2012年8月13日月曜日

お盆に



お盆です。だからこの話をさせてください。

一昨年、暮れも押し詰まった、確か27日。 バラの研究家の知人から電話がありました。

彼女の知り合いのお母様が93歳で 家でお食事を終えて、気分が悪くなり、 そのままなくなられた。

その知り合い、 仮にTさんとしておきましょう。Tさんは、バラに関係ある本の編集長として,発足当時から活躍していました。母上も大のバラ好き。娘として 何よりいつもサポートしてくれて、ここまでにしてくれた母に できる限りのことをして送りたい。
それでTさんは, 知り合いの、つまり私の知人に, 母が愛してやまなかったバラだけで,祭壇を造りたいといってきたのです。


ー手伝ってくださるかしら?私は(つて)を頼って今からあらゆる手をつくして バラを集めるから。

知人の 電話の向こうの言葉の勢いに私は圧倒されました。 

実はその日も次の日も,私にはお正月の花をいけるお稽古が入っていました。それとーー葬儀の祭壇を制作したことなどありませんでした。

-大丈夫!私だって祭壇作るなんて初めてよ。勿論、業者に花をいけるまでの支度はさせるわ。オアシスをつめた容器を明日までに用意させるわ。長いもの60個くらいでいいかしら?もっと?バラとバラの間に埋める小さなグリーンか花か何かをそちらは用意してくださいね。

祭壇をつくるーーと言った事に躊躇したものの、私は 次の日3時間だけならと約束し 生徒でやはりその年 母上をなくした方に 手伝いのお願いの電話をしたのです。

次の日 本堂に集まったバラは 赤を除くあらゆる色。白 クリーム 黄色 薄いピンク、少し濃いものも。 大小、大輪のもの 中輪 ミニばら、スプレーバラ。たくさんのバケツがならべられていました。

ーほら年末でしょう?バラは やはりなくて 知り合いの生産者がもう店に出したものもまた買い戻しして集めたのー

 バラ研究家の知人はてきぱきと事を運び 私と生徒は 何百と言うバラをいけて行きました。途中でお棺も到着し その周りに ペーターフランケンフエルトという 濃いピンクの素晴らしいバラを生けていきました。 故人は そのバラがことのほかお気にいりたっだそうです。本堂は色とりどりのバラに全体が包まれていきました。なんてきれいなんだろう。私はなんともいえないフワーッとした香りの中で、ただ見とれて何度も手を休め、気がついてあわてて続きをいけました。


明るいバラたちが その美しさを競い、祭壇は まるで自然の花畑のような感じになっていきました。  Tさんは 友人に最大の感謝のことばをのべ (私はもう何も言うことない。幸せ。こんなにして 母を送り出す事ができるのは なんて幸せな事かしら)
Tさんは私にも何度もお礼を述べながら (そう 写真をとりましょうよ!皆で)といいました。

いいのかしら、と思いながらも私も カメラに収まりました。そのときの写真をあとでいただきましたが、 私たち2人のあいだにいるTさんは安堵と、私にはほんのわずか微笑さえしているような表情にも見えました。

若いころから順調に来た人生ではないかもしれない、ご自分やお嬢さんの洋服はご自分で縫い いつも娘をはげまし 働き惜しみをしなかったお母様と聞きました。

そんな人生に、娘から最後の贈り物、お嬢さんであるTさんは自分の思ったとおりのことができてよかった、そして友人も、私までも お手伝いが出来てよかったという 不思議に満ち足りた気持になりました。それは、私はお目にかかったことはないけれど きっとお母様がさせているのでしょう。
次の日のご葬儀には おいでくださったかたがたが 会場の本堂に入ったとたん まず初めに(なんて綺麗!)と驚かれたそうです。花も開いて 香りが本堂一杯にただよったとか。

その後Tさんは 仕事あけから、気持もあらたに仕事にがんばったそうです。



お盆をむかえ それぞれの思いで この日を皆様過ごしておいででしょう。
こんな話をして 申し訳ありません。でもいつかは皆様に申し上げたかったストーリーなのです。








 


 


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