいってくれませんでした。
庭師のジョセッペが 暑い中 穴を掘ってくれました。
(隣に杭があるけれど 小さいうちはこれにしばってもいいね。大きくなるまで)
またここにこなくては、すでに何個かついているオリーブの実を見ながら思いました。
桜とオリーブと そして 私。何年先か わかりませんが ともに成長して 何らかの実をむすび この木の前に立ちたいなと思ったのでした。
私には 大いに意味のある木なのです。
3月11日の震災に 私のところには外国からいち早く 何通ものお見舞いのメールが来ました。中には、ともかくすぐ逃げてきなさい! 泊るところはあるからーーと。そのメールが一番早かったうちの一箇所がここです。
どうしてもお礼を言って 今の日本の現状を説明したかった というのがひとつ。
それと 何年か前に植えた桜が数年前の大熱波で 3本がかれてしまったという事を聞いていたので どうしてもでかけてみたくなりました。
年を重ねるにつれ 私だっていつどうなるかもわかりません。今がチャンスだ!
全滅だと思った桜が 4本のうち一本がこの大きさに成長していたのでした。植えたのは私は7年前と思っていたのですが 実は10年前だった。ここの一家と庭師の方が 広い庭のなか 忘れずにこの木にも水をあげててくれていたのです。いわれるまでわからなかった思っていたよりはるかに大きな木を見上げました。
(今年も何輪か小さい白い花が咲いたわ。小さいけれど実もつけていた)
確か私は ここに小さな桜並木がつくれたらいい 数メートルでも! といっていたのをおもいだしました。Beatrice に(本当は桜がいいのだけど では何だったら確実かしら?)と聞いてみました。
(糸杉か オリーブなら大丈夫でしょう。)
それで 御願いしたのが このオリーブです。オイルにするのと実を食べるのとどちらがいい?と聞かれ では 実をたのしむのに というのをきいて Beatriceのご主人が買ってきてくださいました。
ーーいかほどでした?と財布を開けようとする私にBeatrice は 10年前のお金がまだのこっているから とどうしてもいってくれませんでした。
庭師のジョセッペが 暑い中 穴を掘ってくれました。
(隣に杭があるけれど 小さいうちはこれにしばってもいいね。大きくなるまで)
またここにこなくては、すでに何個かついているオリーブの実を見ながら思いました。
桜とオリーブと そして 私。何年先か わかりませんが ともに成長して 何らかの実をむすび この木の前に立ちたいなと思ったのでした。
2011年7月17日日曜日
驚きももの記 できることとは?
今度の震災で 私にできる事はなんだろうか?と考えました。
住んでいる東京には 確実に直下型がくるといわれ 明日はわが身。、今回の震災に関係した人が 私の場合 親戚や友人にはいませんでしたが とても他人事とは思えません。
私が一番自信をもって できる事 それはいけばなしかありません。
家元をはじめ 何かいけばなでできないだろうかーーという事は 地震発生後から みんなで考えていました。ものにはすべて時期があるという言葉があります。じっと まっていました。
いかにみんなが何か役に立つ事はないか なにができるだろうか と真剣に考えていました。
新聞にものらないけれど 大量の歯ブラシを寄付した会社。 そろそろこういうものも必要だろうと化粧水や 口紅を被災地に運んだ化粧品会社。毛布とか日用品を集め送った会社。子供たちが必要だろうと 学校で集め車で避難所に届けたお母さんたち。 お店の入り口に被災地はこんなものがいると情報を得て 箱を出して見知らぬ人からも 物資を受け付ける。私も石鹸をいれました。みんな 損得関係なくそっと行動にうつした沢山の人たち。
宣伝だと思われるのは いや と 言う人もいるでしょう。
でも この話 報告させてください。 近くのホテルに避難しておいでの方に いけばなを体験してもらおうという計画を 家元と私の関係している流が立てました。
私も講師のひとりとして レッスンをさせていただきました。少し暑いけれど 気持のいい新緑の中 スタッフが 避難先から 坂を上って会館まで皆さんをお連れする。受講者はお子さんをつれたかた お年を召したかたなど 30数名が集まり 二つのグループで花をいけました。
ややっこしい事は ぬき 植物にさわってもらうだけでいい。
