2011年11月25日金曜日

花材と花器

花材 いいぎり南天 シーグレープ グロリオーサ
花器 ステンレス 福島デザイン

この花器をデザインの打合せが終わり 空港に向かったら 大変な事が起きていました。3月11日でした。

驚きももの木



ところでーーー大漁旗だけに夢中になっているだけでは ありません。
先だっての家元継承10周年の 草月展の作品です。頭が切れていて いい写真ではありませんが。
時間があったらちゃんとプロの取った写真がありますので おって公開しますね。






ようござんす! ね?!

2011年11月15日火曜日

驚きももの記 大漁旗に血が騒ぐ

少し前のブログに書いたのですが 偶然の事に大漁旗からつくったチュニックをきる事になりました。
しっかりした綿の着心地はまことによく 少しフィンランドのマリメッコににた柄いきは おおらかで 色は明るく 着ているだけで 元気が出る気がしてきました。被災地の大漁旗で もう漁に出なくなった船にあったのものをゆづりうけ バッグ ポーチ エプロン チュニックなどにして 売ったお金を そこにもどするというプロジェクトに賛同して手に入れました。

その矢先 ある方から 北海道の地方の都市で 網元の家が誰も住まなくてて困っている もう取り壊す事になりかねないのだけれど 興味はあるかときかれました。 ないことはありませんが  いかにも現実離れしていて ちょっとねえーーという話におわったのです。が。。。私のこと とっさに〔大漁旗そのうちにあったら 譲ってくださらないかしら?)ときいてしまいました。
すこしたって そのかたをとおして 古いのだけれど何かに使えるならーと 我が家にどさっとダンボールがとどきました。
開けてみると大漁旗 その数 10数枚!
玄関先で一枚一枚広げ まだどことなく潮の香りがする中にかこまれていると だんだん私は自分で興奮してくるのが わかりました。赤 白 青 ときには紫や黄色 緑 !なんという色!海老や 亀の描かれかれているもの。波よけ観音の絵は 航海の無事を祈る旗でしょう。そして元気な踊りだすような字体で船の名前が描かれています。この旗たちをかかげて 船は港に颯爽と入ってきたのでしょう

こんなに心が躍るのは 私の祖先が 瀬戸内海の海賊だったせい!と私はおもいました。祖母が、三代前は 瀬戸内海の塩飽諸島からきたらしいーーといっていた事をきかされました。あの近辺で有名な 村上水軍などという 格好いいものではありません。
父方のたくましい一族の一人ひとりを思い出すと目がぎょろりとして 浅黒く 海賊というのが真実味を帯びてきます。

海というのは 私の生活では遠い存在でした。子どものころ あまり海には行きませんでした。いまだに水泳は不得意です。
しかし 突然私の中に 長い事眠っていた 海の民の血が騒ぎ出した と考えるのは不自然でしょうか。
旗を目の前に広げ 夜がふけるまで魅了されていて さてこれをどうしようかと 考えている私。

年末も近いのにーーーーーーです。

2011年10月3日月曜日

驚きももの記 久しぶりのデモ


秋になりました。
久しぶりのデモンストレーションの依頼です。東南アジア各国からほとんど男性のお客様。
今度は 森彩琳さんと二人でデモ、なにせ20分しかない それもデイナーの席です。家元のアトリエスタッフ お花屋さんなど 時間が短いとはいえ フルスタッフでのぞみます。宴たけなわで お酒を召し上がって話に花が咲いてるかもしれないので 藤蔓をインパクトドリルで とめるとこからはじめましょうよ、と提案、
骨格をつくっておき 仕上げに〔ド、ド-ッ〕という音を何回か響かせ そこに彼が竹をいれる それで私が枝と花をいれていき 森さんがもう一方をしあげると。
左がブルー 右が紅白を意識したつもりです。
時間がおしていたので 嵐のようなデモでした。でも18分ほどでおわり ほっとしました。

2011年9月23日金曜日

今日はお彼岸の中日です。

お墓参りにいってきました。
今年は 特別な思いでお墓参りをなさった方もたくさんあったと思います。

お寺で 和尚様の奥様に、ご挨拶をして玄関を出ようとしたところ 一人の男性が入ってきました。
( あ このかた おなじところ。こちらお花の先生の福島さん )と奥様はそのかたに私を紹介。