教室のドアーをはいったら 植物の いけばなの世界。好きな花材と 花器も棚から自由にどうぞ。戸惑っていた参加者の皆さんは やがて講師の皆さんのアドバイスで いけはじめ。一時間ほど 教室は 植物のすがすがしい香りに包まれました。一人ひとりが 真剣に制作。私たちは質問があれば 飛んでいってお手伝い。
すべての事は とりあえずドアーの外に 置いておきましょう。刻々と自分の花の世界が出現していきました。、
使った花材は勿論流からのプレゼント。 花を大事に包み (花に触ったのは 何ヶ月ぶりかしら)(とてもいい経験でした)という方たちに 私たちは(どうぞお元気で)というのが 精一杯。
家元は個展の真っ最中でしたが ポケットマネーで 花の本とポストカードをさしあげ、花器を扱っている部署は プラスチックの組み立て花器を それぞれのお部屋でいけていただくために寄付。 近くのお菓子の老舗は 皆さんにようかんを プレゼント。
みんな自分ができる事をしたと思います。
いつか あの大変なときに 少しの間 花とむきあった、そんな思い出をプレゼントしたかったのです。
微笑みも浮かべ 楽しそうにいける皆さんに 私たちも勇気と元気をいただきました。
来てくださって 本当にありがとうございました。
どうぞ みなさま お大事に! できる事は少ないけれど みんなで応援しています。
住んでいる東京には 確実に直下型がくるといわれ 明日はわが身。、今回の震災に関係した人が 私の場合 親戚や友人にはいませんでしたが とても他人事とは思えません。
私が一番自信をもって できる事 それはいけばなしかありません。
家元をはじめ 何かいけばなでできないだろうかーーという事は 地震発生後から みんなで考えていました。ものにはすべて時期があるという言葉があります。じっと まっていました。
いかにみんなが何か役に立つ事はないか なにができるだろうか と真剣に考えていました。
新聞にものらないけれど 大量の歯ブラシを寄付した会社。 そろそろこういうものも必要だろうと化粧水や 口紅を被災地に運んだ化粧品会社。毛布とか日用品を集め送った会社。子供たちが必要だろうと 学校で集め車で避難所に届けたお母さんたち。 お店の入り口に被災地はこんなものがいると情報を得て 箱を出して見知らぬ人からも 物資を受け付ける。私も石鹸をいれました。みんな 損得関係なくそっと行動にうつした沢山の人たち。
宣伝だと思われるのは いや と 言う人もいるでしょう。
でも この話 報告させてください。 近くのホテルに避難しておいでの方に いけばなを体験してもらおうという計画を 家元と私の関係している流が立てました。
私も講師のひとりとして レッスンをさせていただきました。少し暑いけれど 気持のいい新緑の中 スタッフが 避難先から 坂を上って会館まで皆さんをお連れする。受講者はお子さんをつれたかた お年を召したかたなど 30数名が集まり 二つのグループで花をいけました。
ややっこしい事は ぬき 植物にさわってもらうだけでいい。
教室のドアーをはいったら 植物の いけばなの世界。好きな花材と 花器も棚から自由にどうぞ。戸惑っていた参加者の皆さんは やがて講師の皆さんのアドバイスで いけはじめ。一時間ほど 教室は 植物のすがすがしい香りに包まれました。一人ひとりが 真剣に制作。私たちは質問があれば 飛んでいってお手伝い。
すべての事は とりあえずドアーの外に 置いておきましょう。刻々と自分の花の世界が出現していきました。、
使った花材は勿論流からのプレゼント。 花を大事に包み (花に触ったのは 何ヶ月ぶりかしら)(とてもいい経験でした)という方たちに 私たちは(どうぞお元気で)というのが 精一杯。
家元は個展の真っ最中でしたが ポケットマネーで 花の本とポストカードをさしあげ、花器を扱っている部署は プラスチックの組み立て花器を それぞれのお部屋でいけていただくために寄付。 近くのお菓子の老舗は 皆さんにようかんを プレゼント。
みんな自分ができる事をしたと思います。
いつか あの大変なときに 少しの間 花とむきあった、そんな思い出をプレゼントしたかったのです。
微笑みも浮かべ 楽しそうにいける皆さんに 私たちも勇気と元気をいただきました。
来てくださって 本当にありがとうございました。
どうぞ みなさま お大事に! できる事は少ないけれど みんなで応援しています。
驚きももの記 蘭奢待
蘭奢待 (らんじゃたい)ーーという言葉 きいたことがあるでしょうか?