おなじところーーで わかりました。我が家は納骨堂のようになっているところに収めています。そこはとても狭いころです。全部で何軒あるでしょうか。向かい合って並んでいる通路は幅はⅠメートルもないくらいです。
そこに 入る檀家さんは 奥様が選んでおいでになるらしい、ということを人づてにききました。

で その男性に私もにこやかに(ああ そうですか。 どうぞよろしくおねがいいたします)
と挨拶をしたのですが ブルージーンズに白髪 なかなかのナイスミドルでありました。

去年の秋のお彼岸 いつものように奥様にご挨拶をして 玄関先で帰ろうとすると(あ ご一緒のところの方がおいでになるので ぜひおあがりくださいーー)といわれました。
同じ納骨堂の中で ごく近い場所にもっておいでの二組のご夫婦でした。
お話をしているうち 祖母の代から少しだけ関係のあるビール会社に長い事お勤めと伺いました。 

そのことをお話しすると (ご縁ですねえ)という話からもりあがり 
(この5人のうち 誰が先かわかりませんが 先に行った人は 後から来る人たちを 楽しみに待っている事にしましょうね。)
 (あの世で 宴会のメンバーがわかってよかったわ)
という一人の奥様の声に もう一人が 
(私 主人がビール会社なのに 一滴も飲めませんので お仲間に入れていただくよういまのうち練習しときますわ)
という声にどっと笑い声が起きました。

あの世のご近所は ナイスミドルに あの楽しい二組のご夫婦ですか。、なかなかいいですねえ

うちの生徒が クラスに新しく習う奥様をつれてきたとき 〔ママとも)です。と紹介され 私の辞書にその言葉はないなあ と思いました。ママとも つまりお子さんを通じて親しくなったお友達。
でもね、墓とも〔墓友)もいいですよ。
ずっと ずっと未来永劫 ご近所ですもの。

ついお彼岸にこんな話をしてしまいました。
それどころではない あふれるほどの悲しみを抱えて お墓参りをなさった方たちのことも忘れてはなりません。
けれども すべての人に平等に訪れるこの事実を 少しでも救いをもって捕らえようとするのも また 人間です。

墓ともーーそんな言葉を考えたお彼岸の中日でした。


 

2011年9月22日木曜日

さて なにから




なにからできているとおもいますか?
漢字を見ればわかるかもしれませんね。もう海に出なくなった東北の漁師のかたから大漁旗をゆずりうけ 小物やいろいろなものにリメイクしてそれを売って そのお金をまたその方にお返しする という事をしている知人がいます。
そのかたも たまたま彼女の知人の知人のそのまた知人が この震災を機に漁を引退するということで 大漁旗を入手するという事になったそうです。
彼女は 塩の香りのしみこんだ大漁旗をクリーニングにだし そこにボランテイアで縫ってくださるかたがあり
エプロンや ちょっとしたバッグなどに変身、またそれをお店においてくれる人がいて。。。。
でも(神聖な大漁旗を切り刻んで こんな形にしてしまうなんて)とその店にいってきた人もいるとか。
ああ 私は至らなかった と 反省する彼女に私は でも、見てくれた人が東北の人たちの心情や 震災のことや いろいろな事を みんなと話す機会になるわけで しまいこんでしまっても何にもならないのでは?といいました。

着てみました。なんだか力がわいてくる気がします。
この旗を潮風に颯爽となびかせて船が港に帰ってくるところを想像します。大漁の喜びが文字通り肌に感じてきます。それにしても なんて素敵なデザインなのでしょう。そもそも外国に大漁旗ってあったかしら。今度海外に行くときはこのチュニックももっていくつもりです。日本が復興に向け 力を合わせてこの難関を切り抜けようとしている話をしたいとおもいます。

 
 

2011年8月21日日曜日

秋の花をいける会 日にち一部変更について

先日お知らせいたしました 秋の花をいける会 ですが 日曜日が皆様よろしいようで 28日のみとさせていただきます。
そのかわり28日は あと時間をながく7時まで取ります。
よろしければどうぞ。

8月28日〔日曜〕 秋の花をいける会 目黒教室 4時くらいから

〔費用など前のブログ参考になさってください)
 


2011年8月17日水曜日

秋の花をいける会 お知らせ

すすき われもこう りんどう などなど 秋の花をいける会をします。
どなたでもどうぞご参加ください。いけばなを知らなくても大丈夫です。

 8月27日 土曜日11時より 2時間ほど

 8月28日 日曜日4時より  2時間ほど

 

場所 目黒教室 (JR 南北線 目黒駅より 徒歩1分) 
費用 花材費こみ 4700円
   (花材はお持ち帰りできます)

はさみ 剣山 花器は 教室でお貸しいたします。

9月に入ってからと思ったのですが 天候の影響でお花の状態が違います。急遽この日にちとなりました。

通常のクラスではなく 一回きりといたします。

お申し込みは 8月24日まで class@kokaote.com
花のオーダーの都合で キャンセルは8月25日以降はなるべくご遠慮ください。
お申し込みの方へは 場所など詳しい事をメールでお伝えいたします。

花とふれあい 秋へのエネルギーを回復いたしましょう。

福島光加

  

2011年8月14日日曜日

驚きももの記 

ね、いいところでしょう?
たまたま 隣の部屋にいたアメリカ人のご夫婦が (どうしてここを知ったの?)と話しかけてきました。

今から何年前になるでしょうか。イタリア語を一生懸命習っていた時代がありました。
そのときのイタリア人の先生が 学生のころ アルバイトをしていたというのが このペンショーネでした。
ある年その先生が帰省するときに 私とタイミングがあい ここにつれてきてもらったのです。
もっともそのときは春の浅いときで お客さんもいなくて 今は引退した先代のご主人が もう一部屋作ろうと 自らスコップをもって 土を外に出しているところに 久しぶりです! やあやあーーという次第。
今はお嬢さんのBeatriceが ご主人と昔からのスタッフとここを切り盛りしています。

私の隠れ家といったらまずここでしょうね。
イタリア人の先生が連れて行ってくれたときまず驚いたのは そのシンプルさでした。
もともと修道院だったのを 何代か前が買取りこの形にしたのですから無理はないですが ペンショーネ発足同時の事情をきかされていた彼は そのころ各部屋には鍵もなかったそうだといってました。

今でこそ鍵はかかりますが ないものをあげれば テレビ エアコン 冷蔵庫 新聞 アメニテイグッズ
などなど。廊下にところどころパソコンが置いてあり自由に使えるのが 前にいった時と変わった事。

働いている人たちも親から子へ という人も多いとか。
私のことも覚えていてくれてみんな驚きの表情をうかべ (まあしばらく) (元気だった!) と レセプションでBeatrice の横に座っている アナリサも ステファノも 庭師のおじさん いつも食事の合図の鐘をならすおじいさんも歓迎してくれる。前に会ったこの家のラブラドール(すっかりおばあさん)までも ゆるく尻尾を振ってくれる。
こんなところめったにありません。

それにしてもBeatrice も ご主人もよく働く事。
ご主人は トラクターのような音がすると思って窓からのぞいたら、オリーブ畑の道の草を刈っている。昼間かんかん照りのとき 壁修理のペンキを調合している。かとおもえば夜は ダイニングで 
(ワインにします?それとも何か他のものにします?)
ときいてまわっている。

友人たちはすっかりここが気に入った様子。通じようと通じまいとともかく イタリア語が出てくる私。
何十年ぶりにすらりと出てくる 単語にわれながら驚く。
美術館の観光だったらここは向かないでしょう。買い物も周囲にコンビにのようなお店も もちろんひとつもありません。
でもいってみたい! だめ!内緒。だから隠れ家。

ここは市の中心から少し歩き停留所にたどりつき 暴走バス(ここに住んでいる友人の表現)で九十九折の狭い道を15分。
そこから徒歩15分のところ。夜は真っ暗で帰ってくるときは 懐中電灯が必要。
覚悟がいります。
新聞もテレビ パソコンさえも毎日は触らなかったからでしょうか。
それとも イタリアの底力を垣間見たせいでしょうか。
さあ 東京に帰ったら たとえ暑くても一生懸命仕事をするぞ!!!秋に向かってがんばるぞ、という気が心の底にもくもくと 沸いてきました。

帰ってみればーーーう。でも暑い!!!!




 

2011年8月12日金曜日

驚きももの記 私のいた場所


驚きももの記

何の変哲もない 木が二本。

私には 大いに意味のある木なのです。
3月11日の震災に 私のところには外国からいち早く 何通ものお見舞いのメールが来ました。中には、ともかくすぐ逃げてきなさい! 泊るところはあるからーーと。そのメールが一番早かったうちの一箇所がここです。
どうしてもお礼を言って 今の日本の現状を説明したかった というのがひとつ。
それと 何年か前に植えた桜が数年前の大熱波で 3本がかれてしまったという事を聞いていたので どうしてもでかけてみたくなりました。
年を重ねるにつれ 私だっていつどうなるかもわかりません。今がチャンスだ!