知ってますよ!!!日本酒でしょう!?おや!なかなかの通ですね。 はい 確かにお酒の名前にあります。
ですが 本来は正倉院に収められている 香木です。何でも 足利義正 織田信長そして明治天皇などが 一部を削り取っていて その場所は1,5m余りの高さの本体に 和紙に墨で名前が書かれているとか。秋には正倉院の御物の展示がありますが こんど蘭奢待の展示が 何年か先にでもめぐってきたら絶対に見に行きます。この香木はむろん今ではどんなにお金を積んでも手に入らないものです。
ところで おのおの切り取られた破片はその後どうなったのでしょうか。今でも存在するのでしょうか。
信長は本能寺の変で 炎に包まれ蘭奢待の一片を抱きながらなくなったということが言われているそうですが 彼の美学からすれば それも考えられないではないでしょう。
香水といわれるものが自分には きつすぎるなと思ってから 私は ず香 といわれるお香を 黒檀で作られた丸い小さな容器にいれ 持ち歩いています。 僧侶が おつとめをするときに また書を書くとき手の汗の滑り止めに使うものらしいです。私は3種類の ず香を ブレンドして私の香にしています。 お線香くさいという人もありますが 自分では気に入ってます。何より 信長の蘭奢待を思い出すと ロマンを感じます。 平安の昔のように かすかな香りで あ 今 福島がここを通ったーなどと感じてくださるおかたがいらしたらーーハイ それはありませんよね。
知ってますよ!!!日本酒でしょう!?おや!なかなかの通ですね。 はい 確かにお酒の名前にあります。
ですが 本来は正倉院に収められている 香木です。何でも 足利義正 織田信長そして明治天皇などが 一部を削り取っていて その場所は1,5m余りの高さの本体に 和紙に墨で名前が書かれているとか。秋には正倉院の御物の展示がありますが こんど蘭奢待の展示が 何年か先にでもめぐってきたら絶対に見に行きます。この香木はむろん今ではどんなにお金を積んでも手に入らないものです。
ところで おのおの切り取られた破片はその後どうなったのでしょうか。今でも存在するのでしょうか。
信長は本能寺の変で 炎に包まれ蘭奢待の一片を抱きながらなくなったということが言われているそうですが 彼の美学からすれば それも考えられないではないでしょう。
香水といわれるものが自分には きつすぎるなと思ってから 私は ず香 といわれるお香を 黒檀で作られた丸い小さな容器にいれ 持ち歩いています。 僧侶が おつとめをするときに また書を書くとき手の汗の滑り止めに使うものらしいです。私は3種類の ず香を ブレンドして私の香にしています。 お線香くさいという人もありますが 自分では気に入ってます。何より 信長の蘭奢待を思い出すと ロマンを感じます。 平安の昔のように かすかな香りで あ 今 福島がここを通ったーなどと感じてくださるおかたがいらしたらーーハイ それはありませんよね。
2011年6月3日金曜日
驚きももの記 日本語とは
早朝この辺を歩くときの楽しみは 公園です。 特に週末の六時ごろ犬が集まっている場所があります。
先日も 大好きな大型犬を連れている人を見かけました。広い芝生の上をリードをつけて駆け回っている小型犬を悠然と見ながら 尻尾をゆるーく振っているのです。
ン!可愛い!!!
人生 大型犬をかうことは ないだろうと思っています。だから吸い寄せられるようにこの犬のもとへ。
ゴールデン レトリバーは やはり散歩らしい女の人が 頭や背中をなでるのも受け入れて 気持よさそうに微風に 金髪(?)をなびかせている。
思わず私も一緒になでる。
ウーン! いい子だ いい子だ!
気がつけば もう一人の人は いってしまって 撫で回しているのは私だけ。
リードのもとの飼い主の方をふと見ると ベンチに腰をかけた男性。
触っていいですか?と聞くべきなのに 何もいわずにゴールデンをなででしまった私はちょっと気まずい思いになり すっくと立ち上がり 言葉をさがしました。
(お名前は?)
(---)
一秒の5分の一の間があったでしょうか。
(あ ピカソです)
(ピカソ!!アーチストなのね。君は!)また首の周りをなでまわしました。
(まだ3歳です)
やがてまた走り出した私はふと思いました。
あの五分の一秒は?
質問した後 もし (加藤です)とか (鈴木です)
と答えられたら 今度はその何倍かの私の沈黙があったはず。
名前に(お)をつけた私が悪かった。
ピカソは犬なのだ。(お名前は)でなくて(名前は?)ときくべきなのだ。
いつだったか 店員に(お名前様は?)と聞かれひっくり返りそうだった私。
人のことはいってられないーーーと反省したのでした。
ピカソ また会いましょうね。
・
先日も 大好きな大型犬を連れている人を見かけました。広い芝生の上をリードをつけて駆け回っている小型犬を悠然と見ながら 尻尾をゆるーく振っているのです。
ン!可愛い!!!
人生 大型犬をかうことは ないだろうと思っています。だから吸い寄せられるようにこの犬のもとへ。
ゴールデン レトリバーは やはり散歩らしい女の人が 頭や背中をなでるのも受け入れて 気持よさそうに微風に 金髪(?)をなびかせている。
思わず私も一緒になでる。
ウーン! いい子だ いい子だ!
気がつけば もう一人の人は いってしまって 撫で回しているのは私だけ。
リードのもとの飼い主の方をふと見ると ベンチに腰をかけた男性。
触っていいですか?と聞くべきなのに 何もいわずにゴールデンをなででしまった私はちょっと気まずい思いになり すっくと立ち上がり 言葉をさがしました。
(お名前は?)
(---)
一秒の5分の一の間があったでしょうか。
(あ ピカソです)
(ピカソ!!アーチストなのね。君は!)また首の周りをなでまわしました。
(まだ3歳です)
やがてまた走り出した私はふと思いました。
あの五分の一秒は?
質問した後 もし (加藤です)とか (鈴木です)
と答えられたら 今度はその何倍かの私の沈黙があったはず。
名前に(お)をつけた私が悪かった。
ピカソは犬なのだ。(お名前は)でなくて(名前は?)ときくべきなのだ。
いつだったか 店員に(お名前様は?)と聞かれひっくり返りそうだった私。
人のことはいってられないーーーと反省したのでした。
ピカソ また会いましょうね。
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