全滅だと思った桜が 4本のうち一本がこの大きさに成長していたのでした。植えたのは私は7年前と思っていたのですが 実は10年前だった。ここの一家と庭師の方が 広い庭のなか 忘れずにこの木にも水をあげててくれていたのです。いわれるまでわからなかった思っていたよりはるかに大きな木を見上げました。

(今年も何輪か小さい白い花が咲いたわ。小さいけれど実もつけていた)

確か私は ここに小さな桜並木がつくれたらいい 数メートルでも! といっていたのをおもいだしました。Beatrice に(本当は桜がいいのだけど では何だったら確実かしら?)と聞いてみました。
(糸杉か オリーブなら大丈夫でしょう。)
それで 御願いしたのが このオリーブです。オイルにするのと実を食べるのとどちらがいい?と聞かれ では 実をたのしむのに というのをきいて Beatriceのご主人が買ってきてくださいました。
ーーいかほどでした?と財布を開けようとする私にBeatrice は 10年前のお金がまだのこっているから とどうしてもいってくれませんでした。

庭師のジョセッペが 暑い中 穴を掘ってくれました。

(隣に杭があるけれど 小さいうちはこれにしばってもいいね。大きくなるまで)

またここにこなくては、すでに何個かついているオリーブの実を見ながら思いました。
桜とオリーブと そして 私。何年先か わかりませんが ともに成長して 何らかの実をむすび この木の前に立ちたいなと思ったのでした。




 

驚きももの記  わけあって



2011年7月17日日曜日

驚きももの記 できることとは?

今度の震災で 私にできる事はなんだろうか?と考えました。
住んでいる東京には 確実に直下型がくるといわれ 明日はわが身。、今回の震災に関係した人が 私の場合 親戚や友人にはいませんでしたが とても他人事とは思えません。

私が一番自信をもって できる事 それはいけばなしかありません。
家元をはじめ 何かいけばなでできないだろうかーーという事は 地震発生後から みんなで考えていました。ものにはすべて時期があるという言葉があります。じっと まっていました。

いかにみんなが何か役に立つ事はないか なにができるだろうか と真剣に考えていました。
新聞にものらないけれど 大量の歯ブラシを寄付した会社。 そろそろこういうものも必要だろうと化粧水や 口紅を被災地に運んだ化粧品会社。毛布とか日用品を集め送った会社。子供たちが必要だろうと 学校で集め車で避難所に届けたお母さんたち。 お店の入り口に被災地はこんなものがいると情報を得て 箱を出して見知らぬ人からも 物資を受け付ける。私も石鹸をいれました。みんな 損得関係なくそっと行動にうつした沢山の人たち。

宣伝だと思われるのは いや と 言う人もいるでしょう。
でも この話 報告させてください。 近くのホテルに避難しておいでの方に  いけばなを体験してもらおうという計画を 家元と私の関係している流が立てました。
私も講師のひとりとして レッスンをさせていただきました。少し暑いけれど 気持のいい新緑の中 スタッフが 避難先から 坂を上って会館まで皆さんをお連れする。受講者はお子さんをつれたかた お年を召したかたなど 30数名が集まり 二つのグループで花をいけました。
ややっこしい事は ぬき 植物にさわってもらうだけでいい。  

教室のドアーをはいったら 植物の いけばなの世界。好きな花材と 花器も棚から自由にどうぞ。戸惑っていた参加者の皆さんは やがて講師の皆さんのアドバイスで いけはじめ。一時間ほど 教室は 植物のすがすがしい香りに包まれました。一人ひとりが 真剣に制作。私たちは質問があれば 飛んでいってお手伝い。
すべての事は とりあえずドアーの外に 置いておきましょう。刻々と自分の花の世界が出現していきました。、

使った花材は勿論流からのプレゼント。 花を大事に包み (花に触ったのは 何ヶ月ぶりかしら)(とてもいい経験でした)という方たちに 私たちは(どうぞお元気で)というのが 精一杯。
家元は個展の真っ最中でしたが ポケットマネーで 花の本とポストカードをさしあげ、花器を扱っている部署は プラスチックの組み立て花器を それぞれのお部屋でいけていただくために寄付。 近くのお菓子の老舗は 皆さんにようかんを プレゼント。
みんな自分ができる事をしたと思います。
いつか あの大変なときに 少しの間 花とむきあった、そんな思い出をプレゼントしたかったのです。
微笑みも浮かべ 楽しそうにいける皆さんに 私たちも勇気と元気をいただきました。
来てくださって 本当にありがとうございました。
どうぞ みなさま お大事に! できる事は少ないけれど みんなで応援しています。

驚きももの記 蘭奢待

蘭奢待 (らんじゃたい)ーーという言葉 きいたことがあるでしょうか?
知ってますよ!!!日本酒でしょう!?おや!なかなかの通ですね。 はい 確かにお酒の名前にあります。 
ですが 本来は正倉院に収められている 香木です。何でも 足利義正 織田信長そして明治天皇などが 一部を削り取っていて その場所は1,5m余りの高さの本体に 和紙に墨で名前が書かれているとか。秋には正倉院の御物の展示がありますが こんど蘭奢待の展示が 何年か先にでもめぐってきたら絶対に見に行きます。この香木はむろん今ではどんなにお金を積んでも手に入らないものです。 
ところで おのおの切り取られた破片はその後どうなったのでしょうか。今でも存在するのでしょうか。
信長は本能寺の変で 炎に包まれ蘭奢待の一片を抱きながらなくなったということが言われているそうですが  彼の美学からすれば それも考えられないではないでしょう。

香水といわれるものが自分には きつすぎるなと思ってから 私は ず香 といわれるお香を 黒檀で作られた丸い小さな容器にいれ 持ち歩いています。 僧侶が おつとめをするときに また書を書くとき手の汗の滑り止めに使うものらしいです。私は3種類の ず香を ブレンドして私の香にしています。 お線香くさいという人もありますが 自分では気に入ってます。何より 信長の蘭奢待を思い出すと ロマンを感じます。 平安の昔のように かすかな香りで あ 今 福島がここを通ったーなどと感じてくださるおかたがいらしたらーーハイ それはありませんよね。

2011年6月3日金曜日

驚きももの記 日本語とは

早朝この辺を歩くときの楽しみは 公園です。 特に週末の六時ごろ犬が集まっている場所があります。
先日も 大好きな大型犬を連れている人を見かけました。広い芝生の上をリードをつけて駆け回っている小型犬を悠然と見ながら 尻尾をゆるーく振っているのです。

ン!可愛い!!!
人生 大型犬をかうことは ないだろうと思っています。だから吸い寄せられるようにこの犬のもとへ。
ゴールデン レトリバーは やはり散歩らしい女の人が 頭や背中をなでるのも受け入れて 気持よさそうに微風に 金髪(?)をなびかせている。
思わず私も一緒になでる。
ウーン! いい子だ いい子だ!
気がつけば もう一人の人は いってしまって 撫で回しているのは私だけ。
リードのもとの飼い主の方をふと見ると ベンチに腰をかけた男性。
触っていいですか?と聞くべきなのに 何もいわずにゴールデンをなででしまった私はちょっと気まずい思いになり すっくと立ち上がり 言葉をさがしました。
(お名前は?)
(---)
一秒の5分の一の間があったでしょうか。
(あ ピカソです)
(ピカソ!!アーチストなのね。君は!)また首の周りをなでまわしました。
(まだ3歳です)

やがてまた走り出した私はふと思いました。
あの五分の一秒は?
質問した後 もし (加藤です)とか (鈴木です)
と答えられたら 今度はその何倍かの私の沈黙があったはず。

名前に(お)をつけた私が悪かった。
ピカソは犬なのだ。(お名前は)でなくて(名前は?)ときくべきなのだ。
いつだったか 店員に(お名前様は?)と聞かれひっくり返りそうだった私。
人のことはいってられないーーーと反省したのでした。

ピカソ また会いましょうね。

2011年5月29日日曜日

驚きももの記 ご無沙汰しています

皆様 その後いかがお過ごしでしょうか。
あっという間にすぐ6月。めまぐるしい半年となりそうです。   

季語と歳時記 リレーエッセイ を検索していただくと 私の短いエッセイが出てきます。
更衣のことを書かせていただいているので 興味のある方はどうぞ。

2011年3月17日木曜日

驚きももの記 なんとも言葉がみつかりません

この大地震とそれによる津波にあわれたかたがた 心よりお見舞い申し上げます。

誰にぶつけようもない この不条理を 悲しみを どうしたらいいのでしょう。
こんな私でさえ もうすこしたったら わずかな義援金をしかるべきところにおくるよりほか 何かお役に立つことさえ考えつかないでいます。

私はそのとき 展覧会の花器を作るため広島にいました。空港に着くまでなにが起こったか知りませんでした。飛行機は帰りの便がとばず 新幹線は大阪までしかいかず 広島にもう一泊しました。
やっと次の日 新幹線が東京までつながりかえってきました。しかし家の中で食器棚にあった電子レンジとトースターがとび シンクに食器棚が45度に寄りかかっていて もしここにいたら さぞ怖かったことでしょう。

沢山のお見舞いの電話やメールが方々からきました。だいじょうぶだった?みんなの声を聞いて 少しほっとしました。
仕事上外国からのものもありました。
インドから そして チリから電話がはいりました。フィンランドから ドイツから  カナダから いつでも逃げていらっしゃい。 部屋があるから。ベッドあいていますよ。
数年いっていない イタリアの 山の中のペンショーネから スタッフともども心配しているというめーるには ご夫妻とお嬢さんの名前もありました。
ある国に赴任中の 日本の大使からのメールでは 見ず知らずの人たちから 大使館にメッセージ お花や手紙が届いたり 大使館のスタッフ一人ひとりの名で 心のこもった言葉が記されたカードをいただいたとか。

個人的なことですが 昨年の私の活躍に対して賞をいただきました。その授賞式が今日でした。
受賞の言葉も考えていました。とても残念だけれど 被災された方 なくなった方のことを思えば 何もいえません。
これからどうなっていくのだろうか 不安はとてもあります。
でも元気で いまこうして生きている。そして色々と心配をしてくださったかたがいる。、ありがとうございます。 エネルギーいただきました。これからまたがんばっていこうと思いました。受賞は過去のことにたいして。今考えるのはこれからのこと はなのこと 生きている価値のある行動をとらなくてはと思いました。
 



 









 

2011年2月8日火曜日

驚きももの記 もうちょっとだけ沖縄



タクシーの運転手さんが持っているのは 植物園のハイビスカス、大きいですね。

2011年2月6日日曜日

驚きももの記 久しぶりに




久々のブルー 久々の海 久々の仕事でない旅、
沖縄は 文字通り 暖かく迎えてくれました。

2011年1月16日日曜日

驚きももの記 あたらしいこと

昨年に比べれば 時間があるーーと思ったので 新しいことをしようと考えました。
ちょうどお誘いがあったので ある集まりにくわえていただき 英文の朗読クラブに いってきました。

テキストは翻訳されている日本文学から選ばれ 今回は ラフカディオ ハーンの (雪女)。
短い時間で 少しづつ読んで アメリカ人の先生がそれを直してくださるのです。
英語の発音は 花という具体的なものがあり まずは英語は 補足として通じればはいいかと思っていたのですが 英語でいけばなを教える授業を担当してることから 近頃きちんとみなおしていない。これはいけないーーとずっと気にかかっていました。

集まった方は それぞれ英語の仕事をなさっているか 海外に住んでいらした男女10人ほど。
皆様それぞれ個性があり 朗読はお上手でした。 私はというと 一番のクライマックスの部分があたったので  ジャズを歌う時を思い出し 学生のころの英語演劇部の読みあわせを思い出し 楽しく読みました。
先生は私が初めてだったこともあるのでしょう。ほめてくださり 発音を一箇所 指摘してくださり 私は自分では 気がついていなかったその発音を直されたことをとても新鮮に そして 貴重だと思いました。

なんだか 英文の朗読にもはまりそうです。


。   

2011年1月5日水曜日

驚きももの記ーー新年おめでとうございます



皆様は どんな新年をおむかえになったでしょうか。ブログを見てくださっているかたの お幸せとご健康をこころより お祈りいたします。

今年 ホームページを少し形を変えながらつづけ ブログも皆様に楽しんでいけるものにしたいと思っております。
ところで この写真 どこだと思います? 実はフランクフルトのWさんの庭です。
松と竹 梅は心の中で足してくださいねーーとドイツ人の 草月のいけばなの先生からの めっせーじでした。

A Happy New Year to all the readers of my blog.
Can you find out where this photo was taken?
This is the garden of Mr. and Mrs W in Frankfurt. The pine tree and bamboo are the symbol of happy combination together with plum blossoms in Japan.
They sent New Year message asking me to add the plum bossoms in my imagination.

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